Humankind (上)を読んで

ルトガー・ブレグマン著「Humankind 希望の歴史」の上巻を読んだ。「人間は、実は良い生き物なのではないか?」。録音の肉声というポッドキャストに出演していた森旭彦さんが言ったその一言は、当著に由来することらしく、気になってポチったのだった。

この数年の自身の感覚は、この本に書かれている「ミーン・ワールド・シンドローム」による傾向と一致していた。1970年代にメディア研究者のジョージ・ガーブナーという人が作った言葉らしい。ミーン・ワールド・シンドロームとは、「マスメディアの暴力的なコンテンツに繰り返し晒されたせいで、世界を実際より危険だと信じてしまうこと」を指し、「症状は、冷笑的な考え方、人間不信、悲観的な見方」であり、「ほとんどの人は自分のことしか考えないといった意見に同意しやすい」「個人としての人間は無力で、世界をより良くすることはできないと考えがち」「ストレスが強く、落ち込むことも多い」とのことだった。どれも当てはまる…。

ただ、実際に世情は混沌としていて、それが人間によることというのは事実。なにより思うのは戦争、自殺、日常的に起きている犯罪、あるいは犯罪とまではいかなくとも、ちょっとした嫌がらせなど、色々ある。地球環境にとっても、人間という生き物は危機的な負荷をかけ続けている。幾多の種を絶滅に追い込んできたのも人間だ。自分個人にも様々な後悔があり、こんな風に生まれてしまって葛藤を覚えることも少なくない。ざっと書いたが、思いっきりミーン・ワールド・シンドロームなのかもしれない。けど、そう考えてしまうことにどんな間違いがあるというんだろうか?

「世界を実際より危険だと信じてしまうこと」とあるけども、「実際より」とは、どういうことなんだろう。自分が事実だと感じているものが、そもそも過剰な反応だということなのかもしれない。けど、そこにはどんなメカニズムがあるというのか?

それが少しでも分かればと思うので、特に印象に残った箇所を引用しながら自分なりに整理してみる。

まず、この本で繰り返し主張されているのは、人間は本来、友好的な動物であるということ。そして同時に、人間は心理的に臆病で、惑わされやすい動物でもあるということ。

惑わされやすい、ということについては、以前にジェンダー目線の広告観察や認知バイアス辞典等を読みながらフムフムと感じていた部分だった。広告観察の本では、人間の意識とメディアの相関関係についての記述が印象に残っている。当著には現代の、たとえば美容や、男性性主張等の広告が多く取り上げられていて、過剰な”かくあるべし”の啓発でもあるそれらが人々の価値観を歪ませている。そうした営利主義的な視覚情報が過度に発信されてしまう背景には、倫理観が昭和から未更新の業界構造の存在によるところが大きいという話もあった。

Humankindも、同様にメディアについての言及が多く見られる。メディアを受理する視覚は人間の脳のパフォーマンスの約8割を占めてるという話もよく聞く。だからこそ、見るものは意識的に選ばないといけないとあらためて思う。当著は、前述の内容とは違って、言及するメディアは主にジャーナリズムによるもの。だから例えばニュースをちゃんと見るとか、そういうことが大事という話なのかと言うと、そうではなく。答えはそう単純じゃなかった。

実際、著者のブレグマン氏は、ニュースを見ることに警鐘を鳴らす。なぜか?端的に言えばその情報はインプレ数を稼ぐ為であることが殆どだから。氏が言うには、過去数十年の間に、極度の貧困、戦争犠牲者、小児死亡率、犯罪、飢饉、児童労働、自然災害による死、飛行機墜落事故は全て急激に減少していて、自分達はかつてないほど豊かで安全で健全な時代を生きている。しかしそのことが報じられることはない。例外的な事故事件ほど人々は注目し、ニュースとしての価値は高まるからだ。

例えば飛行機事故は1991年から2005年までの間で一貫して減少したという。けどそれによって逆に、1件の事故へのメディアの関心は高まる。飛行機は年々安全になってるにも関わらず、人々はそれに乗ることを恐れるようになる。別の研究では、移民、犯罪、テロに関する400万超の新聞記事を含むデータベースを調べ、「移民や暴力の数が減ると、それらに関する記事が増える」というパターンを見つけたらしい。「従ってニュースと現実の間に相関はなく、むしろ負の相関があるようだ」と結論づけられていた。(ちなみに氏の言う「ニュース」はセンセーショナルな事件を報じる最も一般的なジャーナリズムであり、その全てを否定してるわけではない。「多くのジャーナリズムはわたしたちが世界をより理解するのを助ける」と書いている)

