柴田敏雄さんの個展「31 Contact prints」を観に、乃木坂はgallery ART UNLIMITEDへ。2004年頃から転じたというカラー作品の、4×5インチのネガによるコンタクトプリント近作31点。感覚としてはハガキサイズに近く、展示写真としては小ぶりなもの。一枚ずつ、主に余白を広くとったマットで額装されていた。柴田さんの展示作品は基本的に大きい印象だったのでまず意外だった。ネガは4×5なので、135等のベタ焼きのような、写真の前後関係や一連が見えるといった内容では無い。
柴田さんは、風景そのものが持つ一般の意味とは別の表層(それは時に異様な生き物のようだったりする)を写すことを基本姿勢として持たれている印象がある。その異界への眼差しは、大きく引き伸ばされたモノクロームにより、綿密かつ迫力を帯びた風景となって定着されている。一方で今回のカラーのコンタクトは、それらの写真が発する迫力は控えめになる。そこに代わるものはなんだろう。近づいて見ると、粒子が凝縮された高濃度の美しいプリントだし、基本的には引き伸ばしが前提であるネガを、そのまま扱うという意外性、特別性の面白さも勿論あるとは思うのだけど。
展示に寄せた文章を読んで、撮影から印画までの一連にかかる時間について考えた。写真という媒体はこれまでの歴史の中で、その形態の変化を続けている。そしてその時代の集積が人々の価値観を多様にもさせてきた。その背景を十分認めつつ、今回の作品を制作されている側面はあるのだと思う。それは現在からみれば「手間」で、面倒と見なされる悪的な要素があるし、なにより作品のイメージと大きくは関係しないことのように思える。しかし時間はその消費量と比例して、消費者の記憶にも影響する。薄れたり、深まったり、何かへ溶け込み混ざる事もあり、それは制作行為自体へ影響するはずでもある。絵画一つをとっても画材や方法論が無数にある。同じように、写真のこうしたアナログプロセスも、物理的な側面は勿論、経過する時間そのものを扱う一つの技法とも言える。
また、冒頭でも書いた通り、展示サイズが小さい為、これまでの柴田さんの作品を鑑賞するのと同じ距離(つまりその小作をすこし離れた場所)から眺めていると、当然ながら細部は見えなくなる。すると色彩や線、輪郭といった、名辞ではない、それを構成する要素個々の存在が浮かびあがってくる。そうして見えてくる新たな表層は、これまでに観た大作の超現実的なイメージとも重なる実感があってそれも面白かった。これでまた大作を見返す時、また別の見え方も表れそうな気がする。前述した時間のことも含め、こうして「見る」ことの考察を一層促されたのは、それが一枚の小さなコンタクトプリントだったからなのだとも思えた。