まっぷたつの風景 116-117貢より

 …いささか妄想めいた小咄のようになってきていて不安だが、続けるしかない。「差よりも共通点を見つけ出すこと」は、実はそれほど簡単なことではないのだ。肝心なのは、何かと何かが異なっている、あるいは同じだと思うとき、その「見かけ」ではなくて、それらにおける「世界に対して実現されていること」同士が異なっている、あるいは同じだと考えられるかどうか、なのである。この行為は、知性的なものにならざるを得ない。

 僕たちの目の前には、実にさまざまなメディウムによる、実にさまざまなメッセージが、すでに溢れるようにしてあり、また新しく生まれてもいる。そのことによって、僕たちを取り巻く意味の地平は、日々刻々と拡大および変形を続けているのだが、現代の科学技術環境において、その拡大と変形の速度は、極まりを見せている。だから現代を生きる僕たちには、それぞれのメッセージの肝心な部分、つまり「世界に対して実現されていること」だけを素早く見抜き、その大事な意味を創造的につないでいく能力が、何よりも求められることになる。実際、僕たちはそうすることで、このうごめく広大な意味の地平に、今日もなんとか足を踏み出し、歩を進めることができているはずだ。

 この歩みにおいて、メディウムの差や分野の差は、実際もうあまりたいした話題にはならない。というより、それを気にする余裕はもうあまりない、と言った方が正確かもしれない。「差よりも共通点を見つけ出すこと」とは、言い換えれば、見かけの差に囚われず、大事な意味だけを創造的にどんどん繋いでいくことであり、それはメディウムの複数形である「メディア」に親しみきった新しい世代こそが、初めて自然な態度として獲得しているところのものでもあると、僕は思う。

 振り返って二十世紀とは、総じて差を見つけ出すことに躍起になった時代だった。分類や選別の技術が、専門家を大量に生み出し、社会は細やかな領域に分化し、その結果、「写真らしくない」などといった断言も生まれてくるようになったのだ。断言するためには教養の蓄積が欠かせないという暗黙の了解が、世間にはあるため、その大きな声に周囲は威圧されてしまう。差を見つけ出す能力は、こうして排除と抑圧の力に結びつくようにもなる。旧い世代の中には、無意識にではあったろうが、その力を愉しんでいた人びとがけっこう多かったことを、僕はよく覚えている。彼らはそのくせ、電車と野生動物が並び合うことは等閑視する。肝心の「実現されている何か」同士の差と共通点を吟味することを、彼らの教養が邪魔しているからか、あるいは彼ら程度の教養では、吟味しようにも、ぜんぜん歯が立たないからか。

まっぷたつの風景 対談3 暗夜光路-写真は何をするのか?- 76,77貢より

 …だから、私はいわゆる<普通>と言われるものが何かわからなかった。<普通>という言葉に幼い頃からずっと悩んでいたし、<普通>と言われた瞬間に全部わからなくなる。幼い頃から、教育はおもに言葉でおこなわれるけれど、「そんな記号に自分のあらゆることを落とし込むことなんか絶対にできない、そんなことしたら大変だ」「言葉は敵だ」と思っていたのは、いま思えば、その<普通>問題が影響していたんだなと思います。

 その一方で、写真は目に見えるもので言葉を直接的には扱わないから、異常にこだわったのかな、と。あと、肉眼レベルで自分が見る目の前の光景と、写真に写された世界ってぜんぜん違うという発見がありました。写真の中には肉眼で見えていなかったことがたくさん写っていて、それをノイズだとすれば、それこそを意識することから、すごく遠回りだけれど、逆戻りしていくように現実世界を覚悟していきました。あと、撮影と称してカメラを持って外に出ると、必然的に人と関わるし、道を歩くし、風景を見ることになるから、頭の中だけではない「現実」に立つことになる。だから結局は、作品コンセプトがどうっていうことよりは、写真の幅広い機能性みたいなものが、私を大きく変えていったし、良くも悪くも写真に引っ張られていまがあるなと思います。

まっぷたつの風景 対談1 言葉のリアル/イメージのリアル 35頁 より

 非常に少ないもので何かを語るというのは、詩歌でもそうでしょう。散文と違って、ある種の制限の中で自由を発揮するとか、自由を感じるとか、そういった側面が写真にもあると思います。フレームの外側に世界が広がっている、それを撮れないのは残念だと思うのではなくて、これしか撮れないということを、一種の長所として扱う。これが写真家の基本的態度なのかもしれません。

