谷口円写真展「comfortable hole bye」

ビーツギャラリーで開催されていた谷口円写真展「comfortable hole bye」。展示に対しての直接的な感想ではないかもしれないけど、コーンの写真2枚についてはやっぱり考えた。「死」というものが主題に置かれていることもあって、赤白のコーンと真っ黒のコーンは、単純に生と死の対比のようにも見えるし、だからある意味で全体を象徴する二枚のような見方も出来る。ただそれ以上になにかひっかかるものがあって、もしかしたらそれは、観る人にとって身近なものだからなのかもと思った。

展示の大半を占めるのは剥製の写真で、でもそれはあまり身近なものとは言えない。それが良い悪いではなく、ただ剥製にはテーマを含んだものが写されているけど、身近じゃない、という事実が、観る側との間に一枚の壁を作り出していたとして。コーン二枚は、他の写真群と同じ意味を担うなかで、かつ身近にあるものということが、その一枚の壁を無効化させる突破的要素になっていたのかもと思った。おかげで、自分にもいつか必ず訪れることでありながら、やっぱりまだどこか遠くにあるように考えてしまう問題を、急に目の前にポンと差し出されたようで鳥肌が立った。

展示全体をみていて、どことなく「映像」を感じた。単純にBGM(波の音)のせいもあったのかもしれないけど、具体的になんで「映像」なのかは自分でもよくわからない。。ただ間違いなく言えるのは、写真のレイアウトや照明のこともあって、今回の展示は写真展というより、写真を使ったインスタレーションに近いものだったということ。椅子に座って眺めるという谷口氏オススメの方法で観れなかったことが残念。。

GalleryKai・楢木逸郎作品展「NOMADS/EXILES」

行ったことの無いギャラリーをたくさん回ってみようという思いで立ち寄ったGalleryKai・楢木逸郎作品展「NOMADS/EXILES」。先日たまたま深瀬昌久さんの「鴉」を観ていたこともあってか、写ってる人が”社会の枠組みから外れた人”だというのは真っ先に分かった。けど見れば見る程、例えば歴史の教科書なんかに載ってる海外の貴族のように見えたりと、その威厳に満ち溢れた佇まいの数々を前に、本当にそういう人々なのか一瞬疑ってしまった。それは安易な軽蔑を続けていた自分に気付くことでもあって、本当に情けなくもなった…

少なくとも僕自身には色んな欲求があって、周りにはその全部を満たさんと様々な誘惑が用意されていて、ほとんどのそれはお金と引き換えに手に入るようになってる。ただそれらは全部、シンプルに「生きていく」上で必ず必要かというと、極論を言えば全部いらないもののように思えたりもする。そんな中でここに写ってる人達は多分、生きていく上で最低限必要な”なにか”だけしか持ってないように感じ、それは野生動物と等価的な存在とも言える、というような内容の長谷川明さんの言葉を思い出した。無駄が削ぎ落とされた「生きているモノ」としての純粋さが、僕の感じた威厳だったのかもしれない。

置かれた状況が自ら選んでのことか、選ばざるを得なかったのかは分からないけど、僕が知る限り世間はこうした人達を煙たい目で見ているのは間違い無いし実際僕もそうだ。そんな全てがまた本当に悍ましくも思う。