小原さんの展示をみて

先日、大阪の福島区にあるphoto gallery SAIへ。ここでアシスタントを長く務めている大石さんの誘いや、東京で知り合った美術家の吉國さんがトークイベントで聞き手をするからというのもあってだった。展示されている小原一真さんがどんな意思でどんな作品を作っている人なのかは、この日初めてまともに知ることになった。

過去に大石さんと話ししたりしてきた中で、作者に対して、グローバルに活動されているフォトジャーナリストという肩書きのイメージだけがぼんやりあった。そこには、主に政治的な問題をフォーカスし、社会へ共有を試みるという使命感があり、例えば紛争地域をドキュメントするカメラマンといった存在などがイメージに浮かぶ。マグナムなんかはそこと直結していると思うし、最近だと林典子さんや郡山総一郎さん、IMAでお会いした苅部さんの姿も思い浮かんでくる。

一方で僕は、そういった問題に全く無関心のまま大人になり、現在に至っている。いつだって政治的なニュースは見ないし、第二次世界大戦についても、教育の過程で幾度となく訪れる学びの機会を、無視するでもなく、ただ無自覚に素通りしていた。3.11や9.11は確かに記憶にもまだ新しい。けれどそれも液晶画面越しに目の当たりにしたことであって、その向こう側を想像する力が自分には無かったのだと思う。その一つの出来事によって、多くの人々が考え方を激しく揺さぶられ、その後の人生を大きく変えている。それも事実として分かってはいながら。小原さんがトークの中で「事件の翌日、当時高校生で、クラスメイトが『映画みたいだった』と言っていたことを今もよく憶えている」と話をしていた時、多分、僕も同じようなことを言ってたんじゃないかと思ったのだった。

目の当たりにすることが、液晶画面越しである。ということが、一体どういうことなんだろうと、あらためて考えさせられる。言うまでもなくそれは写真に通じる問題で、そこに「reality」という、今回のトークイベントの主題でもあった言葉もあらためて浮かび上がってくる。

人はなにかを経験することができる。それは人がある種の受容体であり、物理的な刺激を五感から取得し、それを電気信号に変換し経験として備えることができるから。脳は、蓄積した経験をブレンドでき、だから結果的に予測も出来るようになる。つまり一つの出来事と遭遇しても、それまでにどんな経験をしてきたかによって受け取り方は変化する。そして、だから「液晶画面越しにその映像をみた」という時間自体のリアリティは共通のものとしても、「液晶画面越しになにをみたのか」ということのリアリティは、どうしても解釈が多様になり、また散漫ともなる。

ジャーナリストの作品全般に対しては、強いストレートさが目立つという印象がある。その立場の作品全般から受ける印象に、ここでいう散漫さが少ないのは、そこに写される題材の多くが、私たちが経験的によく知っている体験としての痛みや喜び、愛情といったことの、その顕在化されたイメージであることが多いからじゃないかと思う。文化や情勢の違い以前に、傷ついた肉体や、表情の喜怒哀楽がなにを意味するのかは、文化や情勢を理解していなくても、分かるし、分かってしまう。 写真(現実を、平面の視覚情報へ圧縮したものとしてのリアリティ)は、だからそうした事実の報告に多用されるし、実際に強く訴えかけてくるものがある。それを、ここでは「目に見えやすいもの」と言い換えてみる。

その一方で、痛みや喜び、愛情といったものの一つ一つには様々なケースがある。そうした、僕ら自身がよく知っている、数え切れないぐらい細分化された感情のディティールは、写真という平面へ圧縮される過程で、どうしても失われやすい。例えばそこで「痛み」という言葉は、細分化されたそれを包括した単語に過ぎない。そしてその言葉に包括された中身ほど「目に見えにくい」。だからそこへフォーカスしようとするほど、どうしても「目に見えやすさ」がぼやけていってしまう。つまり抽象的になっていく。それは、私たちが最もシンプルな形で共有しているイメージから遠ざかるということ、すなわち、パーソナルな方向へ向かっていく事になるのだから、当然と言えば当然なのかもしれない。

けれど、だから見えにくいしよく分からないのだとしても、それは事実として確実に存在している。だから、その目に見えにくいものを表そうとする時、その事実を確信として捉えていることがまずなによりも大事になってくる。

小原さんはここでいう「目に見えやすいもの」を捉えているジャーナリストではないことは明らかだった。もう少し厳密に言えば、「目に見えた」ものから確かに感じ取ったことに突き動かされるようにして、あるいはそれを辿るようにして、徐々に「目に見えにくいもの」へと辿り着いていく、そうした変遷があるんじゃないだろうか。だから、その経験のなかで、自身に最も強く刻まれたなにか、という強い確信をもとに、どうそれを表すことが適切であるのか、これを真摯に試みているように見える。