 いまのことに関連してですが、僕たちの頭の中にある「思い出」というものは、持続的に流れる映像のようなものではないでしょう。たとえば、母親の面影とかを、2分とか5分とか再生するのは無理です。2秒とか、1秒とか、ほんのわずかな時間しか現れない。あの短さというのが、ひょっとしたら「思い出」の特徴なのかなと思います。誰それさんの微笑みとか、あそこの街角のあの場所とか、そういう視覚的な思い出、記憶は、ビデオの映像のようなものではなくて、写真に近いと思います。そのことがこれだけムービング・イメージの技術が発達しても、絵画とか写真が、ひとつの魅力的な方法として、まだ人びとに扱われていることの大きな理由ではないかと思っています。

神々の沈黙-意識の誕生と文明の興亡-を読んで(序章)

神々の沈黙-意識の誕生と文明の興亡-(ジュリアン・ジェイムズ著、柴田裕介訳)という本を読んでいるのだけど、内容が面白くて難しい。少しでも自分なりに解釈したいと思い、ここにうだうだと書き残していく。知ったきっかけはHAGAZINEというウェブメディアの記事のなかであった「無文字社会の人々は、文字社会以降の人々、つまり自分たちも含めた人間が一般に持っている「私」を持っていなかった」という内容で、またそれが統合失調症や神経症などとも関係しながら、話題の一つとして語られていたことが発端にある。

書いてみる前に、まずあらためて、今の自分にとって「意識」とはどういうことだろうか、整理してみる。そしてまず、整理しようとしてみることを「意識」している自分を「意識」している自分に気付く。そして「気づく」ことも意識上。まるで合わせ鏡みたいに延々と、また視覚の消失点のようにその追従に限界があるとも感じる。

だいぶん前にだけども前野隆司さんの本で読んだ「脳の受動意識仮説」の話がはたと浮かぶ。「意識」は一見、能動的な行為に思えるけど、実は反射的に行われる行動を後追いでモニタリングし、エピソードとして記憶する為の自動再生機能。つまり「意識」は「無意識」に追従するようなものだから、自分でコントロールしているようで、実はそうではないという話だった気がする。

これと同種と思われる内容として、今回の本の序盤で比喩的に書かれているところがある。「私たちの行動は、脳の配線図と、外界の刺激に対する反射作用とに完全に制御されている。意識は配線が出す熱であり、随伴的な現象にすぎない」「我々は意識を持つ自動人形である」「汽笛が列車の機械装置や行く先を変えられないのと同じように、意識も体の働きの仕組みや行動を変えられない。どうわめいたところで、列車の行き先は当の昔に線路によって決められているのだ。」「意識とは、ハープから流れてくるが弦をつまびくことのできぬメロディ、川面から勢いよく飛び散るものの、流れを変えられぬ泡、歩行者の歩みに忠実については行くけれども、道筋に何ら影響は与えられぬ影だ」など。。

僕はこの類の話を結構信じていたところがあった。のだけど、上記の文章のあとに、「もし意識が行動のただの無力な影であるならば、なぜ行動に非常なとまどいが見られるときに意識は強烈になるのか。なぜ最も習慣的なことをするときは一番意識しないのか。」とある。これについては「考える脳・考えるコンピューター」で読んだ大脳皮質の話を思い浮かべたりもするのだけれど、とりあえず読み進める。

創発進化論の話があとに続く。なにかしらの個々が一定数集合し、それによって全く新しい性質が生じる現象に「創発」という言葉があることを、ここではじめて知った。原子が分子を作り、分子がタンパク質を作り、タンパク質が細胞を作り、細胞が内臓を作り、、という風に、「意識」も、生命体としての次元から創発したものであるという話。確かにそうやって考えてみると「意識」も創発され獲得された能力にも思えてくる。けれどもじゃあ、なぜ、例えばそれはどの種において、どの神経系が必要なのか?といった具体的な疑問に対しては回答が行われてはいないじゃないかと著者は続ける。

