この数か月、気分の浮き沈みが激しい。ネガティブの時の実感は基本的に自己否定で、それは偏見が自分へ逆照射されている感じだと思う。先日37歳になった事も脳裏に分厚く張り付いている。肉体的なことは除いて、年齢の実感には大きく2種類、客観と相対的な実感とがあると思う。前者は社会が持つその数字通りの印象で、後者は家族や友人、職場の同僚等を通した実感。この構造があるからしばしば「もう○○歳なのか」といった印象と実際の齟齬も起きる。バイト先も人は毎年変わるし、オープン当初の同僚はもうほとんどいない。学校も生徒は毎年変わる。細胞の代謝が遅くなるにしたがって時間の流れにも鈍感になるからどんどん歳をとっているようにも感じる。年齢を烙印的に感じてしまうことも結局は社会的な視線に囚われているということで、言ってしまえばイリュージョンとも近いことなのだけど。
カテゴリー: 雑記
朝4時半ぐらいに起きてそこから自転車で朱雀宝蔵町へ向かった。ラジオの収録と題してお相手になってもらうみよしさんの微光という珈琲屋が朝5時から9時のオープンで、その営業中の様子も含めて録るとどうだろうという想いがあった。実際、事前のやりとりのなかでみよしさんも同じ提案をしてくれていた。現地に着いたのは6時半ごろで、既に複数の人で賑わっていた。珈琲を淹れながら久々の挨拶をしてくれるみよしさんの笑顔はまっすぐにこちらへ向けられていて、それが形式的な礼節としてではなく動物的応答のような、ごくごく自然なコミュニケーションのように感じられ、同時に今の商いの場にこうした笑顔は壊滅的に見ないことも思う。微光の左隣に座り収録機材を広げる。目の前にかつてどんと建っていたはずの建物が取り壊され、白のフェンスが張り巡らされている。僕も以前ここに2年住んでいて、市場卸売市場の再開発が進んでいることも聞いていたけど、実際にこうして大きく変化した景色を目の当たりにすると複雑な思いになる。何かが刷新されると言えば聞こえは良いが、政治の絡む多くのそれは技術による意志で、そこに人々の声は等閑視されているケースが殆どという印象もある。一時的な状況ではあれど、空はとても広く見える。青空は早朝の空気もあってかより透き通って見える。この日大きく印象に残ったことの一つが、来る人来る人が、みよしさんだけでなく収録機材と一緒に座っている僕にもごく普通に接してくれることだった。それはごくごく自然な距離感と呼べるものと思える。知らない人と話すということは、本当は特別では無い、そういう実感の記憶が深層から立ち上がってくるようだった。この感じはマニラでもあったことだ。そういえばもともとここに住んでいた時も、この地域なんだかよくわからないけど東南アジアっぽいな…と思っていた。忙しく行き交う市場の人々の表情も眺めながらその意は一段強くなる。当時は早朝に出歩くことがなかったから。今月で店をたたみ、次月からは一般的な労働環境にあえて身を置こうとしているみよしさんはとても土くさく生きているように見えた。この地域の人々もまたそんな風に見える。以前にラジオ上でお相手してくれた人々の顔も浮かぶ。今自分がリスペクトしているワイルドという感覚はこの土臭さという言葉と重なる。
昨晩浸かった湯船の温度を43から44度に設定したおかげか湯上がり時の風呂に入った感があり、今朝の目覚めも良かった。天気が良かったのも一因であったとは思う。先週に引き続き今週も徳永先生の授業の手伝いのために大学へ行く。授業は写真の原理にまつわる内容で、自分はサポート役でありつつもしばしば普通に授業に聴き入っていたりした。隙間時間にかねてより構想している描画用カメラオブスクラの話をすると、まさしくそれを以前作ったということを教えてくれて、結構驚いた。そんな人がこんな身近に現れるのか、と。18世紀の画家カナレットという人物が使用していたと言われているモデルを元に紙や虫眼鏡等で作ったらしい。ぜひその実物を一度見てみたいと思った。昼休みにインスタグラムを開くとみよしさんから返事が来ていて、それはラジオのオファーを受け入れてくれる旨だった。以前住んでいたシェアハウスの関連で知り合ったその人の独自の活動と、その活動を支える姿勢とがここのところずっと頭の片隅に張り付いていて、それで思い切って連絡してみたのが先週くらいだったので嬉しい返事だった。みよしさんは詩を書いているのだけど、話は変わって昨日、山下さんの小説も届いた。就寝時、読書灯をつけて少しだけページを覗くつもりが気づけば半分くらい読んでいた。今晩も続きが楽しみだ。さっきシャワーを浴びながら、それまで流れていたポッドキャストがドリキンさんのやつで、いわゆる散財的なトピックだったのだけど、自分はあらためてお金は生活に必要な分だけあれば良いと思えた。周りの人々が既に自分を豊かにしてくれていると思えてる。
今月、来月とほとんど休みという日が無い。専門学校にバイトの繁忙期が重なるだけならまだしも、大学の手伝いやとある書く仕事等も重なってくる。とは言っても一般的なフルタイムの労働時間とそう変わるわけでもないのだけど、そこに加えて制作的な何かを行いたいという気持ちがあるからフルタイム的な労働時間が続くのはしんどくなってくる。今より先にやらなければいけない事が控えられていることで今に集中できない問題もある。昨晩見ていたyoutubeでたまたま日記についての話題が出てきて、あらためてこの場を思い出した。そこで語られていた内容には共感もあればそうでもないこともありだったので、そこまで感化された感じでは無かったものの、あらためて背中を押された感じはあったし、ここに今こうして書くことによる効用への興味もある。バイトで同じポジションになったMさんと英語の話題になり、僕が以前アメリカ人の友人に教えてもらったフレーズを伝えるとノートを開いてそれをメモしていた。その人とはもう2年近く一緒だけどそのノートははじめて見たので、あらたな一面を知った感もあった。別のポジションに居た時に対応したインド人の家族がいて、息子がどうしてもジブリ展を観たいということで、しかしその展覧会は予約制ですでに当日も一週間以上先も売り切れていてどうしようもなく、といった対応をしばらくしていた。「せっかく来てもらったのに申し訳ない」「観てもらいたい気持ちは山々なんですが…」「予約画面をマメにチェックしてたらキャンセルとかで突然空きがでるかもしんないけど、それぐらいしか提案できないっす…」といったフレーズもスラスラ言いたかったけどできなかったので、これらはまた調べてみようと思う。そういえばインドもいつか行きたい国の一つだ。ここは観光地なので当然色んな国籍の人々と接する事になっているけど、おかげでまた海外行きたいという気持ちはいい感じに刺激されてる気はする。
