連れ合いの人から送られてきた一枚の写真には、夜空を背景に水色に点灯する京都タワーが写っていた。色がとてもきれいだったからだと言う。鮮やかなカクテルのような色彩で、確かにきれいだなとは思った。ただ、もし自分が同じ場所に居合わせていた時、同じように直感し、そしてシャッターを切っただろうかと想像すると、おそらく切ってはいなかった。むしろ、普段からそういった類のことに対して感動できないことが殆どだ。最近は特に、景色がなんとなくグレーっぽく見えている。だから自分ひとりでこの京都タワーを見た場合、それがきれいであると目に留めることはなかっただろう。

しかし、これは一体どういうことなんだろうか?考えられるのは、自分のもともとの性格と、現在の病気のことの二つ。

性格については、子供の頃から、例えば祭り事の参加に対して消極的で、それ自体を避けているところがあった。二人目の父親の親戚の家庭が、そういった行事を積極的に楽しむところがあったせいか、その家庭にあまり馴染めなかった自分は、一緒に祭りへ出かけることを拒絶して家で一人留守番をしていた事をよくおぼえている(除け者扱いされていた訳ではなかった。家で一人の時はよくテレビゲームをさせてもらっていた記憶がある)。祭りには花火も付きものだが、その当時の記憶が結びついてか、花火に対してもマイナスなイメージを抱いている。実際、打ち上げ花火なんかは目を閉じて鑑賞すると戦争のように聞こえて恐怖すら感じる。その戦争は実際に今も各地で続いている。そうした社会上の現実が花火というエンターテインメント性によって上書きされているようにも思ってしまう。テレビを代表とするメディアと似た構図のようとも思う。そんな風に考えているから、人々が美しいと感じがちなものはつい反射的に敬遠してしまう。自分がそう捻くれてしまった要因は、やっぱりその幼少期にあるんじゃないかとも思う。

もう一つは今の病気のこと。昨年の夏から精神科で鬱病と診断されている。ただこれは、鬱病が原因で京都タワーもグレーに見えたりする、というより、もともとそれがグレーに見えていたりすることの結果が鬱病という判定である、と言えそうな気がしている。体温が38度という閾値を超えれば熱であるという風に、精神的な異変の閾値の先に鬱病という言葉があるというか。鬱病は過去にも患ったことがあるのだが、現状とも共通しているのは、希望を見失った時、とでも書けばいいだろうか。30歳ぐらいの頃、ギャラリストの仕事がクビになって、そこから続けていた東京でのバイトの日々を惰性に感じ、目標も展望も失いただ生きてるだけの自分という存在がむなしくなっていってた時だった。現状のパターンもそれと似ているが、今回はそこに年齢的な問題も重なっている。発病当時すでに37歳で、(今こうしてその年齢を書くことも恐ろしく感じてしまうのだが、)この年齢で一体これから何をどう転換し、生活を安定させ、希望を持つことができるというのか?という悩みが募りに募っている。

ただ、こないだ杉田俊介氏の鬱病日記という著書を読み、自分はまだそこまで重度では無いとも感じている。というか、先にも書いたように、鬱病とはある閾値を超えた際に与えられる記号のようなもので、その要因は様々であって、だから自分の場合は何なのか、これをもう少しよく考えてみる必要がある。

一つは、杉田氏の著書の中にもあった優性思想という言葉が関係している気がしている。自分のなかにもそれが内在しているから、自分で自分を苦しめるような思考をしてしまう。年齢的な話で言えばエイジズムとも言えそうだ。つまり、自分で自分を差別している。これは、とても良くないことだと思う。自己否定は他者否定でもあるのだから。身体的に健康で生きているだけでも恵まれているのだし、年齢は誰もが等しく年を取っていくものでもある。幸い鬱病は昨年と比べてだいぶ回復している。身体も動く。行動活性化という言葉もあるように、できるだけ活動していくことが肝だと思う。写真とはまだ思うように向き合えてないけど、マズローの欲求五段階説的に考えれば、自身の生活を良い方向に持っていけるよう行動していく(安全の欲求をどうにかする)ことで、また自ずと、あらためて写真とも向き合えるようになるんじゃないかと考えている。

