今日の昼過ぎ、近所のスーパーの青果売り場で果物をみていると、隣にいたお婆さんに話しかけられた。そこでしばらく立ち話をしていたけど、「心が綺麗な人やな」と繰り返し言われた。「私はそういう人を見かけたらいつも話しかけるようにしてるんや」と。自分では、自分の心が綺麗とはお世辞にも言えないと感じていた。今までの様々な過ちの記憶なんかも蘇ってくる。けど同時に、なんだか励まされるような気分になったのも事実だった。少し前にも、外を歩いていたら道端でお婆さんに「がんばれ、がんばれ」と突然言われて、少し驚きつつ、なんだか嬉しかったこともあった。

時々こういうことがある地元の町には、昭和の人情味みたいなものがまだあって、子供の頃からの慣れ親しんだ友人たちもいるし、近くに大きな川もあるし、閑静な環境だから好きだなと思う。実家も静かで、陽当たりも良い。

そんなことを考えていると反射的に、今出川への引っ越しを控えていることを思い出す。4月から転居することが決まっているけど、その家について思い出しては、陽当たりや音の問題を懸念しはじめる自分がいる。そして、今で十分平和なのだから、別にわざわざ引っ越さなくてもいいのではないか?とか考え始める。実家に帰ってきてから一年以上経っているけど、この間に鬱の症状もすっかり良くなった。希死念慮もなくなったし、減っていた体重も元に戻った。だからこれからもずっとこの町に、この家にいるべきなんじゃないか、と。

そう思い歩きながら、自分はつい、根本的な問題をいつも忘れてしまうことに気付く。

そもそも今はずっとは続かない。もしこの今が続けば、その先には確実に生活的な行き止まりが待っていることも目にみえている。非常勤の講師業をかろうじて続けていた以外、特に何もできていなかったこの実家での時間は、ある意味で時間が止まっていたようでもあった。特に社会的なキャリアも無ければ、年金はずっと免除状態とかだったりもするから、例えば実家に居ながら適当な仕事をなんとなく続けていくだけとなれば、将来は確実に息詰まる。ここでの日々は、苦労こそ無いけど、自分を何かこう、押し上げるようなものも無い。

母との時間に居心地の悪さを感じることも多い。それは、自分の現状をふがいなく感じているからなんだとも思う。母はいつも優しく接してくれている。こうした葛藤は、現社会から植え付けられた感覚が含まれてることも分かっている。その意味で絶対的な答えは無い。人によって向くべき方向は違う。

ただ、今の自分の体調と心境を念頭に置けば、上記の意味でもやっぱり、居場所は実家であるべきではないとなってくる。葛藤は一つの現実として、よく見る必要がある。取り越し苦労や皮算用はやめて、ただ現実をよく見ろという言葉は、今年引いたおみくじにも書いてあった。

そしてこんな自分の行く末を開いていくものが写真や芸術に関するものなはずなのだった。「健康的」に生きていく為の、土くさい何かがそこに必ずあると感じている。コジマさんや岡島さんをはじめとして、様々な人々との交流も思い出されてくる。つまり今出川に引っ越すということの意味は、単に家を出るためではない。回復し、整った状態の自分でもう一度出直す、という感じなのだと思う。時々無意識に京都へ「戻る」という風に言ってしまうのも、こうした感覚から来てるのかもしれない。出直す、ということは、できる限りの「未知」へ向かっていくための今できる行動でもあるんだと思う。

この生活の方向性が、今の自分にとっての親密性を更新していくこととも重なり、変な言い方かもしれないけど、どこか運命的な必然性を感じてもいる。自分が自分らしく生きていくことを目指す先に光を感じるのは、とても恵まれたことだとも思う。

連れ合いの人から送られてきた一枚の写真には、夜空を背景に水色に点灯する京都タワーが写っていた。色がとてもきれいだったからだと言う。鮮やかなカクテルのような色彩で、確かにきれいだなとは思った。ただ、もし自分が同じ場所に居合わせていた時、同じように直感し、そしてシャッターを切っただろうかと想像すると、おそらく切ってはいなかった。むしろ、普段からそういった類のことに対して感動できないことが殆どだ。最近は特に、景色がなんとなくグレーっぽく見えている。だから自分ひとりでこの京都タワーを見た場合、それがきれいであると目に留めることはなかっただろう。

しかし、これは一体どういうことなんだろうか?考えられるのは、自分のもともとの性格と、現在の病気のことの二つ。

性格については、子供の頃から、例えば祭り事の参加に対して消極的で、それ自体を避けているところがあった。二人目の父親の親戚の家庭が、そういった行事を積極的に楽しむところがあったせいか、その家庭にあまり馴染めなかった自分は、一緒に祭りへ出かけることを拒絶して家で一人留守番をしていた事をよくおぼえている(色々あったが、除け者扱いされていた訳ではなかった。家で一人の時はよくテレビゲームをさせてもらっていた記憶もある)。祭りには花火も付きものだが、その当時の記憶が結びついてか、花火に対してもマイナスなイメージを抱いている。実際、打ち上げ花火なんかは目を閉じて鑑賞すると戦争のように聞こえて恐怖すら感じる。その戦争は実際に今も各地で続いている。そうした社会上の現実が花火にあるエンターテインメント性によって上書きされているようにも思ってしまう。テレビを代表とするメディアと似た構図のようとも思う。そんな風に考えているから、人々が美しいと感じがちなものはつい反射的に敬遠してしまう。自分がそう捻くれてしまった要因は、やっぱりその幼少期にあるんじゃないかとも思う。(そこにボウルビィの愛着理論の話も思い出す)

