昨晩メールを送った精神科医の方からは昼間に返信があり、この医者が、という情報をもらうことはできなかったけど、医院を選ぶ点で気を付けておく点を教えてくれた。その中での「相性」というのは一つ大事な点で、それは実際に会ってみてからでないと分からない。そしてその点を踏まえれば、そもそも彼と僕自身が面識を持っているわけでもないのだから、個人を紹介する訳にもいかなかっただろう。あとは営利的な雰囲気には警戒した方が良く、具体的にはTMSを勧めていたり、心理士が予診を取るようところは気を付けた方が良いということだった。藁にも縋る思いで訪れる場でもあるからこそ、こうした点は案外見逃しやすいのかもしれない。大橋さんからもメッセージが返ってきていた。見ず知らずの人間からのコンタクトに対する返信はたいていが淡白になるもの。むしろ、そうで無い人は稀な方だと思うのだけど、大橋さんは作品集の印象にたがわずその稀に当てはまる文面だった。氏のトークイベントで足を運んだのは今は無き心斎橋のスタンダードブックストアで、確か12年ぐらい前だったと思う。また関西でもイベントをやってくれるという話で、「その時はまた会いましょう!お互い生きて。」という文末に思わず涙腺が緩む。これまで見てきたすべての写真集。そこにインスタグラム上の個人メッセージやりとりという画面が加わって、作家の存在の立体感が一段増す。本気で生きている人の存在が自分の身体の中で一瞬カッと煌めくような、とか書くとちょっと大げさかもしれないけど、でもそれくらいに熱いものを感じた瞬間だった。俺も本気で生きてかないと。バイト先で看視の人達と直に連携する機会が増えた事が兼ねてより億劫だったけど、日々色々な気付きもある。当たり前だけど、見た目以外に話し方、動作、手順、間、視線、話す話題、全てが違う。ものすごく当たり前の事なのだけど、自分にとってはちょっと新しい気付きになったりしている。15時半過ぎに一緒になった人は、看視の中で最も個性がにじみ出ているように思われる人だった。話した事はあまりなかったけど、客が一瞬引いたタイミングが良い機会だと思い「救心って飲んだ事ありますか?」と唐突に聞いてみると、よく飲んでいる、お勧め、ということだった。既に6、7人に聞いていた中ではじめての服用者だった。「だって社会不適合者やろアンタぁ」と言われたところで入場客の波がやってくる。ハンドヘルドでチケットを読み込む係のその人は「ハイッ、ピッってしますねー。チケットワンバイワーン、って岡田君の仕事まで奪っちゃってピッ、ピッで、ターンレフトですー。あ、ターンライトやった。」と張りのある声で小気味よく入場処理をこなしていく姿が可笑しく、自分は軽く腹を抱えて笑っていた。

朝の4時半に目が覚めてこのまま起きようかと一瞬迷って結局寝る。バイトも無い今日は午前中にジョギングと洗濯、食事を済ませて友人の展示を観に行くことを計画していた。結局二度目の目覚めは11時前だった。昨夜はいつもより異様に眠気があり、19時頃には夕食前に30分ほど寝落ちしていたし、布団に入ったのも22時頃だった。そういえばこの一週間ずっと動悸がしている。心臓を内側から不意にノックされるような感覚で、痛みなどはまったく無いのだけど、普段は無いことだから不安感はつのる。ストレスや疲れのせいなのかもしれない。何年か前にも同じ事があって、その時は数週間経って自然となくなった。動悸と言えば救心が連想される思考回路はメディアの影響によるものと思いつつネットで調べてみて、なんとなくそれは一種の漢方という印象だった。場合によっては試してみてもいいのかもしれない。咳もまた続いている。これも2年くらい前のこの時期にあって、明確な原因も結局はよく分からなかった。何かしらの身体からのメッセージであることには違いない。西洋医学で押さえ込むことはできると思うから日常に支障が大きく出てくる場合は頼るしか無いと思いつつ、その繰り返しで今後の人生をやり過ごしていくのかもしれないと思うと、根本的な何かに進路の重心を置く必要性も考えたりする。ストレッチを軽く終わらせて20分だけ走る。気になった道を見学していく感じで走っていると時間はあっという間に過ぎる。高台であるこの土地はもともと全部が山だったんだろうか。どこを走っていても視界にはよく緑が映る。ジョギングから帰り風呂で汗を流し、適当なシリアルで腹を満たして(これは体調にとっての悪用意その1なのかもしれない)友人の展示場へ向かう。展示物は案外に少なく、テキスト等もなく出展者も居なかったので滞在時間は想定していたより短かった。せっかくなのでその足で京セラ美術館の京都グラフィーも見にいく。平日だったがGW期間ではありやはり混んでいる。川田喜久治展に入る。世界の終焉を物語るようなイメージの連続。