序章の八つ目の項目で、神経系の働きの観察を通して「意識」を解明しようとするくだりがある。ニューロンや網様体といったワードが上がる本章を読みながら、そういえばこの本は1976年刊行(約45年前)で、前述した受動意識仮説や大脳皮質の話のことも思えば、その時差を加味して読み進める注意が必要なのかもしれないと思う。けれど本項の最後で「心的現象を神経構造や化学で説明しようとするのは人間の性急な性格であり、それによって知りうるのは、行動を観察して確認したことだけであると結論する。あらゆる神経線維や伝達物質を知ったとしても、その知識のみから、その脳が私たちのような「意識」を持っていたかどうかを知ることは絶対にできない」とし、「意識が何であるかという何らかの概念、私たちの内観が一体何なのかというところから始めなければならない。」と続ける。その問いこそ、前述してきたこと(本の内容のごく一部だけど)を問い直しながら、「意識が何で”ない”のか(”ある”ではなく)」を問うことから始めるとし、第1章に続く。

DUCHAMP カルヴィン・トムキンズ著 P405、408から

…わたしは物事の知的な側面に目を向けるのは好きなんだが、「知性」ということばは好かない。知性ではどうも無味乾燥で、表現力が弱すぎる。それよりは「信念」のほうがいい。ひとが「わかっている」というとき、たいがいはわかっているのではなく、信じているのだね。とにかく、人間は美術という営為にたずさわるときのみ、人間として、動物の状態を超える能力をそなえた真の自立した個人になれるとわたしは思う。美術は空間と時間に支配されない領域へ向かう門のようなものだよ。生きるとは信じること、これがわたしの信念だ。

もう三十年以上もまえに、本腰を入れて美術作品の制作にとりくむのをやめたことになっているひとの口から出たとは、とても思えないような発言だ。それに、この折り紙つきの不可知論者が「信念」について語っているのにも、意表をつかれる。はじめのうちはこのことばを漠然とした意味あいーー本当かどうか自信はなくとも、何かを真実と信じる(思う)ーーで用いていたようだが、「生きるとは信じること」とまで言いきって、この語にはるかに明確な解釈をあたえ、そうすることによって、美術を人間の営為のなかでももっとも高度なもののひとつとするみずからの確信の強化をはかる。この変化は、言語一般、とりわけ単語についてのデュシャンの思考の揺れを反映したものである。デュシャンは好んで唯名論者ーー抽象的な概念は実在せず、わたしたちがあたえる名称が存在するにすぎないと信じるひとーーを名乗った。テレビ番組が放送されてからまもなく、ミシェル・カルージュの『独身者の器機たち』に関する詳しい批判を手紙で展開したあるフランス人に対して、デュシャンは「わたしは言語を信用していません」と応じている。「わたしは文章による批評の大敵を自認する者です。カフカ等との対比やあれこれの解釈は、言葉の蛇口を開くきっかけにすぎないとしか思えません……したがって潜在意識のなかにある思考を説きあかすかわりに、現実には、ことばによって、ことばに引きずられるかたちで、思考を創りだしてしまう。」デュシャンによると絵画などの視覚芸術作品は、ことばに置きかえられないものである。それに、「これら駄弁の数々ーー神の存在、無神論、決定論、自由意志、社会、死、等々は言語と呼ばれるチェスの駒であり、それが楽しめるのは、『このチェスのゲームの勝ち負け』にこだわらない場合にかぎられます。」ところが、チェスの達人であったデュシャン本人も、言語のゲームが、中毒と呼んでもいいほど好きだった。ことばはどうも信用ならないとデュシャンが感じたのは、ことばには生みの親のもとを離れ、ひとりで生きていこうとする傾向があるからだろう。そのために、思考や思想を伝えるにはあまり役に立たないけれども、それが理性を超えた想像力の世界を開く鍵として働くことを妨げはしない。そしてその想像力の真の声を伝えるのは、詩をおいてほかにない。…

