昨日は本を届けに菜々子さんの店へ、今朝は高橋さんの引っ越しの手伝いへ行っていた。先日から書いているように、外に出ることすらキツイ状態だったものの、これはある種のリハビリであると思い、ダメだったら途中で引き返せば良いと思って外出した。実際何度かああダメだと、土日で人が凄いし雨だし片道3時間ぐらいかかってるしとか思って実際何度か引き返そうとなった時もあった。ただいざ当人と会って、会えば自然に言葉がでてきて、そうして話していることで自然と不安は消滅していった。こうやって人と話していると自分がホームポジションへ戻っていくような感覚がある。自分が信用し会いたいと思う人達はおそらくみんなも僕のことをなにかしらの視点で存在を認め理解してくれていて、会う事でそれを自分も半ば無意識に実感することになっていて、そうして自分像を思い出すというか、立ち上がってくるというか。そうしたことなしに自己否定が続くと本来の自分を見失って余計に自己否定の声を真に受けてしまう。あと、タロット占いをしてもらったのだけど、そこでこの自己否定と思い込みとを紐づけて研究してみようと思った。思い込みのせいで信用する人を失ってしまったことがあるし、そういえば20年近く前にもそれで親と衝突もして、どうもそれを今まで引きずってきている気もしているし。

このしばらくの自分の状態はかなり不安定で良くない感じがしているけど、健康的に生きていくためにも、この状態と建設的に向き合っていきたい。今のこの状態を引き起こしている要因の震源には、意識が内側に向きすぎている、ということがあるのだと考えている。そしてそれによって、僕自身に内在している偏見が、そのまま自己否定という形で自分に跳ね返ってきている。結果として自分をいじめる自分という奇妙な存在が現れているという状態になっているわけなのだけど、この存在は往々にして社会からいつのまにか植え付けられたもので、多くの人がそれに飼われているんじゃないかと思う。だからこれとの闘い方にもバリエーションがあって、例えばちゃんと就職して出世して、というルートを辿ることは正攻法的な向き合い方と言えるんだと思う。ただそのルートの中には多様な困難があって、途中で振り落とされていく人も数知れない。自分も早々に振り落とされたようなものだ。そして戻りたいとも思わないわけだから、完全に背を向けれていたつもりだった。けれども日々を過ごしているなかで、自分が背を向けたつもりでいたものは大きすぎて自分をまるっと包み込んでいて、だからどの方向へ背を向けても無駄ということを、最近やっと実感している。

今はとにかく誰かと接すること、誰かの目に触れることだけでさえ不安が起こる。スーパーのレジで会計をする時でさえ軽くめまいがするぐらいだ。それでバイトを辞めることは決心できた。ここに後悔はない。個人や催事のマイノリティー性に対する一部の差別的な空気には兼ねてから嫌気もさしていた。急な休みで負担をかけてしまった同僚の人たちには申し訳ないのだけど。でも逆によくこれだけ長くやっていたとも思う。完全な退職はまだ先だけど、この環境からは解放された身にはなっているから、もう少し休めば案外状態は回復していくのかもしれない。

他者がいるということを意識する時、その想像は他者から僕へ向けられたものでは、実はなくて、他者を経由した僕自身の偏見に基づいていることを分かっておきたい。こうしたことは言い換えれば、他者の観察が不足してるということでもある。もしくは、相手を相手のまま受け入れ、認めるという大らかさが不足しているとも言えるのかもしれない。

この数か月、気分の浮き沈みが激しい。ネガティブの時の実感は基本的に自己否定で、それは偏見が自分へ逆照射されている感じだと思う。先日37歳になった事も脳裏に分厚く張り付いている。肉体的なことは除いて、年齢の実感には大きく2種類、客観と相対的な実感とがあると思う。前者は社会が持つその数字通りの印象で、後者は家族や友人、職場の同僚等を通した実感。この構造があるからしばしば「もう○○歳なのか」といった印象と実際の齟齬も起きる。バイト先も人は毎年変わるし、オープン当初の同僚はもうほとんどいない。学校も毎年生徒は変わる。細胞の代謝が遅くなるにしたがって時間の流れにも鈍感になるからどんどん歳をとっているようにも感じる。年齢を烙印的に感じてしまうことも結局は社会的な視線に囚われているということで、言ってしまえばイリュージョンとも近いことなのだけど。

