城下浩伺さんの展示を観に北千住のO’keeffeへ。城下さんと出会ったのは確かもう5年ぐらい前。作品を作っている知り合いの人のなかでも、その活動を特に精力的に続けられている方の一人。ケント紙にGペンと墨汁を使って、気が遠くなりそうなくらい緻密な画を描いていて、微視と巨視の二重性を感じさせられる作風も一貫している。 今回の展示も、例えば奥の間にある小作に、それを鑑賞する距離によって見え方が変わることを感じていた。この日の僕には、一見そら豆。すこし近づくとなにかの細胞。さらに近づくと人の群衆のように見えた。それはまず形象の認識にはじまり、距離が縮まることで、その形象の濃度として見えていたものが小さなパーツの集合体として浮かび上がりはじめ、最後は作者の筆跡へと辿りつく。この小作の場合の筆跡は数ミリの線で、真俯瞰で観た時の人の肩幅のような形に見え、線と線との間隔も手伝って、人が集まっている様子にみえたのだった。 ペトリ皿で培養されるカビが形成するコロニーの、その形の一定性とは対照的に、城下さんがキャンバス上に描く形象に均一性はなく、その筆跡の動向は、まるであてどない探求のようでもある。いつ描くことを終わるのかという質問に「ここで終わりかな、というときがある」とおっしゃられていたのも印象に残った。そんな筆跡はまるで作家の”あしあと”にも思える。またそれは画を構成する最小単位という意味で素粒子的、その集合による全体は、ある一つのものが様々な意味に捉えられるという多面性、多層性ということ自体の抽象でもあると感じた。

2017.12.11|展示をみて



駅で電車を待っている人たちの多くの視線はスマートフォンに向いている。操作や鑑賞に夢中になっている様子を観ていると、まるで人々が(少なくともその意識は)スマートフォンに吸い込まれていっているように見えた。バイトでVRの体験案内をしていると、体験する人たちは、若い人ほどその仮想現実に意識を自然と委ねる傾向が伺える。たまたまバイト先で観た大手自動車製造工場の現場では、むしろ人が機械の補助をしているような風景があった。人工的につくられた、人間の知性によるそれらのものは、いまや僕らの生活に欠かせない。その”欠かせなさ”というのが、実は僕らに潜伏する菌的ななにかで、一見人間がそれを創り、発展させているように見えて、本当は宿主として利用されていて、欠かせなくなっている、というところまで、そのなにかは順調に増殖してきているんじゃないか。そんなことを想像した。AIは人類という種の子孫で、やがて星を継ぐものになる、みたいな話がずっと頭に残っている。確かに将来脳や肉体に代わるなにかしらが実用的に生まれ、やがて人による操作からの自立もはじまりそう。それは人類の全知を標準装備しているから、それがなにに悩み、なにを思うかを想像できない領域も当然できてくる。犬や猫がなにを考えているのか僕らが完全には把握できないことと同様に。地球が寿命によって、あるいは隕石の衝突とかで消滅するような出来事が訪れた場合でも、肉体という制約の無いAIは生き延びられる可能性がおおいにある。だから人間に思いを託されて、例えばロケットでどこか遠く四方八方へ飛ばされると、着陸したどこかで繁栄を開始できるグループもありそう。それはまるで人類が想像する生命の起源の話に舞い戻るようでもある。

2017.12.02|雑記



E・スミス=バウエンは自分がすっかり困惑した話を、ほとんど潤色なしでおもしろく語っている。アフリカのある部族のところへ行ったとき、彼女はまずことばを覚えようとした。ところがインフォーマントたちは、初歩の段階で、植物の見本をたくさん集めてきて、それを示しながらいちいち名前を行って教え、また彼らはそれがごくあたり前のことと考えた。ところがスミス=バウエンにはその識別ができない。それは植物が見なれぬものであったためではなくて、彼女がそれまで植物界の豊かさ、多様性にあまり関心を持ったことがなかったからである。それに対して現地人たちは、そのような興味は当然持っていると信じ込んでいたのである。 (クロード・レヴィ=ストロース「野生の思考」から)