上記の事実があるにも関わらず、ニュースで報じられる負の側面ばかりが前面に出てきて、それに影響されてしまいやすい要因には、一つに生物学的な特性がある。それは、人間は良いものより、悪いものに敏感だということ。狩猟採集民族時代、蜘蛛やヘビなどを怖がった人間の方が生き残ることができた。「人は、怖がりすぎても死なないが、恐れ知らずだと死ぬ可能性が高くなる」。これはネガティビティ・バイアスと呼ぶらしい。インプレ稼ぎも、このバイアスあってのことではないかと思う。

またもう一つのバイアスとして、アベイラビリティ・バイアスというのも書かれている。手に入りやすい情報だけをもとに意思決定する傾向。何らかの情報が思い出しやすいものだと、それはよく起きることだと思い込む。世の中は悲惨で卑劣で無惨な事件の数々が取り上げられるが、そうしたことは記憶に残りやすい。従って個人の世界観に浸透しやすく、またそれが日々のなかで無意識に増幅し、いつのまにか自身の意思の構成要素の一部になっているという感じだろうか。ニュースによるある種の焚き付けが、いかに人々の意識を構築していっているのかがよくわかる。(実際、30カ国の人々に行われた取材で、どの国もその圧倒的多数が「世界は悪くなっている」と答えたという。)

余談、ニュースは例えば日本国内のテレビであれば、前述した広告観察の本の話みたいに、発信する業界構造自体の問題もありそう。他方、ネットで入ってくる情報には、XやGoogleをはじめとして、シリコンバレーが送ってくるターゲティング広告なんかもある。AIの隆盛もあり、マイクロインタラクションといった機能によってかなり高い精度で興味を引かれる情報が届くようになった。「現代のメディアの狂乱は、平凡に暮らす人々への攻撃に他ならない。正直に言って、ほとんどの人は平穏だが退屈な生活を送っている。」「心にとってのニュースは、体にとっての砂糖に等しい」といった一文がここに沁みる感じがする。

さっき狩猟採集民族という言葉を使ったけど、この本では、人類を考える上での根源的なキーとしてそれが多く言及されている。しかし今こうして都会で暮らす自分にとって、狩猟採集民というのは遠い遠い昔で、世代も離れすぎているゆえに遺伝的にも遠く、全くの他人事のように感じる。だから当時の感覚を現代へ引き合いに出すことにどれだけ意味があるのだろうかと思う。ただこれに関しては第3章にも書かれているように、もっと巨視的な視野で人類というものを捉える必要があることに気付かされる。

「地球上の生物の40億年におよぶ歴史を、一年に置き換えてみよう。10月中旬まで、バクテリアが地球を占領していた。11月になってようやく、わたしたちが知る生物が現れた。脳と骨を持つ動物や、蕾と枝を持つ植物だ。そして人類は?私たちが登場したのは12月31日の午後11時頃だ。その後の約1時間を、狩猟採集民として過ごし、午後11時58分にようやく農業を発明した。ピラミッドと城、騎士と貴婦人、蒸気機関とロケットなど、私たちが「歴史」と呼ぶことの全ては、午後0時直前の60秒間に起きた。」

人類史ってそんな最近の話なの?と感じるけど、そういえばサピエンス全史には、およそ600万年前には人とチンパンジーの最後の共通の祖先がいたとされ、250万年前にはホモ(ヒト)族の進化と石器の使用が確認されていたとあった。その頃からを狩猟採集民と数えるなら、農業革命は約1万二千年前とあるから、人類は99%以上の期間を狩猟採集で暮らしていたということになってくる(諸説あるが、おおかた9割は超えているということで間違いなさそう)。そうした情報を読んでいると、自分達のDNAはまだまだ当時の環境を生きていると考えても良さそうな気がしてくる。飽食の時代に自分がお菓子を買い込んでしまう癖も、それで説明がつく(?)。