朝4時半ぐらいに起きてそこから自転車で朱雀宝蔵町へ向かった。ラジオの収録と題してお相手になってもらう梶谷さんの微光という珈琲屋が朝5時から9時のオープンで、その営業中の様子も含めて録るとどうだろうという想いがあった。実際、事前のやりとりのなかで梶谷さんも同じ提案をしてくれていた。現地に着いたのは6時半ごろで、既に複数の人で賑わっていた。珈琲を淹れながら久々の挨拶をしてくれる梶谷さんの笑顔はまっすぐにこちらへ向けられていて、それが形式的な礼節としてではなく動物的応答のような、ごくごく自然なコミュニケーションのように感じられ、同時に今の商いの場にこうした笑顔は壊滅的に見ないことも思う。微光の左隣に座り収録機材を広げる。目の前にかつてどんと建っていたはずの建物が取り壊され、白のフェンスが張り巡らされている。僕もかつてここに2年住んでいて、市場卸売市場の再開発が進んでいることも聞いていたけど、実際にこうして大きく変化した景色を目の当たりにすると思いは複雑になる。何かが刷新されるというのは聞こえは良いが、政治の絡む多くのそれは技術による意志で、そこに人々の声は等閑視されているケースが殆どという印象もある。一時的な状況ではあれど、空はとても広く見える。青空は早朝の空気もあってかより透き通って見える。この日大きく印象に残ったことの一つが、来る人来る人が、梶谷さんだけでなく収録機材と一緒に座っている僕にもごく普通に接してくれることだった。それはごくごく自然な距離感と呼べるものと思える。知らない人と話すということは、本当は特別では無い、そういう実感の記憶が深層から立ち上がってくるようだった。この感じはマニラでもあったことだ。そういえばもともとここに住んでいた時も、この地域なんだかよくわからないけど東南アジアっぽいな…と思っていた。忙しく行き交う市場の人々の表情も眺めながらその意は一段強くなる。当時は早朝に出歩くことがなかったから。今月で店をたたみ、次月からは一般的な労働環境にあえて身を置こうとしている梶谷さんはとても泥くさく生きているように見えた。この地域の人々もまたそんな風に見える。以前にラジオ上でお相手してくれた人々の顔も浮かぶ。今自分がリスペクトしているワイルドという感覚はこの泥臭さという言葉と重なる。

昨晩浸かった湯船の温度を43から44度に設定したおかげか湯上がり時の風呂に入った感があり、今朝の目覚めも良かった。天気が良かったのも一因であったとは思う。先週に引き続き今週も徳永先生の授業の手伝いのために大学へ行く。授業は写真の原理にまつわる内容で、自分はサポート役でありつつもしばしば普通に授業に聴き入っていたりした。隙間時間にかねてより構想している描画用カメラオブスクラの話をすると、まさしくそれを以前作ったということを教えてくれて、結構驚いた。そんな人がこんな身近に現れるのか、と。18世紀の画家カナレットという人物が使用していたと言われているモデルを元に紙や虫眼鏡等で作ったらしい。ぜひその実物を一度見てみたいと思った。昼休みにインスタグラムを開くと梶谷さんから返事が来ていて、それはラジオのオファーを受け入れてくれる旨だった。以前住んでいたシェアハウスの関連で知り合ったその人の独自の活動と、その活動を支える姿勢とがここのところずっと頭の片隅に張り付いていて、それで思い切って連絡してみたのが先週くらいだったので嬉しい返事だった。梶谷さんは詩を書いているのだけど、話は変わって昨日、山下さんの小説も届いた。就寝時、読書灯をつけて少しだけページを覗くつもりが気づけば半分くらい読んでいた。今晩も続きが楽しみだ。さっきシャワーを浴びながら、それまで流れていたポッドキャストがドリキンさんのやつで、いわゆる散財的なトピックだったのだけど、自分はあらためてお金は生活に必要な分だけあれば良いと思えた。周りの人々が既に自分を豊かにしてくれていると思えている。