Masashi Mihotani

neurons実験光画

neurons実験光画は2020年4月より、京都でスタートしました。古典的な技法をベースに、色々な人たちと共に制作していく、参加型の実験サークル的な場をイメージしつつ、不定期活動しています。




2021年4月から、ビジュアルアーツ専門学校大阪での非常勤講師の機会を受け、担当したクラスでこの実践時間を設けました。学生の人たちは、それぞれが様々な感性と発想のもと、作品制作の実践を見せてくれました。以下ではその代表的な習作を紹介させていただきます。

 

川畑駿希

川畑君のこれらの写真はフォトグラムのプロセスによるもので、対象には水が選ばれています。私達の生活においてそれは最も欠かせないものであること。また身近であるその液体を経由し、モノクロの印画紙に様々な像が表出しているということ。その事実についてを彼は思索しながら、この暗室作業を繰り返しているようでした。水の物理的な流動性の焼き付けであるこうした実践のモチベーションは、彼自身の人一倍の実験精神にも依拠しています。現像薬品の意図的な誤用により紙に変色を与えるなど、支持体自体へ実験的操作を加えることも、その一環と捉えることができます。




小谷若菜

小谷さんはまず印画紙を折り紙のようにして折り、なにかしらのかたちへ造形させます。それによって一枚の紙は立体となり、したがって複数の露光面が一枚のなかに生まれます。プロセスとしてはカラーフォトグラムで、そこで扱われる素材は、彼女自身が過去にスタジオ環境などで撮影してきた写真です。それらは元々、見たことの無いイメージへの好奇心から、様々な操作を加えつつ写されてきたもの。そこから地続きになっているこの作品は、全暗の場での折るという行為を経たフォトグラムにより、平面でありながら三次元的な性質を帯びたイメージへの変換にも結果しています。




善村仁

善村君は暗室に自身のラップトップを持ち込み、その画面に印画紙を密着させることでこれらのイメージを制作していました。表示させた画像には、NASAが公開している様々な研究資料が選ばれています。何億キロも離れた場所であったり、はたまた電子顕微鏡でしか捉えることができないような、既に肉眼を超越している光景が、電波の波に載り、手元にあるデバイスへと届く。そしてそのことが物理的な紙に定着される。彼は、ここで繰り返されているイメージの変換の問題を意識したと言います。発光することが当たり前になった現在の写真は、その姿を変化させることも容易ですが、液晶画面の像を物理的に写すというプロセスは、真正性を持ってその刹那を定着しています。




YIP TSUN SAN

ベン君(通称)は母国である香港のお札を、フィルムのネガのようにして引き伸ばし器のキャリアにセットし、フレーミングや引き伸ばしをかけながら、これらの写真をプリントしています。紙の通貨に印刷された風景には、知っているようで知らない過去の歴史が散りばめられており、彼のこうした暗室での”撮影”は、自身のアイデンティティをなぞる試みでもありました。元々暗室作業の経験があり、かつデジタルやスタジオライティングの技術成績も優秀であった彼は、その分こうしたプロセスを新鮮に感じ、写真の概念の捉え方が柔軟になったとも言います。




松田莉歩

松田さんの作品は、自身が撮影してきた日々の写真が基となっており、展示としてはモノクロとブループリントが対になる形で発表されていました。モノクロは、レーザー出力した写真を独自の工作によりデジタルネガ化させたもの。ブループリントはそこから焼き付けられたものですが、選ばれているのは、その水洗乾燥時に現れるシワを含めたスキャンデータです。こうした一連による写真の変貌過程の提示からは、変換前のオリジナルにあった、彼女自身の撮影時の判断や感覚といった”個性”自体を、擬視する態度を読み取ることもできます。この時、写真が物理的な作用によって現像されている事実は、彼女がこの実践の中で見つめる疑念を、正確に参照する為の試金石にもなっています。

※neurons実験光画の由来
neuron(ニューロン)は脳の神経細胞のことです。養老孟司は自著 唯脳論の中で、ニューロンは、それ単体自らの出力、外部からの入力のみではなく、神経細胞同士がつながり、その入出力を共有することで、互いの入出力範囲を拡張させている。それが脳が大きくなる要因の一つではないか。という仮説を唱えていて、それはこの場のイメージと重なるものでもありました。

光画(こうが)はいわずと知れたPhotographの純粋な訳語と言えます。この言葉の使用が目立った1930年代初頭は、今でいうコレクティブが同時多発的に誕生し、そのそれぞれで実験的な写真表現が盛んに行われていたそうです。新即物主義やシュールレアリスムの影響も引き受けながら”写真にしかできない表現”を目指す、新興写真と呼ばれたその潮流は、日本写真史の重要な時代の一つとして数えられています。

例えば今のスマートフォンの普及は、コンピュテーショナルフォトグラフィーという、言ってしまえば新しい光学への移行フェーズのようでもあります。指数関数的に進化するテクノロジーと共に拡張が進む現代写真。その概念を背景に、起源的な写真のプロセスを通しあらためて風景をみる時、”光画”という二文字はどこかしっくりくるものがありました。