南さん達のBBQに誘ってもらって行った場所が京都と滋賀のちょうど境あたりに位置する山間部だった。降り立った駅は無人駅。少し動いてみるだけで土地の表情は全く変わる事を実感する。この頃のメンタル不調でこの日も皆と合流するまではかなり憂鬱だった。自分の家から蹴上の駅まで自転車で向かう道中はたくさんの人で賑わっていた。こうした人混みや、蹴上からの電車内では相変わらず動悸が起きる。目的の駅に着く。電車を降りホームを出ると3人が出迎えてくれていた。そこから話し出すと憂鬱な気分は薄れ、知らない間に動悸もなくなっていく。どうもやっぱり精神的なところから来ているみたいだ。七輪を囲いながら自分の社会不適合性から来る今後への不安視について話そうとすると、他の3人は口を揃えて「ここにいるの全員社会不適合者」と言い、確かにそうだったと思った。そしてその性質をむしろリスペクトしている。ただこの日はそれとはまた別のレイヤーでの不穏な気分があったのかもしれないと、振り返って思う事があった。昨年から今年の初春ごろまでにかけて、ある女性との交際から別れまでの一連があった。それは既に自分の中で完結した事だった。南さん達と会うことは、その過去をきっと振り返えらざるを得ない時間でもあった。結局思い起こされるのは自分の思い込みの問題であり、それは今もこうして重くのしかかっていることだった。あれ以来、他人が自分に言ってくれることをもう少し言葉通りに信じても良いと思うようにはなった。一方でそれ以上に自分の脳内に居る謎の声からの批判は募る。そう、それは「別の誰か」とか「社会の声」と言ったりしてもいいのかもしれないけど、もっと軽く「謎の声」とかいう適当な表現でもいいのかもしれない。お前は誰なんだよと言えるくらいの距離感に持っていく。「俺」からしたら「謎の声」はまともな性格の持ち主。彼の言う事を聞いていれば現社会をそつなく生きられるという意味で。とても変な言い方なのはわかりつつ、「俺」の一方はその声に育てられたという点で、それはある種の父性とさえ言えるのかもしれない。またそんな風に言いつけられ続けていたら反発したくなるのが性でもある。どうでもいいけど、僕は本当の父親の記憶はほぼ全くと言っていいほど無い。口元に生えた髭という部分的な記憶が若干あるぐらいだけど、それが本当の記憶かどうなのかすら怪しい。死別等ではなく幼少期に離婚していたという事らしい。BBQ翌日の今朝、聴いてたポッドキャストで耳に残った言葉で「幸せの感じ方が鈍っている」みたいな話があった。いわゆる貧困と言われる国がみんな不幸面をしてるかと言ったらそうではなく、むしろ平均的な日本人よりも段違いに楽しく生活しているという話。幸せのベースの置き方が変になってるというか。これも「謎の声」としての父の教育が複雑すぎるからなんだろうなと。今日のバイト中、珍しくマネージャーが注意以外の内容で自分に話しかけてきた。「黄色い財布、無事見つかったそう」こないだ総合案内所で対応した海外客のことで、あの後無事財布が見つかり、後日わざわざまた館までお礼を言いに来ていたそうだった。「あのボーイにも宜しく言っといて、って言ってた」boyではなくOssanだけど、聞けて良かったと思った。また海外に行きたい。今朝のポッドキャストで話してた人がニューヨークに移住してから感じる事ととして、基本肯定ベースでコミュニケーションされるという話があった。ボロい変なTシャツを着てたら日本ではこそこそ指を指されるものだけど、あっちではそれいいねからはじまるのが普通らしい。そういう体験もまだまだ自分には必要な気がする。この雑文をしばらく書きながら、もっと面白い感じの文章に変えていくべきかとか、詩っぽくしてみるかとか、gptに食わせてうんぬんとか、先を見越して一冊の形にできそうなものを目指すとか、アイデアを練ろうとするところはある。ただ現状は、「流れてくるものに意識を向ける」というスナップショット的な感じで良いという感じ。いやスナップショットというよりクロッキーと言ったほうが正確か。