トークの後半では「自分が何者なのかについてを考え続けていく」ということも話ししていた。ジャーナリストとして、とても抽象的なことへ直向きに進み続けている存在を目の当たりにするのが、自分には新鮮で、またどこか強く励まされるような気もした。

さっき、「シンプルな形での共有事から遠ざかること=パーソナルな方向へ向かっていく」と書いた。つまり作品の抽象化が、パーソナルということへ合流していく。そうすると進むその先には、1人の個という、ぽつんとした物理的な存在が見えてきそうな気がする。その個を見つめ、向き合おうとすることが「自分について考える事」なんじゃないだろうか。そして、そうした個々の思索が行き交い、敷衍する結果としての無意識が「人間についてを考える事」なのかもしれない。それは、個と個は完全な同体にはなれないけど、結合したり、近くを漂ってたりして、互いの存在を認識し合っているそれら個々を包括する場のようなもの。その場では僕らという種の最も根底にある、普遍的ななにかが交わされている。もしかしたらそこに「自分が何者なのか」の重要な回答があるのかも。横浜トリエンナーレでのキャタルソンの空間にみた個(孤)による合奏や、畠山さんの著書の「そこには寂しさなどではなく、大きな意味での連帯と、それがもたらす喜び」という一文なんかも思い出す。

根本君の展示をみて

去年の12月頭に東京で展示する機会があったこともあり、その時も一週間ほど向こうに滞在していた。たまたまその期間中、友人の根本君がCAFというアワードに入選し、グループ展に参加しているというので観に行っていた。彼とは美術施工のアルバイトで知り合い、作品をはじめてみたのは1年ぐらい前。「彫刻をやっている」と聞いていつつ、そのジャンルをまともに観たことがなかった自分にとって、実際に見たそれは「立体」という形式としては確かながら、漠然と持っていた彫刻というイメージからは大きく外れたものだったことを記憶している。僕は彫刻の歴史や美術の文脈についても詳しくないから、論理的な解釈はできない。しかしながら彼の作品には漠然と好感を持っていた。人柄を知った後に作品を観たから、というのもあるのかもしれない。ただ、それは言い方を変えれば、彼という存在と作品との印象のギャップが無いとも言えそう。

そういえば彼の過去の展示で「ペニス屋さん」というものがあった。彼がペニスという題材をしばしば扱う時、それは性器としての神聖さをなんとやら、というよりは、どこかセルフポートレートのような主張を感じるものがある。ペニス屋さんは、その言葉の背景にある放送禁止用語的な意味性を、屋台という老若男女に慣れ親しまれた普遍という記号に対応させているように見える。その屋台にある「おバカな落書き」的装いには現代感もあるし、それら全体のバランスが彼のロジックと風刺を示すカラーにも感じる。そうした展示が上野公園という場所で行われた事実は、ある意味でボディ・パフォーマンス・アートの属性を彷彿させられるようでもある。

「自分は手先があまり器用ではない」と言いつつ彫刻という手段を続けていること。またそれによって完成されたいくつかの作品を見ていると、決してそれはハンデや技術不足などではなく、むしろ筆跡のようなものとして作品の構成要素になっている。そうした「くせ」はしかし本来、平均化されていくもので、例えば写真にも技術という一つの正解があり、そこに向かって皆が修練を重ねる。その技術的な正解というのは、社会に設定された指針であり、受験勉強とも似て点数化しやすく、高ければ高いほど優秀とされる。

そして現代の一つのエポックとしての人工知能が促す、ここで言う「くせ」という問題についてを思い出す。前述した技術的な正解というものの価値は、一方でテクノロジーの急速な進化によって、相対的に淘汰されていくと言われている。携帯電話の登場が、親の電話番号を暗記する必要を無くしていったように、いまある知識や技能の価値は、単純なものから淘汰されていく。だからその対局にある抽象的なことの価値が相対的に増すし、そこで新たにヒトらしさとは何かも問われる。だからこそ不器用であることを自覚しながら、それを扱うところには先見性もあると思う。