2017.12.02|引用



先日観に行った横浜トリエンナーレでいくつかの作品に強く感動したことをメモ。Ragnar Kjartanssonの「The Visitors」はミュージシャン一人ずつが違う部屋に別れ、無線のヘッドフォンを通して音のみを共有しながら、全員で一つの曲の演奏を試みる、その様子を映像でとらえたもの。展示室の入口は遮光カーテンで仕切られていて、入ってみると中はかなり暗く、またとても広い。100インチ超の大きなモニターが計9つ、十分な感覚で点在するように設置されている。1つのモニターに一人の演奏者がほぼ等身大で映されていて、少し離れたところからだと、その演奏者一人一人の様子が、暗闇にぽつりぽつりと浮かび上がっているように見渡せる。 会場の中心あたりに立っていると全体のハーモニーを感じられる一方、個々の映像の付近にそれぞれのスピーカーがおそらく設置されていて、ひとつの映像に近づくとその演奏音もよく聴こえるようになり、演奏者の動作や表情を詳細に観ることもできる。本来セッションは、ひとつひとつの音がミックスされた状態で鑑賞者に届く。しかしこのインスタレーション的空間の場合に、自分の足でそのひとつひとつへ任意に”近づく”事も出来る、という点は、今回感銘を受ける起因の一つに思えた。 会場は、投影された映像以外に明かりは無い為、映像ひとつひとつに目を移していく時、その真っ暗という”間”が、個人と個人の間に横たわる深い隔たりのようでもあり、演奏者一人一人の孤独さをより強く感じさせるし、その個人から発せられるエネルギー的なものを適切に引き立てるフレームのようにも見えた。映像から伝わるリアルさは、演奏者が等身大に近い大きさで投影されていることも手伝っていたと感じる。 畠山直哉さんが言っていた、今回のトリエンナーレのテーマの一つである”接続性”とは、”孤立”があるからこそ成立するもの(「一人一人が地に足を着けて生活している、それが前提になって手をつなぎ合うということ。」と言っていた)という言葉や、先日このブログにも引用した言葉が何度も頭を過った。そして孤独というものがいかに孤独ではないか、を少しだけ理解できた気もした。 この作品を鑑賞している間、なぜだか涙がぼろぼろ出た。今回のトリエンナーレでは他にもいくつかの作品でうるうるしていた。The Visitorsを含めどこかメランコリックな成分に弱い自分を感じたし、「音」というエネルギーの鑑賞に慣れていなかったせいもあったかもしれない。ただそれらを差し引いても強い作品だった。人間も生きものであり、生きものそれぞれが持つ純粋なエネルギーの迫力、あるいは心地よさみたいなもの(例えば演奏者の、叫ぶように歌う様子はオオカミの咆哮、弦楽器を奏でる様子は鈴虫の鳴く姿とも重なった)の余韻がずっと残っている。そのエネルギーを”孤独”と呼べること、そしてそれが”調和”することに対しての感涙でもあったのかもしれない。

2017.10.23|展示をみて



10月。一人暮らしをはじめて1年が過ぎた。4月から美術施工(アートインストール)のアルバイトと、美術や写真とは全く関係の無いアルバイトの二つを主に続けている。前者は作家をサポートする裏方集団のような感じで、様々な美術館やギャラリー等を現場に一線の作品に関わったりでき毎回新鮮で面白い。ただ頻度が不定期で、だからもうひとつのアルバイトをたくさんやっているのが現状。博物館受付や中国古美術品オークションなどの珍バイトを挟む事もあり、ここ数カ月バイトばかりしている。その間に、引っ越してきた本来の目的までどうも霞んでしまっている気がしている。 写真のそばで生きていきたいという気持ちが根本にあり、だから、それにまつわる様々なことを知りたい欲求があって引っ越してきた。ギャラリーや資料保存といったユニークな経験をしている時、いつも頭に浮かぶのは関西で出会った写真にまつわる人々のことだった。僕に写真のことを教えてくれた人達や、僕の写真のことに対して興味を持ってくれる人達の存在が、その原動力にもなっていた。春から今までの間、そんな人達のことを思い浮かべることもほとんど無く過ごしてきている。 その場所に所属していれば。あの人と一緒なら。これを持っていたら。そういう他力本願の精神を振り返らざるを得ない。自分がうまくいかず、またうまくいかなかったのは、その精神が甘えとして行動に出てしまっていたから。そこにいれば、あとはそこで身を任せていればいい。その意識が、間違っていて、だから、うまくいかなかった。だからコンペにも出せない。個展も、いつもなんだか微妙。彼女にもフラれる。自分の意識に身をゆだねていると、部屋でゴロゴロしているような快適さはあるけど、そうしてると筋肉も、そして思考回路も衰えるし、不摂生にもなって、外出しないものだから精神もやがて荒んでくる。そんな自分のことを誰も助けてはくれない。助けられたとしても、それではいつまでも助からない

