マリアーネさんの個展「風の化石― Wind Fossil」

マリアーネさんの個展「風の化石― Wind Fossil」を観に西区新町のstudio Jへ。たたずまいの静けさと奇怪さ、くわえて臓器的な印象から深海生物なんかを彷彿させられるそれは、毛や皮膚のさらに内側にあって、けど骨や筋肉でもない、人が持つもっともやわらかい部分で、エロチシズムという言葉もたしかに似合う。その言葉の内部には、観る人によっては不快を与えかねないほどの生々しさと、慈愛に満ちた安らぎとが同居してるようにも感じる。

顔を近づけてみてみると、ものすごく繊細なタッチで描き出されてることが分かる。反対に一歩引いてみると、さっきまで奇怪に見えていたそれは、なんだかとても身近なもののようにもみえた。例えばフライヤーの表紙にもなってる作品で言えば、籠に入った玉ねぎのようにもみえないこともない。驚くほど細密な描写と、日常的ななにかのシルエット。この二つの要素が、現実ではありえないイメージに、まるで実存するかのような妙なリアルさを与えてるのかもしれない。そのリアルさは、観る側をさらに惹きこんでいくかと思うと、いつの間にか心理に浸透するしたたかさを含んだ力がある。

描かれたそれが性器であることはある種明確に意識されているようだった。そしてそれは、現代のメディアで映すことは決して許されないものでもある。それから、(浅い知識ながら)いわゆるその”タブー”を発表して批判の標的になる写真家がこれまでにもたくさんいたことも知ってる。その人達がのこした”タブー”をみて実際自分もたじろぎ、思わず目をそむけてしまった記憶もある。でも、なんでそうなってしまうんだろう…?そもそも性器に限らず”タブー”はなんで”タブー”として取り扱われてしまうのか?その理由の本質を自分なりに消化したい。そこに消極的になってはいけないような気がする。マリアーネさんが生み出す神秘的な生物達は、その解釈への一つの糸口になってくれる予感もある。