サピエンス全史といえば、サピエンスはネアンデルタール人を絶滅させた張本人である的なことが書かれていたのを覚えている。だから我々の祖先はつまり、やっぱり残忍な素性を持っているんだなと。しかしブレグマン氏はこの説に異論を唱える。というのも、サピエンスが生き延び、ネアンデルタール人が滅びたのは、氷河期(11万五千年〜1万五千年前)を耐え凌げる協調性があったからだと言う。これは著書内では天才族と模範族という例えで説明される。つまるところ、ネアンデルタール人は脳も大きく、サピエンスから見れば天才族なのだが、社会性(コミュニケーション能力)がなかった。だから例えば釣竿を発明したとしても、その発明をシェアできる友人は平均一人ぐらいしかいない。一方サピエンスは社交性がある。脳は小さいから釣竿を発明できる個体はかなり少ないものの、一度発明すればシェアするし、多くの友人もそれを模範できる。結果として、天才族よりも模範族の方が、全体としてスキルを持った集団になる。氷河期を生き延びれたのもそうした社会性、協調性があったからなのではないか?という話。

化石研究で人類同士が争っていた痕跡がある系の話も、近年ではそれが捕食動物や大型の猛禽類による傷跡だったりなど、いろいろとわかってきていることがデータとして書かれている。人類同士が殺し合うことは確かにあったかもしれないらしい。けどそれは小さな集団の中で、その調和を乱すような性格の者がいて、そうした者が同族から殺されたという話。この話は同時にこうも受け取れる。獰猛な遺伝子は淘汰され、穏やかな遺伝子が残っていく、と。ギンギツネの研究の話にもあるように、人類はこうした流れに沿ってより温厚な種族になっていった、と。

ここまで書いて、人類が根本的に協調性があり基本温和な生物であるということは、なんとなくわかった。また、そうした人類が世情を暗く見ていることには現代のメディアと人間の心理が関係していることも知った。じゃあしかし、もともと協調性、社会性をもって生き延びてきたはずの人類が、なぜ今日も戦争をしているのか?

これについては、人類が移動をやめ、定住しはじめたことに端を発しているらしい。定住をはじめたことで、格差が生じ、また今でいうプライバシーの概念が誕生したりした。それが人類史に最初の、そして修復不可能な亀裂を生むという話だ。

狩猟採集民は常に移動を続けていた訳だけど、豊穣な土地と出会ったことで、人類は団結して厳しい自然に立ち向かう必要がなくなり、移動するよりそこにとどまるほうが得策だと判断する者が出てきた。そこまでは良かったのだろうけど、定住を本格的にはじめたことで、人は各々の敷地を主張するようになっていく。家が建てられ、村が形成されて人口も増える。そして人々の所有物も増えていくことになる。ルソーはこのことを、「最初に誰かが、杭や溝で土地に囲いをして、これは俺のものだ、ということを思いついた。」と言って嘆いた。実際、ここから全てが悪い方向に進み出す。

もともと狩猟採集民に所有の概念はあまりなかったという話がある。食料は常に分け与えていたし、自身が自然と一体であるという感覚がベースにあるということを想像すると、不思議では無い。だから定住がはじまった当初、最初に陣地を主張した者は異端だったのかもしれない。けれども土地は広いから、じゃあ私も、となって(模範族であるから)、自然とそのムーブメントが定着していったのかもしれない。

そしてこの頃に、最初の戦争が起きた。人類が定住を始めた時期に、最初の軍事要塞が築かれたこと。弓の射手が互いを狙う洞窟絵画が最初に描かれたこと。暴力の傷跡がはっきり残る人骨が見つかりはじめたこと。これらが時期的にも重なっているという。なぜ戦争が起きたのかを学者陣が考える理由は少なくとも二つあり、一つは争いの原因になるものを人が所有するようになったこと。もう一つは定住し始めたことで、見知らぬ人に対し不信感を抱くようになったこと。狩猟採集民はオープンマインドで、見知らぬ集団と出会っても争うようなことはなかったらしい。しかし定住がはじまると、自身のコミュニティや所有物への関心が強まり、逆にコミュニティ外から来るものに対して警戒心を抱くようになった(確かに、クローズドマインドな旅人の話はあまり聞いたことがない)。

やがてその警戒心から、見知らぬ他者や集団に対して団結し、戦うといったことが起きていったとある(今でいう分断の起源とも言えそう)。そこではリーダーが出現し、戦場で活躍しカリスマ性を見せると、その地位は固まっていく。いわゆる権力の登場。1%の人が99%の人を抑圧し、口先のうまい人間なんかも出世していく。農耕革命の裏側では、こうした定住と私有財産の出現による新しい人類史が生まれていた。これは現在まで続く「社会」の起源でもあるように思う。

それまで大きな争いを起こすことはなかった人類が、土地やモノを所有するようになったことで時に凶暴化するようになった、という話に関連する、科学的な事例がある。それはホルモンの一種であるオキシトシン。