一見平穏な日常に潜在する不穏が可視化されているようで、美術館全体の大型連休ムードとのギャップとも相まって一瞬眩暈がする。後でメモを見返すと、情緒をひきさく意味でのコントラスト、ロゴスの写真家、写真という画具画材、といったことをメモしていた。最後のメモに関しては自分が思っていたより氏は写真のメディウム性へも意識を向けている人なんだということ。銀塩からインクジェット、手漉きの和紙やインスタグラムという流れを見ながらそうメモしたのだと思う。「データに変換された映像は、みな古い光と訣別したように見えるのが不思議です。モニターにあらわれる不意の顔には新しい影をしたがえ、私と同時性の空間を漂っているのです」という言葉が最後の部屋にあって印象は確信に変わる。真剣に見ている様子の人もいれば、デートのつまみのように流していく人もいる。連休中の館はどこかショッピングモールのような空気すら漂う。ジブリや村上隆といった有名な展示が行われていることもあるだろう。色々な人の目に触れることの意義は大きい。けど例えば動物園ではパンダが注目される一方で野生生物の生活環境について書かれたキャプションに足を止める人はごく少数であるように、こうした効果の単位で繰り返される運営は消費という大きな構造の中で宙吊りになっているも同然とさえ思えてしまう。これを書きながらも時々、不意に鼓動が脈打ち、あまり集中することができない。久々に抗うつ剤を一錠飲んでみると気持ち治った気はした。ある作家の友人は通っている精神科の先生が精神疾患と芸術との関わりに理解のある人らしく、創造性が失われない程度に処方された薬を服用していると言っていたことを思い出す。京都にもそういうところは無いものかと少し探してみて、少し悩んである精神科医の人へメールを送ってみた。その人は研究者で、一般の診察をしている人では無いし、そういった連絡はお断りの旨も書かれていたけど、過去に作品の件でちょっとした接点があったことから良い事を教えてもらえそうという確信はあり、ダメ元で。今日は他にも大橋仁さんにファンメッセージ的に連絡を送ったり、柳沢英輔さんのWSが参加したかったけど関東で無理だったことを呟いたりした。返信を期待せずこちらから何か伝えたいと思うこの感覚の大切さを思い出して行きたい。

ダメもとで制作したレジデンス申請書類を添付したメールを送信した時は既に日をまたいだ深夜だった。締切が今日28日の17時までということを3日前に知り、慌てて準備していた。そのまま一晩眠り、朝にもう一度見直してから送付するのが通常だけど、少し迷ってそのまま送信することにした。今はとりあえず次、次と進めていく感覚を優先させたい。最高気温が31度だった今日は半袖でバイト先へ向かう事にした。ちょうど手に取りやすい場所に掛けてあったものがファックくんTシャツというもので、中指を立てている風のキャラクターがたくさん描かれている。5年くらい前に東京で偶然知り合ったギタリストの日高さんによるもの。有名なバンドにも関わっていつつ、個人の作品はいわゆるギター弾きそれとは一線を画しているものだった。京都での彼の演奏を聴いた日、自分の感想を伝えると「音にある情緒とかをそもそも疑っている」という旨のことを話してくれた。その時の口調には現世への大衆的な価値観に対する憤りのようなものがあるような気もしていた。ファックくんという発想にも合点がいく。それを着て出た道中に限って、欧米人の観光客団体が向かいから歩いてきており、狭い道だったからそのなかを逆流せざるを得ず気まずかった。バイトの最後のポジションがテラスの近くで、少し動けば東山の山並みが一望できる場所だった。客もほとんどいないタイミングだったので定位置から離れ、新緑にそまった連邦を網膜に映し続ける。眼が回復する感じがする。「何されてるんですか?」と近くにいた看視さんに聞かれ「山を眺めています」と言うと笑われる。規則が多く固い空気感の職場だから、職務中に山を眺めるということをおかしく思われたのかもしれない。今月から看視の人と関わる機会が増えている。それはポジション配置の都合で、そのことを知った当初は億劫な気持ちだった。総合案内とは共通認識が微妙に異なる中で、阿吽を合わせる為の労力を割かないといけない配置設定が効率的と思えなかったし、全体で100人くらいいそうな看視さん一人一人に毎回、はじめまして的な気を遣わないといけないのも憂鬱だった。実際僕は愛想が悪い。いちいち挨拶することは極力避けている。挨拶は常識的なコミュニケーションである、ということを分かっていながらできない。20代半ばの一時の自分はそれを問題視して、矯正してやろうと思っていたけど結局変わらなかった。思い返せば小学生の頃から人の言うことが聞けず先生にしょっちゅう怒られていたからもはや遺伝的な性質なのかもしれない。でも先生のことは好きだったし、可愛がってもらえていた自負もある。つまり他人が嫌いという訳ではなく、ただ形式的な慣習に自分も乗っ取る理由が分からないというだけなのかもしれない。今日の1日で個展とグループ展と話が動き始めた。自分が写真にのめり込むルーツ的な土地でもある大阪での久々の個展は、学校のギャラリーだから学生の人達との新たな関わりの機会にもなればなとも思える。グループ展は自分が理想としていた形の開催になりそう。