*

…八百語からなる文章は主題も表題と同じ「創造的営為」で、まず「美術の創造には二つの極があり、一方に美術家、他方にやがて後世となる鑑賞者がいる」ことをあきらかにする。デュシャンにとって、ひとりまたはそれ以上の鑑賞者の目に触れ、思考の対象とならないかぎり美術作品が完成しないことは自明の理だった。したがって、知られざる傑作が存在する余地はない。そのおもな理由としては、デュシャンの見方によると、美術家は創造的な行為の一部をになうにすぎず、またそのさいにも、自分がしていることを意識のレベルで真に理解してはいないことが挙げられる。「どう見ても、美術家は時間と空間の迷路を超えたさきで、開けた場所へ出る道を探る霊媒のようにふるまうとしか思えない……」というのがデュシャンの言いまわし。「この霊媒としての役割を否定し、創造行為の最中のみずからの意識の有効性を重んじる美術家の多くが、わたしの考えに賛同しないことは承知している。ーーしかし美術史はつねに美術作品の価値を、美術家の合理的な説明とはまったく無縁な考証を経て確定してきたのである。」言いかえれば、美術家が自分は何をしていると考えようと、実際にできあがる作品は、本人が意識してどうこうしようにも手の届かない事柄によって決まってくる。そのために、作者の意図とできあがった作品のあいだ、デュシャンが機知を効かせて「意図されながら表現されなかったものと、意図せずに表現されてしまったもの」と呼ぶもののあいだにはかならずズレが生じる。鑑賞者のおもな役割はこの隙間に踏みこみ、目に映るものを解釈することによって、美術家がまず作動させた過程を一巡させることにある。…

DUCHAMP カルヴィン・トムキンズ著 P405、408から

 

PICTURE展に寄せた文

今回のPICTURE展に写真で関わっている三保谷将史(みほたにまさし)です。この展覧会は、美術家・城下浩伺が描いた絵を、カメラで撮影し、写真として出力する、というプロセスがあります。僕はその写真で関わっています。

今作の浩伺さんの絵は、長い時間を掛けて緻密に描かれる普段のシリーズとは対象的に、ものの数分で次々と描かれていきます。筆と墨汁によって描き終えられた直後のその絵は、ちょっとでも動かすと絵全体が流れ動いてしまうほど、紙に吸収されるもしくは蒸発待ちの水分たちがまだゆるゆると表面張力している状態。「この瞬間を表現できないかと、家で描いている時よく思っていた」と聞いていた僕は、なるほどこういう事かと思いながら、卓上の新鮮なそれをカメラと一緒に眺めていました。

スタジオの蛍光灯の下、その黒く瑞々しい絵の表面から全方向にはね返る光たちの中で、ある一点に置かれたレンズは、そこへのみ反射してくる光を収束し、二次元の像として記録する。結果を満足してくれている様子の浩伺さんを見て、ただシャッターボタンを押しているだけな気分だった僕は少しほっとしていたのでした。そうこうしている間にパンデミックが起こり、街中の施設は軒並み扉を閉めていきます。同じ頃、僕自身は別でアートフェアに参加する予定だったのですが、それも搬入前日に開催中止の連絡がありました。対岸の火事のように思っていたこの事態の大きさの実感は、フェアの会場入り口で「中止」と大きく書かれた看板を実際に見た頃からようやく芽生え始めます。その時が2月の末。再来月に控えていたこのPICTURE展の事も頭によぎりはじめていました。

そのさなかで、インターネットを活用する動きが活発化していく訳ですが、「だから我々も」ではなく「いまなにができるか」という思いから、浩伺さんはオンラインへ舵を切ります。僕はその時に、今展覧会の背景にあった「どこまでが絵で、どこからが絵でなくなるのか」という言葉が、あらためて立ち上がってきた気がしていました。

液晶画面という、現代の私たちにとって馴染み深いレイヤーは、日常的にネットやSNSを使う浩伺さんにとっても当然例外ではないということ。物質としての絵画/写真の置かれたフィジカルな三次元と並行して、その発光する膜が持つリアリティは私たちの日常に深く浸透している。またそれは言わずもがな、私たちの視覚自体にも大きな影響を与えていると思います。ある種それは、言語的な感覚とも似ているような気がしています。デジタルという国の誕生と繁栄に準じて培われてきている共感覚とでもいうか。(だから、例えばそれはある程度後天的に学ぶ事もできるし、ジェネレーションギャップがあったりもする)

一方で、僕らが現実の風景を見る時、その視界は遠近法的な構図でもって捉えられている。風景は手前であるほどすぼみ、遠くにいくほど広がる。つまり遠くにあるものは小さいし、手前にあるものは大きく見える、、現代の私たちにとって当たり前すぎる常識的な感覚です。他方で、それはカメラオブスキュラ、引いては木漏れ日に映る太陽の姿を見とったアリストテレスの時代に芽を出した風景の捉え方とも言われている。幾何や光学の発展に順じて、ヒトの視覚にも変遷があったという話。常識や価値観等ならともかく、肉眼での見え方にも感覚的な違いがあったなんて事は、にわかに信じがたいかもしれませんが、もしかすると絵画史はその語り部とも言えるのかもしれません。