もう一つは今の病気のこと。昨年の夏から精神科で鬱病と診断されている。ただこれは、鬱病が原因で京都タワーもグレーに見えたりする、というより、もともとそれがグレーに見えていたりすることの結果が鬱病という判定である、と言えそうな気がしている。体温が38度という閾値を超えれば熱であるという風に、精神的な異変の閾値の先に鬱病という言葉があるというか。鬱病は過去にも患ったことがあるのだが、現状とも共通しているのは、希望を見失った時、とでも書けばいいだろうか。30歳ぐらいの頃、ギャラリストの仕事がクビになって、そこから続けていた東京でのバイトの日々を惰性に感じ、目標も展望も失いただ生きてるだけの自分という存在がむなしくなっていっていた時だった。現状のパターンもそれと似ているが、今回はそこに年齢的な問題も重なっている。発病当時すでに37歳で、(今こうしてその年齢を書くことも恐ろしく感じてしまうのだが、)この年齢で一体これから何をどう転換し、生活を安定させ、希望を持つことができるというのか?という悩みが募りに募っている。

ただ、こないだ杉田俊介氏の鬱病日記という著書を読み、自分はまだそこまで重度では無いとも感じている。というか、先にも書いたように、鬱病とはある閾値を超えた際に与えられる記号のようなもので、その要因は様々であって、だから自分の場合は何なのか、これをもう少しよく考えてみる必要がある。

一つは、杉田氏の著書の中にもあった優性思想という言葉が関係している気がしている。自分のなかにもそれが内在しているから、自分で自分を苦しめるような思考をしてしまう。年齢的な話で言えばエイジズムとも言えそうだ。つまり、自分で自分を偏見し、差別している。これは、とても良くないことだと思う。自己否定は他者否定でもあるのだから。身体的に健康で生きているだけでも恵まれているのだし、年齢は誰もが等しく年を取っていくものでもある。幸い鬱病の程度は昨年と比べてマシになってきているように思う。支えてくれる人の存在もある。身体も動く。行動活性化という言葉もあるように、できるだけ活動していくことが肝なんだと思う。自分の写真とはまだ思うように向き合えてないけど、マズローの欲求五段階説的に考えれば、自身の生活を良い方向に持っていけるよう行動していく(“安全の欲求”をどうにかする)ことで、また自ずと、あらためて写真とも向き合えるようになるんじゃないかと考えている。

特に3月はキツかった。学校も休みだし(あったとしても週に2回ぐらいなのだけど)、とにかく外出の必然がなかった。逆週休2日とでも言ってしまえるぐらいに、家にいることがほとんどで、その時間が余計に自分を蝕んでいく実感があった。忙しすぎても気が病んでしまうけど、暇すぎることも同様なんだなと。時間があるからたくさん本を読めたりできるとか思っていたけど、実際は滅入る一方で身体が思うように動かなかった。京都から大阪に戻ってきてというか、墜落してきてというか、そんな中でようやく学校と掛け持つバイトを探しはじめ、先日やっと決まった。髭タトゥー金髪OKのローカルカラオケ店。これが無事継続できれば、最低限のお金の心配もひと段落はつく。

ざっと書いたこれらの事には、他方である問題意識が根深く刺さっている。端的に言えばそこに将来設計的な見通しは何もないということだ。学校の講師業は非常勤だし、掛け持つ仕事も普通のアルバイトなわけだから。本来の自分なら、そうした状況ではいけない、そう考えていた。けれども今は、そこまでは断定的に考えてはいない。それが絶対にダメなわけではないと思いはじめてきている自分がいる。この感覚の変動は、自分の身の周りにいる人たちからの影響も大きいと思う。そしてこの点について考えることは、40代を手前にした今後を生きていく上で重要のことのように思う。

幾つかの著書を読んだり、展覧会等を訪ねたりしたことも、この感覚の変動の後押しになっている。その中で、直近で読んだ「暇と退屈の倫理学(國分功一郎氏著)」という本についての個人的な消化もまたここに書いてみたい。

昨日は卒業式だった。一年は早い。これまで「学生」のことを学生さんとか学生氏などと敬称していたけど、それが不自然のことのように思えていた。なんでだろうか?初年度から自分も年をとったということもあるのかもしれない。それか、敬称や敬語を使うことで、逆に距離を置こうとしていたのかもしれない。気が知れてくると結局いつもタメ口になっているし、その方が喋り心地は良い。言葉遣いが相手との距離感を変容させるということは、敬語を使いがちな自分にとっては一つの罠なのかも。敬語をベースとしているゆえに、風景に映る人々のことを遠巻きに見ている。そんなことが起きてないだろうか?

最近は何事に対してもやる気がなかなか出ない。自分がなんで写真をやっていることになっているのかも、よくわからなくなってくる。ただ、誰かの写真を見ていると、やっぱり写真は面白いと思うようにもなる。この感覚には救われる。なんで救われると感じるのか?今は休みすぎていて、無駄に考えがめぐりめぐって、絡まって落ちていくから。写真が目の前にあるという単純なことによって思考のめぐりから解放されている感じ。

「この世界は死んでいる。でも僕は生きている」という旨の言葉と出会って、希望のようなものを抱いた。よくよく思えば、地球は人間のためにつくられた場所な訳でもないのだから、今だけでなく、昔もまた同様の大変さもあっただろうし。技術社会の果てのようなこの地平がそういうものであると思えば、そこで受動的に生きるんではなく、もっと能動的に「遊んで」いくことが肝なんじゃないか。関係ないけど、琵琶湖でたまたま花火が打ちあがり始めた時、この寒い時期に珍しいと思う程度の僕に対して、彼女は目を輝かせ、手首を握り喜びを示してくれたことが嬉しかった。