「この世界は死んでいる。でも僕は生きている」という旨の言葉と出会って、希望のようなものを抱いた。よくよく思えば、地球は人間のためにつくられた場所な訳でもないのだから、今だけでなく、昔もまた同様の大変さもあっただろうし。技術社会の果てのようなこの地平がそういうものであると思えば、そこで受動的に生きるんではなく、もっと能動的に「遊んで」いくことが肝なんじゃないか。関係ないけど、琵琶湖でたまたま花火が打ちあがり始めた時、この寒い時期に珍しいと思う程度の僕に対して、彼女は目を輝かせ、手首を握り喜びを示してくれたことが嬉しかった。