「絵画とは?」を僕は詳しくありません。ただ写真という技術が誕生したとされる約200年前、さらにその過去へと歴史を潜ってみるとすぐ、たくさんの絵を描く人々の姿が見えてきます。そしてそこではまだ「写真」は無いはずなのに、絵を描く人々はその単語を知ってます。どういうことか? 当時の「写真」という言葉は「姿を写し取る」といった意味で使われていたからだそうです。当時の”真”という文字は”すがた”を意味し、たとえば肖像画などを主に写真と呼んでいた。つまり「写真」とは「絵画」そのものだった。諸説あるみたいですが、その時代から地続き的に、また派生的に誕生した化学技術としての「写真」は、デジタルカメラの全盛を経て、誰もがポケットに携えるようになり、そして動画やVR、人工知能との融合など、テクノロジーの進化と共に様々に派生展開しています。

現在は、液晶画面を通してなにかを見るということの過渡期で、世界中を包みこんでいるこの奇妙な時間によって、前述したデジタルという国の勢力も加速度的に広がっている。だったら仮に100年後、地球上の人類すべてがいわゆるデジタルネイティブになっていたら、「画面でみる」なんて言葉は死語を通り越して通じなくなってるかもしれません(そもそも”言語”のあり方自体が今と同じようにあるのかさえ謎)。だったらそれは一体どんな感覚になっているんだろう。

なにかしらの「再生」のためのデバイスだったものが、身体感覚として備わった時に、ネイティブな言語として「表現」されはじめるのだとしたら?僕たちが絵や写真やスマートフォンを見ている「目」も、五億年以上も前の頃は光をエネルギーとして受容する細胞組織の一つでしかなかったらしい。光の有無をただ感じるのみの単機能だったものから、のちに「視覚」が誕生すると生物界のバランスが激変し、多様な進化をうながす強い淘汰圧にもなった。

浩伺さんの作品と今の現状は、そうして一枚の絵がいかに見られるかということの果てしなさをはかる試金石のようなものとも言えるのかもしれない。あるいは逆?いずれにしても、僕自身はそこに表れるものを見てみたいと思っています。

今回の展示の機会を通して、あらためて「写真って?」を考えています。この記事をここまで読んで下さっていたらお分かりいただけるかもしれませんが、それは今回の展覧会のテーマである「絵画とは?」という浩伺さんの問いと重なるものです。今の現状が半ば僕たちに強制する鑑賞形態は、単なる情報の再生ではなく、複眼的に捉えることができる新しいチャンネルの示唆。その事によってどう見えてくるかという問題もまた、両者の問いと入れ子する。

はっきり言って現状の展示状態では、それを示すことはできていないと感じています。ただ少なくとも僕個人にとって、それを考える確実なきっかけにもなっています。こうして発表されているからこそ、様々なリアクションも受け入れていきながら、理解を更新していきたいなと思っています。

In a gamescape展

今年のはじめにまた東京へ行っていた。今回は、12月の展示で売れた作品を直接渡したかったのと、本の制作の打ち合わせ、ギャラリーやキュレーターの方に作品を観てもらえる機会などがあったので、予定を詰め込んでの5日間だった。今までにはなかったこういう充実をまた繰り返せるかどうか。滞在中、友人の初個展を観たり、他にも色々な人と会って話したりしているうちに時間は慌ただしく過ぎる。しかしせっかくの東京、何かせめて一つは展覧会も観に行きたい。それも写真や美術に直接的なものではなく、AIとか科学的な要素に重心のあるのは無いものかと。

そうして「In a gamescape -ヴィデオ・ゲームの風景、リアリティ、物語、自我-」という展覧会を偶然教えてもらう。場所はICC(インターコミュニケーションセンター)というところで、芸術と科学技術の交流を目的とした、NTTが運営する場だそう。過去に何度か訪れた事のあるオペラシティの上の階だった。会場では、「オープン・スペース2018 イン・トランジション」という展覧会も並行して行われていた。二つを観終わり、強い感銘を受けたのだけど、ボリューミー過ぎてか、なかなか消化しきれず、変な余韻だけがずっと残っている。できるだけ整理したい。