他者の情につけこんで自分の身をまもるような事をする…この癖は自身の今の調子悪さ/そもそもの弱さの震源にあるものという気がしている。40を手前にして人一人養えるどころか自分すらギリギリoutである、、仮にそんなことを誰かに言って、同情を買えたりしたところで、得れるのは束の間の安心。同時にそれは相手の心配を消費してもいる。だからそこにずっと居るのはヤバい。

「写真家」や「アーティスト」といった存在になりたいと思って今まで生きてきたわけではない。ただ成り行きで今ここにいるだけ。それがいくつかの問題を生んでいる気がしている。一つは、前述したような既存の肩書きが自分をラベリングして、同じようにラベリングされた人たちのことを自分と比べてしまうようになること。これが無駄に自己否定を生む。もともと写真を始めたのは、それが単純に楽しいからだった。そしてそこから美術のことも色々触れるようになってはきて、社会問題への関心も深まったりもした。けどそのことと、権威にラベリングされ、また評価されることとは、ベクトルが違う。違うのだけど混同していたということなのかもしれない。

特に3月はキツかった。学校も休みだし(あったとしても週に2回ぐらいなのだけど)、とにかく外出の必然がなかった。逆週休2日とでも言ってしまえるぐらいに、家にいることがほとんどで、その時間が余計に自分を蝕んでいく実感があった。忙しすぎても気が病んでしまうけど、暇すぎることも同様なんだなと。時間があるからたくさん本を読めたりできるとか思っていたけど、実際は滅入る一方で身体が思うように動かなかった。京都から大阪に戻ってきてというか、墜落してきてというか、そんな中でようやく学校と掛け持つバイトを探しはじめ、先日やっと決まった。髭タトゥー金髪OKのローカルカラオケ店。これが無事継続できれば、最低限のお金の心配もひと段落はつく。

ざっと書いたこれらの事には、他方である問題意識が根深く刺さっている。端的に言えばそこに将来設計的な見通しは何もないということだ。学校の講師業は非常勤だし、掛け持つ仕事も普通のアルバイトなわけだから。本来の自分なら、そうした状況ではいけない、そう考えていた。けれども今は、そこまでは断定的に考えてはいない。それが絶対にダメなわけではないと思いはじめてきている自分がいる。この感覚の変動は、自分の身の周りにいる人たちからの影響も大きいと思う。そしてこの点について考えることは、40代を手前にした今後を生きていく上で重要のことのように思う。

幾つかの著書を読んだり、展覧会等を訪ねたりしたことも、この感覚の変動の後押しになっている。その中で、直近で読んだ「暇と退屈の倫理学(國分功一郎氏著)」という本についての個人的な消化もまたここに書いてみたい。

昨日は卒業式だった。一年は早い。これまで「学生」のことを学生さんとか学生氏などと敬称していたけど、それが不自然のことのように思えていた。なんでだろうか?初年度から自分も年をとったということもあるのかもしれない。それか、敬称や敬語を使うことで、逆に距離を置こうとしていたのかもしれない。気が知れてくると結局いつもタメ口になっているし、その方が喋り心地は良い。言葉遣いが相手との距離感を変容させるということは、敬語を使いがちな自分にとっては一つの罠なのかも。敬語をベースとしているゆえに、風景に映る人々のことを遠巻きに見ている。そんなことが起きてないだろうか?

最近は何事に対してもやる気がなかなか出ない。自分がなんで写真をやっていることになっているのかも、よくわからなくなってくる。ただ、誰かの写真を見ていると、やっぱり写真は面白いと思うようにもなる。この感覚には救われる。なんで救われると感じるのか?今は休みすぎていて、無駄に考えがめぐりめぐって、絡まって落ちていくから。写真が目の前にあるという単純なことによって思考のめぐりから解放されている感じ。