今朝は河川敷を走った。一年ぐらいぶりだったし、その当時もまた約6年ぶりだったから不安で、実際、最初の15分ぐらいがきつかった。けど、30分経ったぐらいから身体もあったまってきて、案外調子よく走り切れた気がする。天気も良かった。今まで年末年始は鳥取の実家に帰るか、地元の友人達と過ごしてたけど、ここ最近はそういうのもなくなってしまった。今日は伯母の家ですき焼きを食べて、一冊本を読んで、自分の写真を少し推敲したら寝るつもり。しばらく連休になるけど、早くバイトと学校始まらないかなって思ってるぐらい暇。かと言って誰かに会いたいわけでもない。相変わらず「写真を撮りに出かけよう」と思う気も湧かない。とりあえず毎日鞄にカメラは入れてるけど、取り出すこともあんまりない。目に見える風景に対して、今まで抱いてた関心がなくなったわけじゃないとは思うけど、写真への根本的な疑問がいつもそこに覆いかぶさって、二の次になってしまう。

2013.12.31|雑記



学校の暗室を借りようと早朝に起きて出かけるも、肝心のネガを忘れたことに電車の中で気付く。。暗室は何時でも自由に入れるわけではなく、朝と昼の二部に決まった受付時間がある。せっかく早起きしたのに、昼までスタートを待たないといけなくなった。引き返す電車の中で、余った時間を何に費やそうかと考えるも、とりあえず寝るくらいしか浮かばない。

地元の駅に着いて、なんだかなぁーと思いながら家まで自転車をこいでたら友人と偶然会う。中、高の同級生で、一歳になる女の子をベビーカーに乗せて歩いてた。これから友人の結婚式に行くのだそう。3年ぐらいぶりで、しばらく近況を話し合う。こどもは走っていく電車に手を振ったりして、機嫌も良さそうだった。朝の透き通った陽ざしが綺麗で、写真をと思ったけどカメラがフィルム切れ。。のでとりあえず携帯で。あらためてまた撮らせてもらいたいです。

昼から暗室でプリント。以前から撮らせてもらいはじめてる人物写真で、とりあえず学年末制作はこのままこれでいってみようと思えた。あと職業訓練校は昨日で無事卒業しました。バイトもはじめてます。自称庶務。覚えないといけないことが日々絶えない。それからどうでもいい話ながら、なぜか最近下の名前(将史)で呼ばれることが多い。今までそんなこと無かったのでちょっと新鮮。

2013.11.16|雑記



もともと本はそれほど読む方じゃ無いものの、写真関連のものだけでもなんやかんやここ数年で色々読んでた。読み返してるものも多い。そして理解できてないものが大半…

2013.11.08|雑記



caloでみた山下望さんの個展「window (see more)」は写真を使ったインスタレーション。前回、かなり大きな会場だったMIOと比べると、こじんまりしたギャラリースペースも相まって「部屋のなか感」がより仕上がってるように感じた。ところ構わずペタペタと貼られたシールや、床に散乱するように置かれた雑貨類、壁に直貼りされた写真にのこる少しのシワ。それらは無造作のようで、なぜか作品としての雑さを感じないところには毎度関心させられる。むしろこの部屋の住人の息づかいのようなものを、よりリアルに感じられた気がした。こうして打ち明けられた「秘密」は、そのまま鑑賞者との「内緒」になる。…かもしれない。そんな歩み寄りのようなものも感じる。

「これが私」や「私をみて」というような類の写真も、前の記事に書いた「私」的なものと同様に多くて、こちらも敬遠しがち。そもそも基本的に人って、さほど他人に、それもわざわざ写真を介してまで興味を持つことは少ないと思う。一方的すぎるから客観的価値が生まれにくいのかな。別にそれはそれで良いのかもしれないけど。

ただ、じゃあ山下さんが表現する「私」はどうなのかと言うと、先に述べた類に近い主張だし、その押し(?)はかなり強い方だと思う。けど、おかげで魅力性は高まってるようにも感じるから不思議。ぐっと迫ってくるものがあるけど暴力的じゃ無いし、それこそ少年少女の無邪気さに似た気質みたいなものがある。無邪気、という言葉を辞書でみたら、思慮に欠けるという意味も含まれてたけど、それはあどけなさでもあって、偽りのない素直さはみていてとても心地よかったです。

余談ながら、山下さんもテーマの重心にあるのが「私」だけど、上田さんのそれとはまた違った種類のもの。展示形態といい、その共通点と相違点の関係がちょっと面白いなぁとも思った。

2013.11.05|展示をみて



最近みた展示で印象に残ってるのを整理…少し期間が空いてるのでちゃんと書けそうにないけど備忘録として。

ニコンサロンでみた上田順平さんの写真展「手紙」。確か、家族を主題にした私小説的な内容だったと思う。個人的には、そういうのは私的でやる人も多い分、最近は見るのも敬遠しがちなテーマ。流れの中で一枚一枚を見ていく時、大抵は途中から展開も読めてしまって、「これって本当にその人の話なの?」と思っては興ざめすることがよくある。

けど、上田さんの写真を一枚一枚見ていくと、ちまたに溢れるそれとは違うものだとまず気づかされる。写真から聞こえてくる一言一言にある、声の大きさなんかも含めた声質や、句点と読点、その前後の間等といった口調から、間違いなくこれは上田さんご自身が発する「言葉」で、そこからまず引き込まれていく。(声なんて言うとちょっと抽象的な表現かもしれないけど、なんとなくそんなものを感じたので比喩として。)

ご自身の幼少期から現在まで、また決して平穏でも無かった日常は俯瞰してみると、とても大きなスケールの内容。かといって展示枚数が特別多かったわけでもなく、形態は額装で、大小の緩急も含めて正統派的な見せ方。それだけに、ギャラリーという一部屋で等身大に表してらっしゃるところには凄みを感じた。一言一言慎重に言葉を選ぶように、周到に編まれている様子がひしひし伝わってくる。自分はその「編む」ことに妙な苦手意識もある分、なおさら感銘を受けた写真展でした。

