湯川秀樹 「宇宙と人間 7つのなぞ」から

ところで、兵卒の数をかぞえるという場合、兵卒のひとりひとりの個人としての人格、個性は無視されているということがあります。兵卒はみな同じものと見なされ、何人いるか、百人か千人かということが問題になっているわけです。敵は五百人しかおらぬのに、こっちは千人いるとか、五百人損害をうけてもまだ五百人いるということが問題であって、個人としての生き死にが問題ではない。そこに非人間化があるわけです。ここでは兵卒としてかぞえられる人間という共通の内容だけをとり出す。つまり抽象すると同時に、個々の人間がもっている特徴は捨てる。つまり捨象するという操作が行われているわけです。(中略)

ところで数をかぞえるというのは、牛なら牛、犬なら犬、それから人間の場合もあるでしょうし、ビスケットやコップでもよろしいわけです。数をかぞえるというだけなら、もはやそれが牛であろうと、ビスケットであろうと、コップであろうと、そんなことに関係なく、同じかぞえるという操作をしているわけです。それは同種というだけで、かぞえられているものの性質は忘れてしまってよろしい。そういう意味でのものすごい抽象化が行われていることでもあります。この場合、抽象化ということは、同時に普遍化にもなっている。つまり数というものは、個々の事物よりも抽象的であるがゆえに、どこにでも使えるようになるわけです。抽象化することによって一般化するといってもよい。とにかく似たようなものがいくつかあれば、それをかぞえることができるわけです。
(湯川秀樹 「宇宙と人間 7つのなぞ」から)