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今日たまたま太田さんとLINEしていて、また、あさりさんのツイートをみて、感じたこと。ある個人がその感性で作っているものがあり、一方でそれに魅力を感じる人がいる。ある個人はその作っているものを、相手に直接届けることができる。これはとても目指したい生き方だと思ったのだった。同時に、その過程である制作作業に楽しさばかりを求めることのナンセンスさを思った。制作作業が楽しくて仕方無いという人は稀だし、太田さんはよく知っている人でもあるから尚更だった。必要なのは努力であるという、とても単純なことを今書いている。太田さんもあさりさんも、努力の上に今が成り立っている。

ここ数年の、どこか迷走している実感(常に迷走しているようにも思えるが…)、これについて今書いてて気付いたのだけど、この数年、働いている時間が減ったことが関係してるのかもしれない。社員として働いてた時とかと比べて、自分だけの時間が増えた訳だけど、その時間をうまくコントロールできていないことに問題がある。つまり「やるべきことをサボっている」。日々の家事といった雑務にいちいちスタックしてしまうことも、その言い訳として機能してしまっている。普通に働いてる最中はそれなりに努力している状態だと思うが、ひとたび人目から離れればそれができなくなるという、典型的なやつだ。

そう考えると、展示の機会を得てないことの問題性が見えてくる。この数年、まともな展示をしてない。まともな展示というのは、過去作をただ出品するとかではないやつ。展示の準備は基本一人で進めるものだけど、そこに課せられた責任はそこそこ自分を突き動かしてきた。

自分には自分の土俵がある。それは作品に現れる視点的な話だけでなく、これまでどんな境遇で生まれ育ってきたのかという社会的地位も含めて。学歴も無いに等しく、馬鹿に生きてきていることを今一度考えていく必要がある気がする。努力すれば必ず報われるということはない、けど自分が理想とする姿の必須条件であることも間違いない。