2013.11.05|展示をみて



先日、立て続けに何人かの知り合いに頼んで写真を撮らせてもらった。中判のモノクロで撮影してて早いうちに現像しようと思ってるけど、その縦長でコロンとしたブローニーのネガを手のひらに乗せると、妙に重量感がある。。人を撮ろうと思い立った理由はいくつかあって、そのいくつかが今は床にばらばらと散らばってるような感覚。撮ろうと決めた時、気付いたらすでに足元に散らばってたというか。だから見切り発車な意識はあまりなく、元々これまで自分自身が抱き続けてることが土台になってる気がする。とにかく今はこのまま、これからしばらく周りの人たちを撮らせてもらって、現像、プリントをしながら考えも整理していきたい。

2013.10.22|雑記



実をいえば写真を撮るとき、私は何も考えない。つまり言葉による検討などはしない。もしかすると気づかないうちにしているのかもしれないが、その覚えはないのである。直感的にそれを撮ろうと心に決める。ファインダーの中で構成を決めるのも直感で、ちょうど銃の照準をするとき、的をねらうのが当たり前であるように、範囲が決まってしまう。露出やピント合わせも同じで、無意識のうちに手が動いている。そうした全てに言葉は介在しない。だから撮影する手順の中では、何も考えていないのだと思っている。何も考えない、といういい方が正しいのかどうかよくわからないが、少なくとも言葉を頭の中で繰りながら判断を下している自覚はない。しかしシャッターを押す瞬間までの間、それこそ数え切れない程のさまざまな判断を下しているのも事実である。 (大辻清司「写真ノート」から)

2013.09.10|引用



ここ最近地元や高校の友人と会う機会が多い。逆に最近まで会ってなかったのは自分の問題なんだけどその辺の話は置いといて、会う友人会う友人みんな本当に久しぶりで、でもみんな変わってない。今日駅で偶然会った彼も、もしかして10年ぶりなんじゃないか?ぐらいの感じだったけど、風貌は強面にもなってたけど変わってなかった。昨日彼女にフラれたらしくて、僕も先週フラれたという話をして二人でかなり笑った。。先週は高校の部活の友人達と夜遅くまで飲んでた。高校の頃だからもう8年以上も前の話になってしまう訳で、その時の記憶もほとんどないぐらいだったのが、話をしててあんな事やらこんな事やらが次々出てくると、当時の自分像(?)もだんだんと思い出しはじめる。すると今の自分との妙なギャップも感じて少し不思議な気分にもなる。お盆に帰阪してきていた友人とは一日あてもなく街をぶらついたりした。そんなこと最後にしたのいつだったか??そういえば自分の口調がタメ口なのがすごく新鮮だった。都会に出た人が久々に田舎に帰ってきて方言で家族と喋ってるみたいな。自分が暮らしてる場所はずっと変わってないのに。

2013.09.09|雑記



電車で座っていて手を前で組んでいる時とかに、手首の脈の動きが見えるとそれが怖くて、見えないように隠すか目をそらす。時々それでも見てみようとするけどすぐ気分が悪くなる。そういえば小学生の頃、版画の授業中に隣の席の子が、誤って彫刻刀で手首を勢いよく切ってしまったことがあった。その瞬間水道の蛇口を全開にした時みたいな勢いで血が飛び出し、流れ続ける場面を目の当たりにして。ただ、当時はその光景に騒ぐこともなく茫然とみてた気がする。手首を切ってしまったその子も、自分に今何が起こってるのかさっぱり分かってないみたいだった。様子に気付いた先生が悲鳴をあげて、そこから僕もその子も事態を認識しはじめたような感覚だった。

2013.09.03|雑記



ここのところブログを書く頻度が減ったせいか、なにかがあって書こう!と思っても途中で諦めてしまうことが増えた。運動をしなくなって、筋肉とか身体の動かし方の勘もおとろえていくような。。文章を書いたりすることにも、そういうのがある、というような話をそういえばどこかで聞いたことがある。写真を撮るにしても、展示するにしても、誰かと会って話をするにしても、一度距離が遠ざかってしまうと、もう一度はじめようとするときに変な苦労感がある。身体がそういう風にできてるんだろう。。 最近は、無駄に考え事をしてしまってばかりでダメな状態。ある人から言われた言葉がしっくりきていて、その、眠ろうとすればするほど眠れない、みたいな状態になってる。写真のことは写真のことでも、気がつくといつも、考えなくてもいいようなところに辿りついていて、その中でぐるぐると漂い続けてるような。無駄に考え込んでしまうのはもはや癖みたいな感じでもあるけど。だからその、まず疲れてないんだろうな。。 なんでわざわざこうして写真を撮ってるのかとか、こんなことをして一体なんになるのかとか…。いや、それは考える必要はあることだと思うけど。ただ今の自分は、なんだかすごく一般的な屁理屈で、快活な小学生に大人しくすることを諭そうとする、それこそしょうもない大人みたい。

2013.08.24|雑記



…僕は無神論者ですけれど、時間も場所も特定されていないどこかに、なにか命の場みたいなものがあって、そこに行くとだれでもないだれかがスッと椅子を差し出してくる。人はただ、そこにすわろうとおもう。つまり、命は神聖なもっともらしい理由のもとで生まれるのではなく、特別な理由などない、ある命の場にさしだされたひとつの椅子にただ腰をかけるような感覚で、人生がスタートするんじゃないかなと思ったんです。本のすべての構成を終えた段階から繰り返し見直して、思い浮かんだ言葉が「そこにすわろうとおもう」だったんです。中川五郎さんがつけてくれたタイトルの英訳が最高で、「Surrended Myself to the Chair of Life」(人生という椅子に身を委ねる)というんです。われわれの人生って目的がないですよね。ただ生まれてきただけだし、幸せとか不幸とかはすべて後づけだと、僕は思うんです。でも、そんな無目的な人生であっても、自分の命を味わう楽しみ方はいくらでもあると思うんです。 (写真画報「大橋 仁インタビュー そこにすわろうとおもう」から)