「人間を最も優しい種にしているメカニズムは、人間を地球上で最も残酷な種にもする」と言ったのは、子犬の研究者ブライアン・ヘア氏。ここで言及されるオキシトシンというホルモンは、愛情ホルモンとも言われ、出産や授乳に重要な役割を果たしていることは以前から知られているらしい。またオキシトシンは人間をより優しく穏やかで、のんびりした気性にさせるという。実際そのホルモンが獰猛な狐を人懐っこい子犬のように変えてしまう。

しかし2010年アムステルダム大学の研究者たちが、オキシトシンは友人に対する愛情を高めるだけでなく、見知らぬ人に対する嫌悪を強める、ということを発見したという。同じ人類として狩猟採集民の頃からオキシトシンはあったと想像するけど、定住がはじまり生活環境が変わったことで(主に所有やコミュニティの概念が強まったことで)、そのホルモンの負の性質が前面に出始めたということだろうか。このことは増々つまり、人類が変わったのではなく、環境の変化が人類を変えた、と言えてきそうな気もしてくる。

実際、マーシャル大佐の話(戦争に参加する兵士たちの殆どは殺意がない)や、ミルグラムの実験の被験者達の話(致死に至る電気ショックを与える指示を受ける被験者の動機は善意的な同調性)を読んでいると、人間の根源的な部分は現在も変わっていないように思える。他方で環境というものは本当に大きく変化してきた。15万年前頃、サピエンスの数はおよそ100万人ほどだったらしい。そののち定住生活がはじまると、村同士の衝突が起こり、コミュニティは街へ、市へと拡大しやがて国家が誕生する。そして現在、人口は80億を超え、機械技術の発明と普及による余剰が人類の生活をさらに変革させている現状がある。今からその80億人が狩猟採集民に戻るという考えは現実的ではないだろう。

話がやや込み入ってきたけど、本来温和な種であるはずの人間がなぜ戦争を続けているのか?という問いについては、下巻に引き続き書かれているようなので、また読んでみて整理を続けたいと思う。

ざっとこれを書いていて、あらためて思うのは、テクノロジーの注視だろうか。環境の変化が人を変えるということを書いたけど、テクノロジー、例えば金づちや弓矢といった起源的な技術も、それを手にするだけで人の意識を変化させる力がある。協調性が特性であるサピエンスにとって、技術という、自身のアイデアを外部化させた発明品は、おのずと幾多の人々によって利用される。利用されることで時に環境が彫刻され、そうして生まれる新たな環境に応じて技術は改良され、進化していく。その意味でテクノロジーは人類と一見して相補的である。しかしテクノロジーは人類の意志を超えて自律的に発展しているようにも見える。

今日の昼過ぎ、近所のスーパーの青果売り場で果物をみていると、隣にいたお婆さんに話しかけられた。そこでしばらく立ち話をしていたけど、「心が綺麗な人やな」と繰り返し言われた。「私はそういう人を見かけたらいつも話しかけるようにしてるんや」と。自分では、自分の心が綺麗とはお世辞にも言えないと感じていた。今までの様々な過ちの記憶なんかも蘇ってくる。けど同時に、なんだか励まされるような気分になったのも事実だった。少し前にも、外を歩いていたら道端でお婆さんに「がんばれ、がんばれ」と突然言われて、少し驚きつつ、なんだか嬉しかったこともあった。

時々こういうことがある地元の町には、昭和の人情味みたいなものがまだあって、子供の頃からの慣れ親しんだ友人たちもいるし、近くに大きな川もあるし、閑静な環境だから好きだなと思う。実家も静かで、陽当たりも良い。

そんなことを考えていると反射的に、今出川への引っ越しを控えていることを思い出す。4月から転居することが決まっているけど、その家について思い出しては、陽当たりや音の問題を懸念しはじめる自分がいる。そして、今で十分平和なのだから、別にわざわざ引っ越さなくてもいいのではないか?とか考え始める。実家に帰ってきてから一年以上経っているけど、この間に鬱の症状もすっかり良くなった。希死念慮もなくなったし、減っていた体重も元に戻った。だからこれからもずっとこの町に、この家にいるべきなんじゃないか、と。