CAF賞で展示されていた作品「つくられた壺」は、土のような素材でできた壺が複数、台座の上に配置されている。一つ一つには古代の壁画のような絵が描かれていて、その絵と壺の外観は共に手ぐせ感も現れている。絵は、人の動作の様子が多く、中には掴み所のない不思議なポージングのものもある。そして五つの輪が描かれた絵の存在によって、それらが現代のスポーツの祭典を背景の一つとしていることに気付く。長い歴史を持つ装飾品としての壺は、賞賛や威厳といったイメージを持つトロフィーとも重なる。少し調べてみると、古代ギリシャでは当時のオリンピックの様子を描く壺絵というものがあったらしい。そして当時の”祭典”は、スポーツという点では共通しながらも、常識や倫理などの面で、現代の感覚とはかけ離れた部分ばかりだったようでもある。ちょっと調べた程度なので、確信はない。ただ「オリンピック」という祭典に自らの「手」を介在させるという行為に、「屋台」に「ペニス」を掛け合わせたそれとの重なりを感じたのだった。壺の表面に残された肌理は、祭儀や儀礼といった文化を通してヒトについてをなぞろうとした軌跡にも見える。またそれは、ヒトが大衆化することによっていつも生まれてくる、あらゆるディストピア的思想に対して中指を立てることの、その真摯さを見るようでもある。

辻田美穂子さんの作品

辻田美穂子さんの作品を一挙にみる機会があった。北海道で毎年開催されている東川国際写真祭で出会った辻田さんは当県在住で、写真家の共通の知人きっかけで話しかけてくれたのがちょうど2年前だった。「サハリンを撮っている」と何人かからそう紹介されていた時は、まずサハリンというのがなんなのか、場所なのか、物なのか、人なのかもよく分かっていなかった。のちにそれは北海道の北にあるロシア領の島であり、元々日本の領土で樺太(からふと)とも呼ばれていることを知る。日本の歴史にかなり疎い僕は、だからなんとなく、そうした社会問題に関連するドキュメンタリーなのだろうかと安易に想像してしまったこととは裏腹に、それは彼女のとてもパーソナルな部分からはじまっていた。その地へは2010年から通い続けているという。

辻田さんの作品に受けた感銘の一つは「言葉」だった。彼女のウェブサイトや、BRIDGE STORYというホームページには写真と一緒に、彼女のテキストが添えられている。それは毎晩欠かさず書いている日記のようだし、当時を振り返りながら綴る私小説のようでもある。写真とテキストの関係性や、その境界線みたいなことについては、人それぞれ、作品それぞれに様々な意見や結果があるけど、彼女にとってそれはどういうことだろう。2016年に個展をした時は、ウェブにあるようなテキストは展示せず、全日在廊し、来場者一人一人と直接話をしていたという。

そういえば僕も最初、まず写真を見せてもらい、そのあと辻田さんから直接「話」を聞いていた。この作品に至るまでの経緯や、写っている人物について、この時なにがあったかなど。そしてその話を聞いた後に再び写真を見ると、最初の時と比べて、そこに写っている世界はじんわりと彩度が増しているように感じる。それは解説されたことで与えられた理解というより、一度その世界に足を踏み入れた記憶があるかのような感覚に近かった。後日、ウェブサイトにある文章を読みながら、「ああ、この話してたな」と、その時聞いていたことを何度か思い返す。そして「読んでいる」ということが「聞いている」ことのようにも思えた。話と文章の両方は「言葉」として共存している。それはまるで一枚一枚の写真自身が語っていることのようにも思えるし、見えないイメージとして、写真が写された印画紙の束を包み込んで同居しているようにも感じられた。

もう一つ、写真に写る穏やかな光のなかには、透明な影みたいなものが差しているように見える。それは言葉によって写しだされているのかもしれないし、自分が勝手に見ているものかもしれない。ただ僕はその影にもとても豊かなものを感じたのだった。それはどういうことだろうか。

このことについて考えながら数日が経ったある時、ふと、以前にテレビで観た、ある人物の密着取材のことを思い出す。その人は肉体的な問題をもち、だから生き抜く為に様々な対策をこうじながら日本社会で暮らしている。「依存できる対象が一つしかないと、万が一それが無くなってしまった場合、命に関わる。だから常に複数の対象をつくる。それは管のようなもので、太い一本を持つのではなく、細い管をたくさんめぐらさないといけない」というような話だった。その話を僕は、自分の精神的な部分とかさねながら観ていた。僕はおそらく家庭環境で起きた出来事から、特定の人物に素直に向き合うことを、無意識に避け続けている。その自分の臆病さをまるで指摘されているように感じ、目が離せなかったのだった。もしその太い管が千切れてしまった場合の痛みを、ただ恐れて、結局向き合いきれなかったいくつかの過去が、今も自分の後ろめたさになっている。

辻田さんの「旅」は多分サハリンの以前からはじまっていて、迷うことや俯くことも繰り返しながら、自身に内在する意志も少しずつ確かに見据え、今まで歩き続けてきている。そんな姿を僕は想像し、強い感銘を受けると同時に襲ってくるなんとも言えない気持ちに突き動かされながら感想を書いている。ナージャ、彼女の家族、街で出会う人々、風景たち。BRIDGE STORYのテキストにある「ある日みた夢」や「暗い水底にずっと沈殿している」というその影は、今サハリンで流れる穏やかな時間という光を浮かび上がらせている。