2013.08.23|引用



前職を辞めてから土日も動けるようになったこともあって、それからは色んな人のトークイベントに足を運んだり、並行して歴史を知る為に写真集をみることを続けているのですが、そうやってこの業界(?)に身をおいて活動されている(いた)人達の存在を、直に知ろうとすればするほど、なんというか果てがどんどん見えなっていく感覚に陥る。それだけ僕は、なにも知らずに展示や仕事をこれまでやってたということでもある、と感じては恥ずかしくもなる。

昨年一年に撮られた写真の枚数が、これまでの歴史の中の約10パーセントを占めるというお話もあるように、文字を書くみたいに誰でも写真が撮れる時代の中の、ごく平凡な動機出身の僕は、その自覚をまず大切にしていきたいと最近思いはじめた。貸しギャラリーに勤めていた経験もふくめて、その上で作家や、ディレクターと呼ばれる人達、双方の活動や想いに対しても意識を傾けていきながら、写真に取り組んでいくことが、自分独自でできるなにかにも繋がっていくんじゃないかという期待もあるのかもしれない。

2013.08.03|雑記



俺、昨日もコピー用紙を切ってタコみたいなのを作って遊んでたしさ、子供みたいによく天井の模様を辿ったりとかするんだよ。それってそのまま人に見せたら暗いことなんだよね。だから、そういう小さい発見をデカい声で言うことが自然と身につくように色んなことをやってる気がする。閉じこもりたくないんだよな。じゃあ、開かれる写真って何なんでしょうかってことなんだけど。 (STUDIO VOICE「対談:佐内正史×川内倫子~まっすぐ進む写真」から)

2013.07.23|引用



自宅から駅までの道中、民家の壁にカマキリがいたので写真を撮ってたら「なにしてるんですか」と声を掛けられ、「また怪しまれるのか…」と思いつつ振り返ると小学校高学年ぐらいの少年だった。「ほらカマキリがいる」と言うと少年はテンションが上がったようで、僕も嬉しくなりその後しばしのカマキリトーク。少年は虫かごを取りにいったん帰るというので、僕は電車の時間があるからと別れをつげたけど、かごを取って帰ってくるまでカマキリを見張ってあげたら良かったと梅田に着いたあたりで思った。

カマキリについて会話してたその少しの時間、話をしながら少年の目をみた瞬間からなんとも不思議な感覚に陥ってたことを、梅田までの電車で思い返してた。なんというか急速に時間が引き戻されていくようで、気付けばその時間だけ小学生時代にタイムスリップしたかのようだった。そういえば今日みたいな晴れた暑い夏の日は、虫捕り網を持ち、友達を連れてよく辺りを散策してた。だからその不思議な体験は結局、その当時のデジャブだったんじゃないかという考えにいったん落ち着く。

2013.07.12|雑記



問題をあたため続けるというのは、答えを出そうにもデータが不足なのでそれが出そろうまで待とうではないか、ということであり、そこをせっかちに憶測で補ったり、無理なこじつけをしたり、納得のいかないまま他人の意見を採り入れたりして、いそいで結論に導いてしまうならば、いちおうの答えは出る。そして、やれやれ、これで問題はかたづいたと関心は薄らぎ、やがて忘れてしまうだろう。だが、問題はほんとうにかたづいたわけではない。

それはおおよその見当をつけた仮の、間に合わせの答えの場合が多い。いちばん困るのは、一件落着の事件は忘れ去ってしまうことである。後でどんなに有効な手掛かりが現れても、関係づける本体が消えているから、ただ目の前を通りすぎるだけで網に掛かることはない。関係をとり結ぶ作用がないかぎり、単なる知識で終わってしまう。だから疑問の本体は、いつも目に見える箱の中に並べておいて、もしや、と思う場面に出会ったらすぐに取り出してみるのが大事なのである。

そのためには、問題を解決ずみの箱の中に入れて、蓋を閉じてしまってはいけない。ミステリーを読むと、たいていの英雄探偵は未解決箱の中身をいつも取り出せる状態にしているが、あの調子がコツなのだと思う。

先輩ぶってもの言う歳でもないのに、ついよけいなことを書いてしまったが、事実私は長い間、いろいろな局面で判断保留の暮らしを続けてきたので、その効用については多少知っているつもりである。だが逆にそのことがカマトト的に見えたり、煮え切らない態度に見えてしまうようで、歯切れのよさや決断の素早さ、といった爽やかな印象から遠ざかってしまうことになり、見栄えはよくない。ふたつながらよいことはないようで、仕方のないことと思っている。

(大辻清司「写真ノート」から)

2013.07.09|引用



今に始まったことではないけど、考え事をやめてふと自分の視界に立ち返ると、なんというかドキドキすることが多い…。街中を歩いてる時や、自宅でも職場でもどこでもなる。多分それは、自分の視界に対して常に写真(的映像?瞬間?)を意識してるからなんだと思います(ほとんど撮り逃がすのですが…)。ここで言う「写真を意識する」というのは、「視覚に意識を傾けている」ようなことになる。

人間は普段あらゆる感覚を同時に働かせながら活動していて、例えば朝起きた時、目をあける前に既に、身体は布団の感触を確かめていたり、目覚ましの音を聴いてたりすると思う。五感で得れる情報を身体(脳)が処理することは自動的に行われていて、だから、「写真でみる」ということは一見ありふれているようで、とてもかわった行為だと最近あらためて感じはじめた。あらゆる感覚を働かせながら過ごすなかで、目に映る映像の一コマを、視覚以外の情報は全部カットした上で別名保存するようなことになるから、たとえ場所が家の近所で、毎日見ている植木とかを撮ったものでも、その一枚になにかしら発見等があるのは全然おかしくない。