そう思い歩きながら、自分はつい、根本的な問題をいつも忘れてしまうことに気付く。

そもそも今はずっとは続かない。もしこの今が続けば、その先には確実に生活的な行き止まりが待っていることも目にみえている。非常勤の講師業をかろうじて続けていた以外、特に何もできていなかったこの実家での時間は、ある意味で時間が止まっていたようでもあった。特に社会的なキャリアも無ければ、年金はずっと免除状態とかだったりもするから、例えば実家に居ながら適当な仕事をなんとなく続けていくだけとなれば、将来は確実に息詰まる。ここでの日々は、苦労こそ無いけど、自分を何かこう、押し上げるようなものも無い。

母との時間に居心地の悪さを感じることも多い。それは、自分の現状をふがいなく感じているからなんだとも思う。母はいつも優しく接してくれている。こうした葛藤は、現社会から植え付けられた感覚が含まれてることも分かっている。その意味で絶対的な答えは無い。人によって向くべき方向は違う。

ただ、今の自分の体調と心境を念頭に置けば、上記の意味でもやっぱり、居場所は実家であるべきではないとなってくる。葛藤は一つの現実として、よく見る必要がある。取り越し苦労や皮算用はやめて、ただ現実をよく見ろという言葉は、今年引いたおみくじにも書いてあった。

そしてこんな自分の行く末を開いていくものが写真や芸術に関するものなはずなのだった。「健康的」に生きていく為の、土くさい何かがそこに必ずあると感じている。コジマさんや岡島さんをはじめとして、様々な人々との交流も思い出されてくる。つまり今出川に引っ越すということの意味は、単に家を出るためではない。回復し、整った状態の自分でもう一度出直す、という感じなのだと思う。時々無意識に京都へ「戻る」という風に言ってしまうのも、こうした感覚から来てるのかもしれない。出直す、ということは、できる限りの「未知」へ向かっていくための今できる行動でもあるんだと思う。

この生活の方向性が、今の自分にとっての親密性を更新していくこととも重なり、変な言い方かもしれないけど、どこか運命的な必然性を感じてもいる。自分が自分らしく生きていくことを目指す先に光を感じるのは、とても恵まれたことだとも思う。

連れ合いの人から送られてきた一枚の写真には、夜空を背景に水色に点灯する京都タワーが写っていた。色がとてもきれいだったからだと言う。鮮やかなカクテルのような色彩で、確かにきれいだなとは思った。ただ、もし自分が同じ場所に居合わせていた時、同じように直感し、そしてシャッターを切っただろうかと想像すると、おそらく切ってはいなかった。むしろ、普段からそういった類のことに対して感動できないことが殆どだ。最近は特に、景色がなんとなくグレーっぽく見えている。だから自分ひとりでこの京都タワーを見た場合、それがきれいであると目に留めることはなかっただろう。

しかし、これは一体どういうことなんだろうか?考えられるのは、自分のもともとの性格と、現在の病気のことの二つ。

性格については、子供の頃から、例えば祭り事の参加に対して消極的で、それ自体を避けているところがあった。二人目の父親の親戚の家庭が、そういった行事を積極的に楽しむところがあったせいか、その家庭にあまり馴染めなかった自分は、一緒に祭りへ出かけることを拒絶して家で一人留守番をしていた事をよくおぼえている(色々あったが、除け者扱いされていた訳ではなかった。家で一人の時はよくテレビゲームをさせてもらっていた記憶もある)。祭りには花火も付きものだが、その当時の記憶が結びついてか、花火に対してもマイナスなイメージを抱いている。実際、打ち上げ花火なんかは目を閉じて鑑賞すると戦争のように聞こえて恐怖すら感じる。その戦争は実際に今も各地で続いている。そうした社会上の現実が花火にあるエンターテインメント性によって上書きされているようにも思ってしまう。テレビを代表とするメディアと似た構図のようとも思う。そんな風に考えているから、人々が美しいと感じがちなものはつい反射的に敬遠してしまう。自分がそう捻くれてしまった要因は、やっぱりその幼少期にあるんじゃないかとも思う。(そこにボウルビィの愛着理論の話も思い出す)

もう一つは今の病気のこと。昨年の夏から精神科で鬱病と診断されている。ただこれは、鬱病が原因で京都タワーもグレーに見えたりする、というより、もともとそれがグレーに見えていたりすることの結果が鬱病という判定である、と言えそうな気がしている。体温が38度という閾値を超えれば熱であるという風に、精神的な異変の閾値の先に鬱病という言葉があるというか。鬱病は過去にも患ったことがあるのだが、現状とも共通しているのは、希望を見失った時、とでも書けばいいだろうか。30歳ぐらいの頃、ギャラリストの仕事がクビになって、そこから続けていた東京でのバイトの日々を惰性に感じ、目標も展望も失いただ生きてるだけの自分という存在がむなしくなっていっていた時だった。現状のパターンもそれと似ているが、今回はそこに年齢的な問題も重なっている。発病当時すでに37歳で、(今こうしてその年齢を書くことも恐ろしく感じてしまうのだが、)この年齢で一体これから何をどう転換し、生活を安定させ、希望を持つことができるというのか?という悩みが募りに募っている。