2017.10.09|雑記



2017.10.06|*



2017.10.06|*



2017.10.06|*



今日の僕の話は、あまり芸術家らしい話ではなかったかもしれません。でも、これが偽らざる「私の場合」の話なのです。今日は、僕がしゃべる「芸術」が、いわゆる「芸術」全体の、ほんの一部の、「私の場合」の芸術の話でしかない。そんなことを念願におきながら話そうと努めました。タイトルの「私の場合」とは、あくまで、この僕の場合であって、世界には、人間の数だけ「私の場合」がある、ということは、僕も承知しています。でも最後に一つだけ、あえて断定的な調子で、僕の芸術一般に対する考えを述べておきたいと思います。僕はこの「私の場合」というタイトルから、たとえば「私は私」といった、よく聞くフレーズを連想してもらいたくはないな、という風に思っていました。「私は私。」という言葉は、確かにいい響きを持っています。「私は私」と語る人がもしアーティストなら、「アーティストらしい台詞だ」と人から思われることでしょう。気分が落ち込んだ時に「私は私」と唱えれば、自分を元気にしてくれる効果もあるかもしれません。SMAPの『世界で一つだけの花』みたいなものです。なかなか立派な態度です。でもその反面、この言葉には、どこかになんとなく寂しさのようなものも同時に感じられませんか?「私は私」と言った途端に「私」の輪郭が決まってしまって、そのまま内側に閉じ込められるような、そんな寂しさです。「人それぞれ」という言葉もそうですね。何か大切なものを諦めたようで、その言葉を聞くと、僕はちょっと寂しくなってしまいます…。 僕は、この手の寂しさが嫌いなのです。僕にとって、芸術作品に接する楽しみとは、このような寂しさから脱出するために、いくつかの作品が示してくれている、その方法を味わう楽しみにほかなりません。そのような作品は、決して「私は私」とか「人それぞれ」という表情をしていないのです。むしろそんなことは忘れてしまって、もっと大きなものの方を向いて、それに驚いているような表情をしている。 だからたいがい、すぐれた芸術作品は孤独に見えます。しかしこの孤独は、「私は私」という言葉の持つ寂しさとは、まったく違う場所にある。つまり、それを作った芸術家自身が孤独であるかどうかという話題とは関係がないものなのです。 芸術作品は、世間的な意味でのコミュニケーションに基づいて生まれるものではありません。あらかじめ自分と同じような人間を想定して、そこにボールを投げるような、そんな種類のコミュニケーションに基づいて生まれるものでは、決してないのです。コミュニケーションを当然のものとすれば、それが不可能になった時には、当然寂しさがやってきます。それは「私は私」という言葉の持つ寂しさと同じ質のものです。 そうではなく、芸術作品とは、誰が聞いてくれるかはわからないけれど、とにかく大きな世界に向かって、自分の驚きや、心の底から大切だと思うことを、声にして呼びかける、そのようにして生まれるものです。この時に叫ぶ必要は、あまりありません。ただし、黙っていないで、声にする必要は絶対にあります。そうすると、他の無数の「私」からの呼びかけも、自然に聞こえるようになってきます。 呼びかけにはいつも問いが含まれています。「あなた」という呼びかけには、同時に「あなた(?)」という風に、必ず見えない疑問符、つまり問いがくっついているものです。どういうことでしょうか?呼びかけには、”返事が約束されていない”からですね。だからそれは、同時に問いかけでもあるのです。 すぐれた作品は、そのことを知っています。「返事があるかどうか分からない」、ということを知っている。これがすぐれた作品の持つ孤独の正体じゃないでしょうか。僕たちが作品に感動する瞬間というのは、「返事があるかどうか分からない」状態で、それでもなおその作品が呼びかけを止めようとしない。そして、その呼びかけが、なんと驚くべきことに確かにこの自分には届いていると思われる、まさにその瞬間なのじゃないでしょうか。これが世間の言う「コミュニケーション」とは、別の次元にある出来事であることは、お分かりかと思います。 繰り返しますが、呼びかけには、必ず問いかけが含まれます。つまり呼びかけと問いかけは、ひとつのものだと考えるべきです。芸術の世界に身を置く、ということは、人類の歴史上連綿と続く、このような絶えざる呼びかけと問いかけの渦巻く場に、身を置くことであると、僕は信じています。そして、そこには寂しさなどではなく、大きな意味での連帯と、それがもたらす喜びしか存在しないはずです。 (畠山直哉「話す写真」P77-78から)