そういう「写真」を自らも撮り、考えたりすることをある程度続けているのだから、その舞台である自分の視界を意識しないわけがない。周波数を変えれば受信する信号も変わるラジオみたいに、だからかれこれ20年以上暮らしてる地元にも、妙な新鮮さを日々感じてしまう。それがよく感じる「ドキドキ」なのかもしれないと最近思ってる。

2013.07.08|雑記



マリアーネさんの個展「風の化石― Wind Fossil」を観に西区新町のstudio Jへ。たたずまいの静けさと奇怪さ、くわえて臓器的な印象から深海生物なんかを彷彿させられるそれは、毛や皮膚のさらに内側にあって、けど骨や筋肉でもない、人が持つもっともやわらかい部分で、エロチシズムという言葉もたしかに似合う。その言葉の内部には、観る人によっては不快を与えかねないほどの生々しさと、慈愛に満ちた安らぎとが同居してるようにも感じる。

顔を近づけてみてみると、ものすごく繊細なタッチで描き出されてることが分かる。反対に一歩引いてみると、さっきまで奇怪に見えていたそれは、なんだかとても身近なもののようにもみえた。例えばフライヤーの表紙にもなってる作品で言えば、籠に入った玉ねぎのようにもみえないこともない。驚くほど細密な描写と、日常的ななにかのシルエット。この二つの要素が、現実ではありえないイメージに、まるで実存するかのような妙なリアルさを与えてるのかもしれない。そのリアルさは、観る側をさらに惹きこんでいくかと思うと、いつの間にか心理に浸透するしたたかさを含んだ力がある。

描かれたそれが性器であることはある種明確に意識されているようだった。そしてそれは、現代のメディアで映すことは決して許されないものでもある。それから、(浅い知識ながら)いわゆるその”タブー”を発表して批判の標的になる写真家がこれまでにもたくさんいたことも知ってる。その人達がのこした”タブー”をみて実際自分もたじろぎ、思わず目をそむけてしまった記憶もある。でも、なんでそうなってしまうんだろう…?そもそも性器に限らず”タブー”はなんで”タブー”として取り扱われてしまうのか?その理由の本質を自分なりに消化したい。そこに消極的になってはいけないような気がする。マリアーネさんが生み出す神秘的な生物達は、その解釈への一つの糸口になってくれる予感もある。

2013.06.30|展示をみて



「わたしはダイアンに奇形者をロマンチックに見てはいけないと言った。いわゆる『健常者』と同様、奇形者の中にもつまらない人間とごく当たり前の人間がいる。わたしは髭女のオルガに興味をひかれたのは、彼女が速記者になることを夢見ていて窓辺にはゼラニウムの鉢を置いていることだったし、以前インタビューしたことのある四百五十ポンドのレスラーにしても、生まれ故郷のウクライナを恋しがっておいおい泣いていたことに惹かれたのだという話をした」 (パトリシア・ボズワーズ「炎のごとく-写真家ダイアン・アーバス」から)

2013.06.27|引用



最近は色んな人のトークイベントに足を運んだり、並行して写真史上の人物について調べてることが多い。自分が最も関心のある分野のなかにいる人々のことを知っておきたいからなのかもしれない。ただ、どちらかというとそれは知識より体験として…と思い始めてる。おおざっぱに「写真」と言っても、中にはいくつかの立ち位置があって、じゃあそういう人達は一体なんで、どういった理由で、なにが目的でそこにいる(いた)のかが気になる。それ以上に、相手が「どんな感じの人」なのかを直に感じられた時、なにか自分のなかで大きく広がっていくものがある。

先日、いつも写真のことを考えているのかと聞かれて、そういえばここのところ、そういうこと自体を意識してなかったと思った。だから言われてみればいつも考えてるような気がしたし、そうでもないような気もする。

2013.06.24|雑記



「ヤンマ」 三保谷将史写真展
縁あって大阪・南河内のカフェギャラリーで一人展します!
(幅6メートル程の壁面での展示です)

実験的な内容の写真を展示させていただいています。
■開催日時
2013年6月3日(月)-28日(金)
上記日程間の、平日の月・火・木・金のみオープン
※13(木)14(金)はイベント出店の都合でお休みです。
※22(土)は11:00-16:00までオープンします
詳しくは→■


2013.06.03|お知らせ



…それと同時に人びとがもっとかしこくならなければいけないと考えた。それぞれの土地に生きている人たちはみなそれぞれにすぐれた生き方をしているが、横へのひろがりがとぼしい。比較と選択する技術にかけている。それにはみんなが文字を読み、文字を通して未見の世界を知り、そこで何がおこなわれているか、われわれはそこから何を学ばねばならぬかを考えねばならぬ。
かしこくなるということは物を考える力を持つことであると思う。物を考えるには考えるための材料がなければならぬ。そしてまず自分の周囲にあるものをよく理解し、同時に、もっと広い世界を知らなければならぬ。そしてまず自分の周囲をどのようにするかをお互いに考えるようにしなければならない。そして自分の住む社会の中のリーダーを見出していき、その人を大切にするような社会を作っていくことではないかと思った。
どのような村にも浦にもかならずすぐれた人がいる。しかし自分たちの周囲にいる者に対してはそのすぐれた点よりも若干の欠点の方が目についてその人を尊重しないことが多い。だがそのような人を大切にしてこそ地域の開発はすすめられてゆき、またお互いの知識も充実していくのではないかと考えた。…
(宮本常一「民俗学の旅」から)

2013.05.30|引用



「フィルムは写真を撮る感じで、コンデジは画像を作成する感じ」という某氏の言葉をブログで読んで、それがやけに印象にのこってる。先日、たぶん二年ぶりくらいに暗室でモノクロをプリントした。学校から貸し出されたカメラと支給されたフィルムを使って、授業ロケ中に街でウロウロしながら撮った写真。

