最近あえて「キョロキョロ」するようにしている。例えば電車のなかにいる時とかでも、誰かの挙動が視界に入って気になったら、意識的にそれを「みる」ようにしている。これまではそれを不自然な行動だと自分で捉えてきている。けど最近は、気になっているのに気にしていないフリをする方が自分のからだにとって不自然だと感じはじめている。実際そうすることで楽な気分になることは多い。被害妄想や自己否定がそれによって緩和されるからだと思う。誰も自分を気にしてないことも自分の目を通してわかるから。
こういう風に、コミュニケーションにおいて何かを我慢することはストレスになっている気がずっとしている。上記のこと以外で言えば、自分は声が小さい。けど、小さい声で喋り続けること自体は、自分にとって自然ではないと感じる。声が小さくなってしまう時は、「キョロキョロ」できない時と近い心境なのだと思う。つまり何かしらの理由で自分を自制していて、それが癖づいている状態。たぶんその理由も同様のもので、目立つことを避けようとしているからなんじゃないか。これが基本にあるような気がする。
なんで目立つことを避けようとしているのかというと、端的に言えば自分に自信が無いからだろう。自信の根拠は、自分が置かれた社会的立ち位置に依拠していて、また高校生の頃の体験とが二重にあると考える。自分は中学までかなりうるさい生徒だったものの、高校に入るとそれがかえって仇になり怖い先輩に目をつけられる結果になってしまったりした。そういうことが現体験的にあるんだと思う。中学まではうるさい生徒と言った。それもまた自分のベースである。このベースに自分にとっての「自然」があるのだと思う。
昨晩はとある合唱部にはじめて参加してみていた。その時も結構緊張した状態でいたのだけど、最後の方、歌いながら他の人たちの様子に視界を送ってみたら、みんなも一生懸命に歌ってる姿がそこにあって、それがなんだかよかった。合唱だから当たり前なんだけど。同じ曲を一緒に歌ってはいつつも、一人一人にとって歌うという行為の意味や要するエネルギーの感覚は違うだろう。それが見えた気がしていた。