お菓子の価格が1.5倍近く上がった頃からもう何年も経ってる気がするけど、価格が戻る気配は無いし仕事の給料も上がらない。普通に過ごしてても食費は毎月3万以内におさまっていたはずが、それも超えるのがすっかり普通になった。日本がすでに腐り切っていたことを気付くのが遅かった自分が悪い。昨日は学生の人達の感想への返信に結局一日かかってしまっていた。月曜に皆で観に行った京都グラフィーの展覧会の感想を各自、グループLINEにシェアしてもらっていて、その投稿8人分に対して一人ずつ返信を書いていた。義務では無かったけど、こうしてやりとりを重ねていくことで、写真にまつわる色々な言葉が少しずつでも彼ら彼女らの身近になっていく期待があるし、自分自身、書きながら得れる事もある。そして今日は昼からまた一人で会場を周っていた。しまだいギャラリーのルシアン・クレルグと京都文化博物館・別館のクラウディア・アンドゥハル、それから堀川御池ギャラリーのKG+SELECTに立ち寄った。クレルグの写真にはいわゆるロマの人々の日常が写されていた。根本君から話には聞いていたけど、こういう感じなのかと(写真は半世紀ぐらい前のものにはなるが)思いながら観ていた。その後に見たアンドゥハルの写真にはアマゾンの先住民ヤノマミの姿があった。ロマとは国も住む環境も異なるけど、どちらも「地」と共生的に生きていると自分の中で結び付きはじめる。ロマもヤノマミも資本主義構造からは完全に外側にいて、生きる為の最低限のものしか多分持っていない。KG+SELECTも印象的な作品がたくさんあったけど、中でも紀成道という人の作品には一番足をとめていた。見せ方が面白く、こんなシンプルな仕掛けで見え方を深められるのかと驚いた。写真のイメージの質は時代性も物語るものだけど、こうした見方をすることで、今後その質がどんな変化をしていくのかに思いを馳せれたのも良い体験だった。堀川御池ギャラリーを出て、今日はもう帰ろうと思い歩きはじめたところで外国人の老夫婦に呼び止められる。「Do you speak English?」「Very little…」この返しがどれだけ適切なのかに戸惑いつつ、相手は「Kyoto City Hall」が何処なのかを知りたいようだった。ああ、京都市役所って英語でそう言うのかと思いつつ、僕も土地勘は無いからGoogleマップにすぐさま頼る。すぐそこのバス停から15番に乗れば7分ぐらい、徒歩でもこの道をまっすぐ20分くらいで着く場所のようだった。幸いこれぐらいなら英語フレーズも詰まらずに出てくる。諸々を伝えると旦那さんの方がアリガトウと、胸に手を当てて軽く頭を下げて礼を言ってくれる姿が印象的だった。道を尋ねられる距離感は良いなと思う。フィリピンの思い出も蘇ってくる。今度はレジデンスとかそういった形で中長期の滞在がしたい。そういうことをまた想像した。色んな作品を一挙に観たせいか頭痛がする。けど嫌な感じは無い。良い刺激になっている証拠だ。そんなことを思いながら歩く自分に「36」という重力がかかる。前に進もうとする気持ちがそれに抑えつけられて楽しい妄想がみるみる遠ざかっていく。この重力はあと一ヶ月ちょっと経つと「37」になるらしい。思い返せばそうして事あるごとに自分へ烙印を押し続けてきた。少し冷静になればそれが社会の声であって本当の自分では無いと考えることはできる。でも完全に払拭できてはいないから、こうして足が止まってしまう。一方でこうも思う。自分へ烙印を押し続けてきた約20年の間、それでもなぜか好き勝手なことを続けてきている。「声」に染まり切れない自分がいる。その意味で「俺」は自分で思っている以上にしぶといのかもしれない。それに、自分自身を最も楽しませてきたのも「俺」だと思う。楽しいと思えることが無くなれば死ということになるんだろう。現代を生きることには現代特有の困難があって、自殺はその結果の一つである。つまり社会が人を犠牲にしているという風に最近は考える。いのっちの電話をする坂口恭平は現代の救命救急医にも見えてくる。こんなことを考え出す前も後も、この日は空一面が群青の快晴だった。少し視界を降ろせば山の稜線と雑多な人種が行き交う町並が見えることも変わらない。