モノクロは普段使わないから、いつも通り気になるものを撮るのだけど、それがカラーではあがってこないということに、その時はいまいちモチベーションが上がらなかった。いつからか、自分の中でそのカテゴリを除外してるような感じがあって。だから現像がうまくいかないコマもあったけど、その時も正直それほどへこみはしなかった。けど、いざコンタクトを出してみたら、どのコマにしようか目移りしてる自分がいて、その日は2カットだけプリントしたのだけど、その写真がなんだかやけにいとしくさえ思えた。デジカメでも同じものを同じように撮ってるのに…。きっとこのプリントは捨てないんだろう。思い返してみれば、これまでに焼いた数える程のプリントも全部残してると思う。デジタルのインクジェットプリントはしばらくしたらまとめて捨てるのに。意識の問題といえばそれまでかもしれないけど。

感材が年々廃っていく実情は、ここ数年のなかでは僕も肌で感じ続けてる。それから、あたらしい表現っていう観点の場合にアナログ自体が軽視されてる面があるのも分かる。そういう話題に、これまでから今にかけての僕は単純に背中を押されて、だからデジタルを使っていたところもあるだろう。なにより簡単便利という魅力のおかげで、携帯電話を含めれば誰もがデジタルカメラを所有してるというこのご時勢だから、アナログを使う場合、それがいい意味で目立つというか、そこにカッコだけの価値を感じてた部分だって否定できない。

うーんしかし、なんというか…自分はまだとても重要なことに気付けてないような気がする。それは、こんなご時勢にわざわざ時間も手間もお金もかかるようなことを…という風な問題では、そもそも違って。写真表現がうんぬん、でもなく。そもそものそもそも、もしかすると僕は、「写真」をやったことがまだ一度も無かったんじゃ??というか…いや、そんな気がしてならない。たまたまテレビを観ていたら、お茶と海苔、時計と眼鏡を一緒に販売するお店があるのはなぜか?という内容が放送されていて、それはフィルムとデジタルそれぞれと、そのふたつの関係性、それからこの今の自分に通じる内容のようにも思えて仕方がない。

2013.05.17|雑記



つくづく自分は偽善ぶってるだけなのに、ちゃんとそのことに気付けていなくてどうしようもない。こんなんじゃあダメだと、ただ思うことはあっても、その嫌気がさす自分を薄々意識しはじめてから今まで、何か変わったことはあっただろうかと呆れてしまう。とにかく、どうしてもやっぱり考える時間が増えてしまうから、これはいけないと思った、ということをひとまず記録として。

以前まで勤めていた職場ではじめてまともに経験した「接客」は、自分にとってはなにかに対してへの発散であり、罪滅ぼしで、言いわけのようでもあるなぁと、続けていくうちに感じることが多々あった。だからそれをやっている時は気持ちが良く、自然と笑顔になれる時すらありながら、どこか後ろめたくもある。いつもそんな感じで複雑だったかもしれない。でも、発散でも罪滅ぼしでも言いわけでもなんでもいいから、仕事っていう、それができる条件のようなものがなくても、常に自分がそうあれたらすごく良いと思う。

2013.05.15|雑記



いま一つ父の影響を大きくうけたものがある。それは旅である。私は父に連れられて旅をしたことはないが、父はよく一人旅をした。秋が多かった。秋ばれの空が澄んで海の向こうの中国地の山やまがくっきりと見える夕方に、少し早めに仕事をおえて、家へ帰ってきて手足をあらい、母に他所ゆきの着物を出させ、古びた中折帽をかぶって、「ちょっと出てくるから」と、行き先も言わずに出ていくのである。三里ほど西の久賀へ中国航路の船がつく。下りは午後八時か九時頃、のぼりは夜中の二時か三時ごろである。その船に乗って島をはなれる。

西の方へ下っていったときには宮崎県までいったことがあり、東の方へいったときには日光までいったことがある。いつ頃からそういう旅をはじめたかは知らないが、私が十歳になった頃には一年に一度か二度そのようにして旅をしていた。大ぜいの仲間と団体を組んでいくことは少なく、旅の計画をそのまえに誰にも話すことがなかったから、全くその場で思いついて出ていったのであろう。しかしこれは父一人の性癖ではなかったらしい。村人全体にそんな気風があったのである。一日の仕事を終えて戻ってきて夕飯までの一ときを男たちは家の裏の海に面した石垣の上に上って海を見る。どの家の男もそうしている。男たちは互いに声をかけあって話す。かなりはなれていても静かだから声はよくきこえる。

そんなとき男たちの意見が一致して小さな漁船へ乗って沖へ漕ぎ出していったことがある。夕飯時になっても亭主の姿が見えぬ。隣家へいってみるとそこでも亭主がいなくなっている。そういう家が四、五軒あって、どうしたのだろうとさわぎになったが、船で沖へ漕ぎ出しているのを見た人があったので、「さては月はあるし、海が凪いでいるので、宮島へでも参ったのであろう」と話しあった。ところが翌日になっても翌々日になっても帰ってこない。そろそろまた心配していると一週間あまりして帰ってきた。聞けば、海は凪いでいるし、夜はよい月夜のはずだから宮島へ参ろうということになって家族の者には内緒で船を漕ぎ出した。さて宮島へ参ると、折角ここまで来たのだから広島へゆこうということになり、広島までいくと出雲へ参ろうと話がきまって、とうとう出雲大社まで参ってきたのである。私の幼少の頃のことであったから、明治の終わり頃の話であろう。長いあいだ村の話題の一つになっていた。
(宮本常一「民俗学の旅」から)