2017.09.17|引用



パソコンのモニターの台座のところにずっと張っていたある写真を剥がした時、ちょっとした痛みを感じた。まるでその写真と台座を繋げていた粘着が自分の皮膚とも繋がっているみたいだった。その写真は支持体を含めてそれ自体が思い出だった。昔からそういうものを捨てる事ができなかった。自分にとってそれがどれだけ価値の無いものでも、ゴミ箱に入れようとすれば、それをくれた人のことが思い浮かぶ。こどもの頃に慣れ親しんでいた、例えばなにか幼稚なキャラクターやイラストが含まれたものに対しても近い感覚を抱く。その場合は幼少期にあたえられた親の愛情みたいなものを無意識に重ねているからなのだろうか。 これ以上の更新の可能性は無くなりました。ここでおしまいです。その時折に涙が出てくる。更新が無くなることが悲しいということなんだろうか。そう確定した記憶にまつわる品々も人々は大切にしている。過去と再開できる力に代替は無い。 死んでしまったとかそういうどうしようもない肉体的な場合と、別れたとか遠くへ行くとかそういう同次元での距離的な場合とに、どれだけの違いがあるんだろう。後者の場合、その後再開の可能性が無いならそれは前者と同じことのようにも思えるし、逆の場合でも同様に思うことだってできる。

2017.09.15|雑記



ここ最近ブログの調子がよく分からなくて、ログインが出来なくなったり、リンクが正しく表示されなかったりが重なっていつも以上に遠ざかっていた。独自ドメインでのワードプレス運用は、少ない額ながらお金もかかっているから、無料のブログに移行しなおそうかという気持ちもあった。自分にもし突然なにかしらのことが起こって、更新も出来なくなった時、ここに書き続けているようなことは基本的に消滅していくんだろうとも思って、それなら無料のブログの方が、少しでも長く続くんじゃないかとか、考えが右往左往していた。けど、今はこんなものが残っていくかどうかを心配している場合でも無いと思った。 知り合いの人がパリフォトで深瀬昌久の作品の展示風景をFacebookにアップしていて、それを見た時に、この人は今も生きているんだという感じがした。展示を生で観た訳でもないのに。その意味で生きる死ぬということは、肉体的な事だけには限らないのかと考えたりした。0代、10代、20代と生きてきて、今は30代というフェーズに入った。社会状況や自分を取り巻く環境、健康状態とかを含めて、年代という単位にはその時にしかできない事があり、今という時間はいつまでも続かない。運よく大きな事故や病気が無かったとしても、今後肉体は確実に衰えていって、きっと思ってもいない不自由がいつのまにか自然になる。 こうしている今も体中の細胞が代謝して、自分が変化している。0代の頃にあった細胞はもう一つも残っていないのかもしれない。じゃあ一番はじめの頃にあった私と、現在の私とは別人ということになるんだろうかとか。そしてそれなら、細胞にも親子のような関係があって、0代の頃の細胞はもう残っていないけど、その頃の細胞のことをちゃんと憶えている、まるでその子供みたいなのもいて、そんな風に引き継がれ続けているものも、この身体には生きてるんじゃないか、とか考えたりもする。

2017.09.10|雑記



(中略)…この量子力学の体系は非常に数学的なものであるが、それは、この種の奇妙なものの行動を律するのには必然的なことである。すなわち電子や光子のように、日常われわれがみたことのある、通常の粒子と非常に異ったものの行動を述べるには、われわれの日常的な言葉をもってすることはできないのは当然なことである。何故なら通常の言葉は日常的な考え方と密接に結びついているので、こういう日常的なものとは全く別種の奇妙なものの行動を記述するには、全く不適当だからである。言いかえれば日常的な考え方から全く自由な、より純粋な言語によらなければ、そういうものの記述はできない。こういう、全く自由で純粋な言語というのは、すなわち数学である。量子力学が数学的にならざるを得ない理由はここにある。 (朝永振一郎「鏡の中の物理学」から)