北千住 O’keeffeでみた城下浩伺さんの展示

城下浩伺さんの展示を観に北千住のO’keeffeへ。城下さんと出会ったのは確かもう5年ぐらい前。作品を作っている知り合いの人のなかでも、その活動を特に精力的に続けられている方の一人。ケント紙にGペンと墨汁を使って、気が遠くなりそうなくらい緻密な画を描いていて、微視と巨視の二重性を感じさせられる作風も一貫している。

今回の展示も、例えば奥の間にある小作に、それを鑑賞する距離によって見え方が変わることを感じていた。この日の僕には、一見そら豆。すこし近づくとなにかの細胞。さらに近づくと人の群衆のように見えた。それはまず形象の認識にはじまり、距離が縮まることで、その形象の濃度として見えていたものが小さなパーツの集合体として浮かび上がりはじめ、最後は作者の筆跡へと辿りつく。この小作の場合の筆跡は数ミリの線で、真俯瞰で観た時の人の肩幅のような形に見え、線と線との間隔も手伝って、人が集まっている様子にみえたのだった。

ペトリ皿で培養されるカビが形成するコロニーの、その形の一定性とは対照的に、城下さんがキャンバス上に描く形象に均一性はなく、その筆跡の動向は、まるであてどない探求のようでもある。いつ描くことを終わるのかという質問に「ここで終わりかな、というときがある」とおっしゃられていたのも印象に残った。そんな筆跡はまるで作家の”あしあと”にも思える。またそれは画を構成する最小単位という意味で素粒子的、その集合による全体は、ある一つのものが様々な意味に捉えられるという多面性、多層性ということ自体の抽象でもあると感じた。

Ragnar Kjartansson「The Visitors」をみて

先日観に行った横浜トリエンナーレでいくつかの作品に強く感動したことをメモ。Ragnar Kjartanssonの「The Visitors」はミュージシャン一人ずつが違う部屋に別れ、無線のヘッドフォンを通して音のみを共有しながら、全員で一つの曲の演奏を試みる、その様子を映像でとらえたもの。展示室の入口は遮光カーテンで仕切られていて、入ってみると中はかなり暗く、またとても広い。100インチ超の大きなモニターが計9つ、十分な感覚で点在するように設置されている。1つのモニターに一人の演奏者がほぼ等身大で映されていて、少し離れたところからだと、その演奏者一人一人の様子が、暗闇にぽつりぽつりと浮かび上がっているように見渡せる。

会場の中心あたりに立っていると全体のハーモニーを感じられる一方、個々の映像の付近にそれぞれのスピーカーがおそらく設置されていて、ひとつの映像に近づくとその演奏音もよく聴こえるようになり、演奏者の動作や表情を詳細に観ることもできる。本来セッションは、ひとつひとつの音がミックスされた状態で鑑賞者に届く。しかしこのインスタレーション的空間の場合に、自分の足でそのひとつひとつへ任意に”近づく”事も出来る。

会場は、投影された映像以外に明かりは無い為、映像ひとつひとつに目を移していく時、その真っ暗という”間”が、個人と個人の間に横たわる深い隔たりのようでもあり、演奏者一人一人の孤独さをより強く感じさせるし、その個人から発せられるエネルギー的なものを適切に引き立てるフレームのようにも見えた。映像から伝わるリアルさは、演奏者が等身大に近い大きさで投影されていることも手伝っていたと感じる。

畠山直哉さんが言っていた、今回のトリエンナーレのテーマの一つである”接続性”とは、”孤立”があるからこそ成立するもの(「一人一人が地に足を着けて生活している、それが前提になって手をつなぎ合うということ。」と言っていた)という言葉や、先日このブログにも引用した言葉が何度も頭を過った。そして孤独というものがいかに孤独ではないか、を少しだけ理解できた気もした。

この作品を鑑賞している間、なぜだか涙がぼろぼろ出た。今回のトリエンナーレでは他にもいくつかの作品でうるうるしていた。The Visitorsを含めどこかメランコリックな成分に弱い自分を感じたし、「音」というエネルギーの鑑賞に慣れていなかったせいもあったかもしれない。ただそれらを差し引いても強い作品だった。人間も生きものであり、生きものそれぞれが持つ純粋なエネルギーの迫力、あるいは心地よさみたいなもの(例えば演奏者の、叫ぶように歌う様子はオオカミの咆哮、弦楽器を奏でる様子は鈴虫の鳴く姿とも重なった)の余韻がずっと残っている。そのエネルギーを”孤独”と呼べること、そしてそれが”調和”することに対しての感涙でもあったのかもしれない。