2013.04.27|引用



私の子供の頃、父が「そんなに神様に頼むと、神様はうるさがりはしないか」と言ったら「千に一つ聞いて下さってもありがたい」と母は答えた。父からはよくひやかされていた。「また来たかと神様は後ろを向いているだろう」と。すると母は「なかなか物をきいて下さらんような神様の方がよい、ひょっとしたら聞いてくれるかもしれんと思うから参る。頼みさえすれば聞いてくれる神様へなら参らぬ」と父に答えた。そんな母だった。本当は自分の力一杯を生きての願いであったのだ。 (宮本常一「民俗学の旅」から)

2013.04.27|引用



この日の夜にもクリスティーネの写真をフィルム1本分続けて撮影する。 以前にも以後にもこうして続けて撮影する機械があったが、それは何となく二人がそんな雰囲気になることから始まるのが常だった。
お互いに波長が合う瞬間というのがあって僕も彼女も撮ること撮られることにたいして何等抵抗はなくその行為の時間を楽しむのが目的だったように思える。
撮った写真をプリントして二人で見るということは、僕の覚えている限り一度もなかった。 (古屋誠一 「Christine Furuya-Gossler Memoires, 1978-1985」 から)

2013.04.21|引用



「この歳になって、やっと写真が分からなくなりました。」大辻清司先生が、大学の教室で僕らにそう言ったのを覚えている。「やっと分かるようになりました」ではない。「分からなくなりました」なのだ。聞いている僕らは心細くなって、言葉を返せなかった。

写真の実践を通して、あれだけの思索をしてきた大辻先生が「分からなくなった」と真顔で言うことと、その辺の誰かが「俺って頭が悪いから」などと開き直って言うことは、同じことのように見えてまったく違う。前者は忘れられない出来事となり、後者はどうでもよい出来事となる。その差を嗅ぎ分けられるくらいの能力は、誰でも生まれつき持っている。

ところで、写真が分かるとは、どういうことだったろうか。写真に対して「分かる」とか「分からない」とかいう言葉を用いることは可能だったろうか。写真は現実の影なのだから、それに対して「分かる」とか「分からない」とか言うことは、道端の電柱や散歩する犬に向かって「分かる」とか「分からない」とか言うことと同じように、ナンセンスなことではなかっただろうか。

だがよく思い返してみれば、世の中には昔から、電柱や犬を見ては立ち止まり「なぜ見えているのか?」「なぜいつも今なのか?」「在るとはどういうことなのか?」と考え込むような人間もいたはずだ。誰でも一日一回ふと感じてはそのまま忘れてしまうような、素朴だが根本的な疑問に囚われて、一生をまるまる過ごしてしまうような奇特な人間たちが、昔から少なからずいたはずだ。

そしてじっさい写真家のうちの幾人かも、そのような者たちの仲間なのかもしれないと、僕は思う。写真は現実の影であるだけに、それに毎日触れていると、現実に対するそのような根本的な疑問も、毎日膨らんでくる。しかもその疑問は、常に写真という「影」を見つめながら展開されるだけに、よりいっそう複雑なものとなる。「影」について知ろうとすることは、現実を知ろうとする欲求に否応なく繋がってゆき、写真に対する疑問は、影像を含めた世界全体に対する疑問へと成長してゆく。ゆえに「写真が分からなくなりました」という言葉は、敷衍されて「世界のすべてを知ることはできないということが分かりました」という大きな意味を持つに至る。今にしてみれば、あの時大辻先生は、ソクラテスの言っていた「無知の知」の場所に、単独でたどり着いていたのだと思う。……

……「写真が分からなくなりました」と語っていた大辻先生の目には、何が見えていたのだろうか。
 人の言葉は多く、戦いのために発せられる。生存に熱心な人間たちが用いる言葉は、概して強さに向かっており、即ち勝利を目指している。一方「分からなくなりました」と語る大辻先生の言葉は、そのような種類のものではない。先生の言葉は、強さとは逆の方向に向かっており、それは言うなれば、勝利ではなく道理を目指している。「無知の知」とは、言葉による勝敗の体験が人に与える、心のやりどころのなさから、自由な場所のことだった。
 そんな彼の目に映る光景とは、どのようなものであっただろう? それはたぶん、僕たちが毎日見ている、お馴染みの形態や色彩や動きが広がる光景とさほど変わらないが、その表面が、通常の人間には覚知できないほどの微細な陰影や濃淡の差異によって、見はるかすほどに覆われており、その肌理が、いったい光によって生じたのか、それとも言葉によって生じたのかは分からないけれど、とにかく見とれるほどに美しい、そのようなものではなかったろうかと、僕は想像する。
 ドアを開けて外に出れば、いつものように陽の光は注いでおり、世界は明るくそこにある。それにカメラを向けることのユーモアを「写真が分からなくなった」先生は、心の底から知っていたはずだ。
(畠山直哉「話す写真」から)

2013.04.17|引用



仕事で、順調だったことが急にそうでなくなってしまう時、ドキュメント映画で見たライオンやシロクマのことを思い出す。百獣の王であるライオンは、飢えていることが多い。インパラやシマウマを追いかけても、ギリギリのところで逃げられることが多い。シロクマも、アザラシを狙って、氷上を用心深く近づいて行っても、もう少しというところで気づかれて海に逃げられてしまう。そして何日も餌にありつけずに歩き続ける。ライオンシロクマに限らず、余裕綽々で生きていられるものは、生物界にはほとんどいない。みんなギリギリのところで均衡を保っている。ライオンが、余裕でシマウマやインパラを捕まえることができれば、シマウマやインパラの側に都合が悪いだけでなく、きっとライオンの側にも都合の悪いことがあるのだろう。シマウマも、余裕で逃げきれるわけではなく、ちょっと油断をするとやられてしまう。 おそらく、餌にありつけずに飢えて絶滅してしまう可能性よりも、楽々、餌にありつけてしまうことで、何かしらの欠陥が自分に生じてしまい、そのことによって絶滅してしまう可能性の方が高いのではないか。生物達は、長い間の生死の攻防を経て、最終的に、ギリギリのところでうまくいったりいかなかったりする状況に、落ち着いて。それが、種の存続にとって、もっとも安定的なことなんだろうと思う。 だから、順調だったことが急にそうでなくなることは、自然なことなのだ。自分の生命力や神通力を活性化させ続けるために必要なことなのだ。 締め切り日がないと原稿を書けないというのも同じ。プレッシャーがあってこそ、生物は、生物としての力を維持できるのだろうと思う。我々は、筋肉にしてもそうだけど、放っておけば衰えていくようにできており、維持し続けるだけでも、常に順調で楽々というわけにはいかない。だからまあ仕方ない。 (佐伯剛Facebookから)