2017.04.09|引用



ところで、兵卒の数をかぞえるという場合、兵卒のひとりひとりの個人としての人格、個性は無視されているということがあります。兵卒はみな同じものと見なされ、何人いるか、百人か千人かということが問題になっているわけです。敵は五百人しかおらぬのに、こっちは千人いるとか、五百人損害をうけてもまだ五百人いるということが問題であって、個人としての生き死にが問題ではない。そこに非人間化があるわけです。ここでは兵卒としてかぞえられる人間という共通の内容だけをとり出す。つまり抽象すると同時に、個々の人間がもっている特徴は捨てる。つまり捨象するという操作が行われているわけです。(中略) ところで数をかぞえるというのは、牛なら牛、犬なら犬、それから人間の場合もあるでしょうし、ビスケットやコップでもよろしいわけです。数をかぞえるというだけなら、もはやそれが牛であろうと、ビスケットであろうと、コップであろうと、そんなことに関係なく、同じかぞえるという操作をしているわけです。それは同種というだけで、かぞえられているものの性質は忘れてしまってよろしい。そういう意味でのものすごい抽象化が行われていることでもあります。この場合、抽象化ということは、同時に普遍化にもなっている。つまり数というものは、個々の事物よりも抽象的であるがゆえに、どこにでも使えるようになるわけです。抽象化することによって一般化するといってもよい。とにかく似たようなものがいくつかあれば、それをかぞえることができるわけです。 (湯川秀樹 「宇宙と人間 7つのなぞ」から)

2017.04.04|引用



2017.03.25|*



勤めていたギャラリーは辞める事になってしまった。意思の疎通が思うようにできず、結果招いてしまった誤解もそのままで、気持ちは今も落ち着いていないところがある。そうしている間に修復保存の仕事も契機満了になった。これから月末までとある古い写真の調査の仕事を挟んで、4月からはまた新しい仕事が決まっている。 半年ぶり、一日だけ大阪に帰ると、白黒の猫は少し老いていて、アメショーの猫は二回りくらい太っていた。相変わらず母は元気ではない。帰阪の理由の一つは、その母の姉の旦那が亡くなったからで、そのお参りをした。元々入退院を繰り返していて、79歳だった。最後に話した時も元気そうだったけど、身体はしぼんだように小さくなっていた。市場で働いていて、昔振る舞ってくれた伊勢海老が本当に旨かった。 もう一つの理由が、関東に出てくる時、空港まで一緒だった中学からの同級生が今年のはじめに突然倒れて、ずっと入院しているというからで、見舞いに行く。彼はベッドに横たわりながらも目はあいているし、僕をみている気もするけど、脳に損傷があり、認識と認識が繋がらないらしく、意思表示も出来ない状態でいた。偶然彼のお父さんがいて、少しずつ良くなってきていると教えてくれたけど、僕自身はじめて出会う症状というか様子だったし、本当に大丈夫なんだろうかと不安になる。夜は元職場の同僚達がお酒に付き合ってくれて、いろいろな話をした。 その後1週間屋久島にいた。彼女がかれこれ半年程そこに暮らしていて、会いにいく為だった。2年ぶり二回目の屋久島は、季節柄か黄緑色の葉をつけた木々が印象的だった。前回はずっと晴れていたけど、今回まともに晴れた日は1日だけだった。陽射しが恋しかったけど、雨に濡れた瑞々しい緑の景色をたくさん見ることができた。彼女が住込みで働いている民宿に泊めてもらい、宿用の車の助手席に乗りながら、写真祭に参加したり、山を散策したり、最近知り合ったばかりという島民の人の家に転がり込んだり、いろいろ案内をしてくれて時間はすぐに過ぎた。 普段写真を撮る時、風景に対してなにかしら異形、異色に感じられるものが視界に入った時にハッとなり写すことが基本だけど、屋久島の山道を歩きながら、その感覚が沸き起こる時、それはあらためて幼少期に虫捕りをしていた時の視覚だと思った。思った、というより、その場にある生い茂った草木の存在によって、思い出した、という方が正確かもしれない。自分と他者を繋ぐ為の行為でもあった虫捕りは、僕の記憶が曖昧な小さい頃にすでに培われていたのではないかと母は言うし、僕も記憶の限りその心当たりは強い。その経験は僕の写真にとっての原体験だと再確認する。

