初めての一人海外

先日までマニラ、台北、バンコクと廻っていた。人生迷走閾値に達したことがトリガーになり、以前一度フィリピンに行って以来思いを馳せてたことに、作品集を海外へも渡らせたいという気持ちが後押しとなって。3週間ほど過ごした中年初めての一人海外という時間は日々事件の連続で、良い事悪い事が雑多にあり、書き残したいことはたくさんあるけど、色んな人と交流した時間が一番しんみりとある。それは道端で一言言葉を交わしただけの人達も含めて。

マニラではとりわけ自分が普段よりオープンマインドになってる感があった。初一人海外での高揚もあっただろうし、現地の人々の南国的な気質に影響も受けていたのかもしれない。一方それに関して、現地の生活に浸透するテクノロジーとの相関性も思っていた。例えば信号機が無いから走ってくる車に手をさっとあげて道路を渡ったり、駅に券売機が無いから行きたい駅を口頭で伝えて言われたペソを支払ったりする。グーグルマップがしばしばあてにならず毎日のように人に道を尋ねていたけど、大阪に戻りふと駅で道に迷った時、訪ねても自分で調べろよって思われるかな…となって結局ポケットからスマホを出していた。暮らしを便利で円滑にする技術は他方で、人一人ひとりが接しあうキッカケを減らしてもいく。そしてそのことが人自体をも変質させている。あっちは日本よりもここでいう技術の浸透具合は浅い。だから当時の自分は開けていたし、出会った人々もまた同じようだった、とも言えるのかもしれない。

「利他」とは何かという本で中島岳志さんが、インドで重い荷物を持って必死に階段を登っていたら手伝ってくれた人がいて、精一杯の感謝を伝えると、逆にムッとして去っていったという話があった。当たり前のことをしただけ(”純粋な贈与”)なのに異様に礼を言われるから(それが”交換”になってしまい)変な気持ちになった、みたいな話だったと記憶している。もともと純粋な利他は半ば自動的に作動するもの、つまり人の意志の外側にあって自然環境のように機能しているメカニズムであるとも言えるのかもしれず、片や様々な物事を人の意志に落とし込もうとしてきている近現代だからそこに軋轢が起きる。時にそれが感謝を伝える言葉だったとしても。思えば”言葉”も複雑な技術だし、その上に幾多の物事が成り立っている。そして僕は現地語も英語もできない身だったから、言葉以前の領域でのコミュニケーションもしばしば起きていた。人々との一瞬一瞬の関りの余韻にある温度的なものは、そういうところからも来てるのかも。

マニラの巨大なショッピングモールに足を踏み入れた時の”安心感”にも驚いたり。慣れない海外という、また日本と比べて治安が良いとは言えない感じの環境下で突如訪れる安心感は、自分が日本でよく知っているそれとここは同じ空間である、というユニバーサルを、視覚的に察知したからなのかなと。無論それもテクノロジーの歯車の元に駆動し自律的に波及している(そこでsimカード買って設定に難儀してたら各店舗から4人ぐらいわらわら集まってきて皆で助けてくれた。モールなのに昔の商店街みたいな空気だった)。

今回2000円ぐらいで買った華奢なカートに作品集40冊を詰めた段ボール箱を縛り付けて歩いていた。これは7年前に東京でティッシュ配りしてた際、同じスタイルで大量のポケットティッシュ入り段ボールを運び歩いていたことに由来するある種の一人ボケだった。各国の空港でも行き交う人々は皆スーツケースで、このスタイルは一人も見かけなかったのに、ツッコんでくれる人とは出会えなかった。でも本は幾つかの書店で扱ってもらえる事になり、雑誌で特集してもらえる事にもなりそうだし、飲み屋で絡まれた酔っ払いのおじさんにも多分喜んでもらえてたので良かった。