2013.04.17|引用



わたしは何故かこれまで、難病をカミングアウトするかどうか、という類の葛藤を感じたことがない。他の人から、「よくそうすんなりと他人に全部話せるねえ」と言われてはじめて、「あ、そうなんだ」と気がついた。べつに、日傘を買いに連れていってもらったデパートの売り場のお姉さんにだって、「難病で紫外線が浴びれないんですよ、ちゃんと紫外線を遮断してくれる日傘が必要でー」と普通に言う。行きたいイベントや講演等の主催者の人にも、「難病で車いすタクシーで行くので、すみませんがよろしくお願いします」と事前に伝えておく。だって、難病も障害も、べつにその人は悪くない。選んでもいない。地球上の人類の中で、一定数の確率で誰かが負うことになる「難」のクジを、たまたまひいてしまっただけである。わたしの場合は、ほぼ症例のない、超稀なるクジであるわけだが。むしろどんどん言っていこう、みたいなノリである。医療難民、生存ギリギリの状態で、なにふりかまっている場合ではない。デッド・オア・アライブ。お財布の中の運転免許証やTSUTAYAの会員証に、障害者手帳が加わっても、わたしはわたしである。寅さんが好きで、ビルマが好きで、思い込みの激しい、妄想過多な、わたし。 (大野更紗「困ってるひと」から)

2013.04.12|引用



原始の人々と比較すれば、美術館やギャラリーという美術行為を見るための箱を設け、そこへ足を運ぶということは洗練の極みです。でも、その一方で、美術という人間に必要不可欠な行為が美術館やギャラリーに押しやられ、日常とまったく分離したところで展開している、とも見ることができます。それは見る側にも確実に影響している。日常に美術表現があり、美術とともに暮らしていた原始の人々のほうが、美術と分離して生活する現代人よりも、遥かに美術表現から何かを享受する想像力にたけていたのではないか、と考えます。これは人類が進化し、洗練されて行くことで起きた一種の悲劇です。美術は原始行為であり、写真はカメラという文明行為です。「やればやるほど写真が判らなくなる」というひとつの原因がじつはこれなのかもしれません。 (安友志乃「撮る人へ-写真家であるためのセルフ・マネージメント-」から)

2013.04.04|引用



神戸本町Birdie Photo Galleryにてカマウチヒデキ写真展#3「Book of Monochrome」。路頭でのスナップを中心に構成されていてその名の通りモノクロの展示。展示のテーマ(”ノスタルジー”のこと)と、一部かなり前に撮られたものであるのを知ってる写真もあったので、展示全体の撮影期間の範囲はかなり広そうなことを察する。でももし本当にそうならその撮影期間に比例したスケール感(集大成感?)があってもいいはずなのに、それは感じない。ここで言う”スケール感”を構成する要素には一つ、時間軸の連なりがあるのだと思うけど、通常、連なって縦に高くそびえ立っていくはずのそれは小口切りで均等に解体されてるかのよう。写真の「流れ」を注意深く回避されてるようにも思えて、写真個々とそれを通した全体像へ意識が傾く。

例外は勿論あるだろうけど、長年写真を撮っていればその時々で思想やテンションは多少なりとも違ってるものだと思う。写真をまとめる時にはそういった意識面が基準になることは多いし、だから過去の写真と今の写真をまとめられないことも多いのだと思う。今回のこの”均等に切り分けられた写真群”にも、それぞれその時々の思想・テンションがやっぱり含まれてるから本来、一皿の器に盛りつけるのは不可能なことのように思える。

今回の展示は、そもそもそれとは別次元に「モノクローム」という判断基準を設けることで、思想やテンションといった”ノスタルジー”という束縛から逃れ、あらたな世界を編むという、実はわりとシンプルな試みだったとも言えるのかもしれない。ただその個々の写真に含まれるエクスベリエンスの値に比例して、完成系へもっていくことは間違いなく難しくなる。多種多様な生態をもった厳かな生き物達をひとつの動物園におさめるようなもので、そこには専門的な知識は勿論、相当に綿密な立案が求められる。

カマウチさんは見事にそれを成し遂げてるように僕は感じて、結果、本来集結するはずのなかった個々が、モノクロームという共同体のなかで、まるで新生活をはじめているかのようだった。再度生を与えられた個々はそれぞれが干渉することなく自由に息づいていて、その光景は真新しく奇妙でとても感銘を受ける。

