朝4時半ぐらいに起きてそこから自転車で朱雀宝蔵町へ向かった。ラジオの収録と題してお相手になってもらうみよしさんの微光という珈琲屋が朝5時から9時のオープンで、その営業中の様子も含めて録るとどうだろうという想いがあった。実際、事前のやりとりのなかでみよしさんも同じ提案をしてくれていた。現地に着いたのは6時半ごろで、既に複数の人で賑わっていた。珈琲を淹れながら久々の挨拶をしてくれるみよしさんの笑顔はまっすぐにこちらへ向けられていて、それが形式的な礼節としてではなく動物的応答のような、ごくごく自然なコミュニケーションのように感じられ、同時に今の商いの場にこうした笑顔は壊滅的に見ないことも思う。微光の左隣に座り収録機材を広げる。目の前にかつてどんと建っていたはずの建物が取り壊され、白のフェンスが張り巡らされている。僕も以前ここに2年住んでいて、市場卸売市場の再開発が進んでいることも聞いていたけど、実際にこうして大きく変化した景色を目の当たりにすると複雑な思いになる。何かが刷新されると言えば聞こえは良いが、政治の絡む多くのそれは技術による意志で、そこに人々の声は等閑視されているケースが殆どという印象もある。一時的な状況ではあれど、空はとても広く見える。青空は早朝の空気もあってかより透き通って見える。この日大きく印象に残ったことの一つが、来る人来る人が、みよしさんだけでなく収録機材と一緒に座っている僕にもごく普通に接してくれることだった。それはごくごく自然な距離感と呼べるものと思える。知らない人と話すということは、本当は特別では無い、そういう実感の記憶が深層から立ち上がってくるようだった。この感じはマニラでもあったことだ。そういえばもともとここに住んでいた時も、この地域なんだかよくわからないけど東南アジアっぽいな…と思っていた。忙しく行き交う市場の人々の表情も眺めながらその意は一段強くなる。当時は早朝に出歩くことがなかったから。今月で店をたたみ、次月からは一般的な労働環境にあえて身を置こうとしているみよしさんはとても土くさく生きているように見えた。この地域の人々もまたそんな風に見える。以前にラジオ上でお相手してくれた人々の顔も浮かぶ。今自分がリスペクトしているワイルドという感覚はこの土臭さという言葉と重なる。