まず、僕自身が、液晶画面の向こう側の世界やキャラクターに対して、特殊なリアリティを感じてるという点は、今展に対して一つのキーだと感じてる。ファミコンやゲームボーイと共に過ごしていた時期は、まだ生まれて10年にも満たない頃だった。日々忙しく自我の形成が進行していく年代にとってのそれは、親が言う「たかがゲーム」では無く、視覚と指先を通して同期できる世界の一部だった。そこでの出来事は、虫とり網を持って草むらを散策することと同列の「体験」だった感じがする。そこで出会うキャラクターは、ドットやポリゴンというデータであって確かに実体がない。ではありつつも、実体によってもたらされた経験、例えばアゲハ蝶の幼虫がうにょうにょと進行する土台だった自分の指に残っている感触と、同様の質感を持った経験として、記憶に刻まれている感じがするというか。

だから、数十ピクセル程度の、カクカクな、今見れば非常に解像度の荒い、人型というのはまぁ分かるそれに対して、人間性(キャラクター)や、それに人生があったりすることを感じとってしまう。デジタル・ネイティヴという言葉はすっかり耳にするようになった。そしてネイティヴといえばネイティヴ・スピーカーというのも、その土地の言語と共に生まれ育つことで、その土地の言語=システムへ、自身の同期率を限りなく高いものにしてる、という風にも言える。そうして、別の国の人から見れば、ただの記号や模様、はたまた痕跡でしか無い文字に、色彩や情景をイメージしたり、語感など、様々な印象を抱くようになっていく。そう考えていると、幼少期に目に親しまれた数える程のドットイメージに様々な感覚を抱くのも、それと同様で、あまり不思議では無いことのようにも思える。

ちょっと話がずれるかもしれないけど、例えばこども向けに書かれたイラストやグッズを目にした時、自分はなんとも言えない気分になる。その時おそらく、自分がその頃だった時のこと、母親をはじめとして自分をとりまいていた状況の記憶が、自動再生的に、バックグラウンドであたたかく浮かび上がっている。そうした記憶のイメージを眺められる窓のようなものとして、イラストやグッズは現前し、記憶の面影として機能している。

31歳10ヶ月のいま、ゲーム画面に対して抱く印象や感覚は、とても複雑なものになっている。ゲームに没入していた頃の”身体的な”経験が染み付いている一方、写真を通して感じてきた様々な経験とがそこに混ざり合っているからだと感じているのだけど、それは具体的にどういう事なんだろうともやもやしてる。

実際にゲームに没入していた当時に、今のような感覚を抱いてはいなかった。また、10代の後半から徐々にゲームすることとは距離ができ、20代に入ってからはめっきりやらなくなった。なんとなくその世界にマンネリを感じ続けていて、またその解消のために、探求していこうとすることを、所狭しとソフトが並ぶ行きつけのゲーム屋の店内で行う方向へ向かうこともなかった。写真はそのころからはじめていた。(続く。。)

「眼と精神」p103から

…幼児の想像力を考察した際も同じことであって、心像(イマージュ)と呼ばれているものは、幼児においては、先行する<知覚>の稀薄になったり微弱になった一種の<写し>のごときものでは決してないと思われました。想像と呼ばれるものは実は情動的行為であり、したがってここでもわれわれは<認識主観と認識対象との関係>の言わば手前にいたことになります。問題は、幼児が<想像的なもの>を組織し上げるその原初的操作にあるわけであって、それはちょうど、知覚においては<知覚されたもの>を組織し上げる原初的操作が重要であるのと同じことだったのです。

幼児の線描きについて調べたとき、有名なリュケの著書に抱いた不満の一つは、まさにその点でした。と言いますのも、その著書では、幼児の線描は欠陥をもった<成人の線描>と考えられていますし、また幼児の発達ということも、いろいろな年齢の線描を通して見ると、ちょうど成人が行なっている世界表象、少なくとも西洋の白人のいわゆる「文明化した」成人が行なっているような、言い換えれば古典的幾何学の遠近法の法則にのっとった世界表象の試みの、<一連の失敗>のようなものだとされているからです。だが、われわれが示そうとしたのは、その反対に、幼児の表現の仕方は、いわゆる「視覚的写実主義」の途上の単なる<あやまち>としては理解できないものだということ、それはむしろ、幼児には古典的スタイルの線描の遠近法的投影に見られるのとは全く違った<物や感覚的なものに対する関係>があることを証明するものだということでした。…

「眼と精神」p103から