caloでみた山下望さんの個展「window (see more)」

caloでみた山下望さんの個展「window (see more)」は写真を使ったインスタレーション。前回、かなり大きな会場だったMIOと比べると、こじんまりしたギャラリースペースも相まって「部屋のなか感」がより仕上がってるように感じた。ところ構わずペタペタと貼られたシールや、床に散乱するように置かれた雑貨類、壁に直貼りされた写真にのこる少しのシワ。それらは無造作のようで、なぜか作品としての雑さを感じないところには毎度関心させられる。むしろこの部屋の住人の息づかいのようなものを、よりリアルに感じられた気がした。こうして打ち明けられた「秘密」は、そのまま鑑賞者との「内緒」になる。…かもしれない。そんな歩み寄りのようなものも感じる。

「これが私」や「私をみて」というような類の写真も、前の記事に書いた「私」的なものと同様に多くて、こちらも敬遠しがち。そもそも基本的に人って、さほど他人に、それもわざわざ写真を介してまで興味を持つことは少ないと思う。一方的すぎるから客観的価値が生まれにくいのかな。別にそれはそれで良いのかもしれないけど。

ただ、じゃあ山下さんが表現する「私」はどうなのかと言うと、先に述べた類に近い主張だし、その押し(?)はかなり強い方だと思う。けど、おかげで魅力性は高まってるようにも感じるから不思議。ぐっと迫ってくるものがあるけど暴力的じゃ無いし、それこそ少年少女の無邪気さに似た気質みたいなものがある。無邪気、という言葉を辞書でみたら、思慮に欠けるという意味も含まれてたけど、それはあどけなさでもあって、偽りのない素直さはみていてとても心地よかったです。

余談ながら、山下さんもテーマの重心にあるのが「私」だけど、上田さんのそれとはまた違った種類のもの。展示形態といい、その共通点と相違点の関係がちょっと面白いなぁとも思った。