ただ、こないだ杉田俊介氏の鬱病日記という著書を読み、自分はまだそこまで重度では無いとも感じている。というか、先にも書いたように、鬱病とはある閾値を超えた際に与えられる記号のようなもので、その要因は様々であって、だから自分の場合は何なのか、これをもう少しよく考えてみる必要がある。

一つは、杉田氏の著書の中にもあった優性思想という言葉が関係している気がしている。自分のなかにもそれが内在しているから、自分で自分を苦しめるような思考をしてしまう。年齢的な話で言えばエイジズムとも言えそうだ。つまり、自分で自分を偏見し、差別している。これは、とても良くないことだと思う。自己否定は他者否定でもあるのだから。身体的に健康で生きているだけでも恵まれているのだし、年齢は誰もが等しく年を取っていくものでもある。幸い鬱病の程度は昨年と比べてマシになってきているように思う。支えてくれる人の存在もある。身体も動く。行動活性化という言葉もあるように、できるだけ活動していくことが肝なんだと思う。自分の写真とはまだ思うように向き合えてないけど、マズローの欲求五段階説的に考えれば、自身の生活を良い方向に持っていけるよう行動していく(“安全の欲求”をどうにかする)ことで、また自ずと、あらためて写真とも向き合えるようになるんじゃないかと考えている。

特に3月はキツかった。学校も休みだし(あったとしても週に2回ぐらいなのだけど)、とにかく外出の必然がなかった。逆週休2日とでも言ってしまえるぐらいに、家にいることがほとんどで、その時間が余計に自分を蝕んでいく実感があった。忙しすぎても気が病んでしまうけど、暇すぎることも同様なんだなと。時間があるからたくさん本を読めたりできるとか思っていたけど、実際は滅入る一方で身体が思うように動かなかった。京都から大阪に戻ってきてというか、墜落してきてというか、そんな中でようやく学校と掛け持つバイトを探しはじめ、先日やっと決まった。髭タトゥー金髪OKのローカルカラオケ店。これが無事継続できれば、最低限のお金の心配もひと段落はつく。

ざっと書いたこれらの事には、他方である問題意識が根深く刺さっている。端的に言えばそこに将来設計的な見通しは何もないということだ。学校の講師業は非常勤だし、掛け持つ仕事も普通のアルバイトなわけだから。本来の自分なら、そうした状況ではいけない、そう考えていた。けれども今は、そこまでは断定的に考えてはいない。それが絶対にダメなわけではないと思いはじめてきている自分がいる。この感覚の変動は、自分の身の周りにいる人たちからの影響も大きいと思う。そしてこの点について考えることは、40代を手前にした今後を生きていく上で重要のことのように思う。

幾つかの著書を読んだり、展覧会等を訪ねたりしたことも、この感覚の変動の後押しになっている。その中で、直近で読んだ「暇と退屈の倫理学(國分功一郎氏著)」という本についての個人的な消化もまたここに書いてみたい。

昨日は卒業式だった。一年は早い。これまで「学生」のことを学生さんとか学生氏などと敬称していたけど、それが不自然のことのように思えていた。なんでだろうか?初年度から自分も年をとったということもあるのかもしれない。それか、敬称や敬語を使うことで、逆に距離を置こうとしていたのかもしれない。気が知れてくると結局いつもタメ口になっているし、その方が喋り心地は良い。言葉遣いが相手との距離感を変容させるということは、敬語を使いがちな自分にとっては一つの罠なのかも。敬語をベースとしているゆえに、風景に映る人々のことを遠巻きに見ている。そんなことが起きてないだろうか?

最近は何事に対してもやる気がなかなか出ない。自分がなんで写真をやっていることになっているのかも、よくわからなくなってくる。ただ、誰かの写真を見ていると、やっぱり写真は面白いと思うようにもなる。この感覚には救われる。なんで救われると感じるのか?今は休みすぎていて、無駄に考えがめぐりめぐって、絡まって落ちていくから。写真が目の前にあるという単純なことによって思考のめぐりから解放されている感じ。