2017.03.24|雑記



柴田敏雄さんの個展「31 Contact prints」を観に、乃木坂はgallery ART UNLIMITEDへ。2004年頃から転じたというカラー作品の、4×5インチのネガによるコンタクトプリント近作31点。感覚としてはハガキサイズに近く、展示写真としては小ぶりなもの。一枚ずつ、主に余白を広くとったマットで額装されていた。柴田さんの展示作品は基本的に大きい印象だったのでまず意外だった。ネガは4×5なので、135等のベタ焼きのような、写真の前後関係や一連が見えるといった内容では無い。 柴田さんは、風景そのものが持つ一般の意味とは別の表層(それは時に異様な生き物のようだったりする)を写すことを基本姿勢として持たれている印象がある。その異界への眼差しは、大きく引き伸ばされたモノクロームにより、綿密かつ迫力を帯びた風景となって定着されている。一方で今回のカラーのコンタクトは、それらの写真が発する迫力は控えめになる。そこに代わるものはなんだろう。近づいて見ると、粒子が凝縮された高濃度の美しいプリントだし、基本的には引き伸ばしが前提であるネガを、そのまま扱うという意外性、特別性の面白さも勿論あるとは思うのだけど。 展示に寄せた文章を読んで、撮影から印画までの一連にかかる時間について考えた。写真という媒体はこれまでの歴史の中で、その形態の変化を続けている。そしてその時代の集積が人々の価値観を多様にもさせてきた。その背景を十分認めつつ、今回の作品を制作されている側面はあるのだと思う。それは現在からみれば「手間」で、面倒と見なされる悪的な要素があるし、なにより作品のイメージと大きくは関係しないことのように思える。しかし時間はその消費量と比例して、消費者の記憶にも影響する。薄れたり、深まったり、何かへ溶け込み混ざる事もあり、それは制作行為自体へ影響するはずでもある。絵画一つをとっても画材や方法論が無数にある。同じように、写真のこうしたアナログプロセスも、物理的な側面は勿論、経過する時間そのものを扱う一つの技法とも言える。 また、冒頭でも書いた通り、展示サイズが小さい為、これまでの柴田さんの作品を鑑賞するのと同じ距離(つまりその小作をすこし離れた場所)から眺めていると、当然ながら細部は見えなくなる。すると色彩や線、輪郭といった、名辞ではない、それを構成する要素個々の存在が浮かびあがってくる。そうして見えてくる新たな表層は、これまでに観た大作の超現実的なイメージとも重なる実感があってそれも面白かった。これでまた大作を見返す時、また別の見え方も表れそうな気がする。前述した時間のことも含め、こうして「見る」ことの考察を一層促されたのは、それが一枚の小さなコンタクトプリントだったからなのだとも思えた。

2017.02.01|展示をみて



美術館を巡っていろいろな作家の作品を見るのが好きです。 改めて知らなかった作品、心に残る作品をさまざまな思いを持って見ています。 作家はどういう思いでこの作品を作ったのか、あるいはどうしてここに収蔵されることになったのか、そしてこれからはどういう評価(扱い)を受けるのだろうかなど? ある時間を経た作品を見ることは、比較的言葉になりやすいのかもしれません。しかし、逆に自分のいる今という時間がよく見えてくる気もします。 考えてみれば彼らの作品にとって、我々の今という時代は未来だったのです。 現在はすでに直近の過去、アーティストのすべき仕事とは時代に同調することではなくて、昔も今も未来に向けた「オリジナリティー」を創造することにあると信じています。 大きなゆったりとした時間の流れに身を置いて、不可視の未来に向けて自己の制作をする作家の作品があるならば、そういった作品を是非見てみたいと思っています。 (柴田 敏雄/2016年度写真新世紀(第39回公募)審査員からのメッセージより)

2017.01.23|引用



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