2013.03.31|展示をみて



長年勤めた職場を退職することになり、来月からは写真学校に通います。きっと、表現することには僕が思ってる以上に様々なやり方があるのだと思うけど、これまで続けてきた写真というジャンルはさらに向き合ってみる価値があると、この職場での経験を通して感じたので決めました。だからフォトグラファーになりたい訳でもなんでもなく、手法としての写真術を学ぶ為に大金を払うということです。もういい年だし、なので正直ギリギリまで決断を迷ったし、「迷ってる時点でどうなんだ…」と不安を感じることもあったけど、思い返せば僕は昔からそうで、そもそもどうでもいいことは(誰でも)迷わないと思うし、重要なことほど、迷える猶予のなかでその選択肢を出来る限り吟味する必要があるのだと思います。なにより実際にやってみないとこの迷いは一生晴れない。結果入学金もちゃんと納めたのであとはこれからやるだけ。 かといって、写真の世界だけにとらわれすぎず、広く美術という観点のなかで写真という手法を用いる、という意識も持ってそれに取り組んでいきたいと考えるようになった。海外の国をたくさんまわることで母国を俯瞰することができるように(海外行ったことないですが…)。なんて言いつつ”美術”という単語はまだ自分のなかで気軽に扱える言葉でもないから、これも並行して上手く学んでいけたらなぁと思っています。それから当面、昼間は職業訓練を受けます(写真は夜間)。試験があるので受かるかは分からないけど、ホームページもちゃんといじれるようになりたいので、お金を貰いながら通えるという事もあり。こんな都合に合った仕事も早めに見つけておきたいところ。。。

2013.03.27|雑記



どうやら人類は自分たちのことを知的だと思い始めてるらしい。バカなのに。サルのくせに。チンポが立ってガマンできなくなっちゃうくせに! 理論物理学者の(スティーヴン・ウィリアム・)ホーキング博士が科学雑誌で言ってたけどさ。記者会見で『地球以外に知的生命体はいるのか?』っていう質問に対して、『えっ? 地球にすらいないと思いますけど』って返してて。その一言に尽きるよ。人間なんて、しょせんは猿なんだから。インテリぶったりアートぶったりしてもダメでしょ! もうホントにヤバイよね (大橋仁「人類の明るい繁栄のために全財産をはたいて酒池肉林を撮り収める」から)

2013.03.21|引用



いくつかの部屋にあるすべてのものは、救出されていると同時に、廃棄され、処分されていて、そしてまた、計り知れない価値を持っている。最も平凡なものでさえも、不思議で耐え難い意味に溢れている。これらの部屋で、アートについてしきりに考えている自分に気付き、何度もそれを恥じた。彼女にとって、こうした復旧作業は常に判断が要求された。この廃墟から、何を選び出し、何を処分するかなど、いったい誰が決められるだろう。いつまでこのまま保管していられるだろう。放棄されたものをどう扱えばいいのだろう。確かなことなどあるのだろうか。彼女は地域の大多数を知っていて、洗浄し、乾燥させた写真に写るのが誰なのかなんとなくわかった。写っている人々を認識するだけでなく、これらの写真を扱うことで、人々の背後にある時間の回廊が彼女の前に切り拓かれた。「写真を通して、家族の記憶や人生を『再経験』することになり、しかもそれを大量に経験し、まるで100年分生きたように感じた」と彼女は語った。彼女は仮設住宅で誰かの思い出話をよく聞いていて、ときに、彼らが話す出来事を既に写真で「経験」していたことを思い出し、それを告げるといっしょに笑った。フィルムを扱う会社がアルバムを提供してくれて、その他の援助も提案してくれた。その多くを彼女は喜んで受け入れたが、この状況が企業PRのために利用されないようにと慎重にならなければいけなかった。 「一枚の写真の価値は変化し続ける。写真はすべてに抗う。しかし、同時に写真は何にでもなりうる。」と、彼女は話した。 (ART IT/アヴィーク・セン「写真は抗う:志賀理江子との一日」から)

2013.03.13|引用



私たちは美術の作品を解釈するとき、時刻を知ろうとして時計をみたり、道を渡るときに用いるのと同じ感覚器官を頼りにする。ただ心のなかで起きていることには、大きな違いがある。たとえば、いまこの本を読んでいるあなたは、周囲の状況、ページをめくる手の動き、紙面に印刷してある文字の列など、目から入ってくるかなりの量の情報を処理している。ところが、おそらく自分がそうしていることなどほとんど意識していないにちがいない。おかしなことに、私たちをとりまく目にみえる世界は、じつはほとんど目に映っていない。だからといって、私たちがそれに気づいていないわけではない。それどころか、私たちの現実把握は、身体をとりまく物理的な状況のすべてについての、総合的な感覚に基づいている。感覚器官を通じて、私たちの心に送りこまれる情報を合成して得られるこの感覚を、ゲシュタルトと呼ぶ。たとえば、あなたはこのページを読んでいる最中に、そこに並ぶ文字の配列を模様や図形として意識しない。なぜそうなるかというと、子どもの頃からゆっくり時間をかけて、脳は目に映る文字の形を素通りして、文字が意味する内容に意識を向けるように訓練されているからである。 (アメリア・アレナス「みる・かんがえる・はなす。鑑賞教育へのヒント。」から)

2013.03.09|引用



久々に訪れた母校の校舎内は教職員の人影はちらほらあるものの、生徒達の気配はなくとても静か。もう春休みなのかなぁ。事務室で所用の手続きが済むのを待ってる間、遠くのグランドに野球のユニフォームを着た生徒らしき姿が目にとまる。手続きはまだ時間がかかりそうだったので、ただ待ってるだけもなんだしと外へ出る。野球部員は三人いて、一人はトスバッティング、遠くから見かけた一人を含む二人は外野ノックの最中だった。トスをあげるマネージャーと、ノックを打つ先生、あとランニングしてる先生。あわせて六人しかいないこの学校のグランドは昔から部活動が盛んでは無く、敷地は広いだけに相変わらずの殺風景。僕が同じようにここで練習してたのはもう7年以上前のことになる。

練習風景をしばらく眺めたあと事務室に戻り、書類等を受け取ったのち野球部のことに少しふれると、今はほかの高校と合同でチームを組み、かろうじて試合に出場してるということを教えてくれた。思い返してみれば僕の頃もそうで、一年の夏の大会の後、部員は六人ぐらいになって、これじゃあ試合ができないからと同じ状況にある別の高校と組み、連盟チームとして普段の練習も一緒にやってた時期があった。その高校の部員数は三人で、一人は同級生で二人は一つ上の先輩だったけど、特に分け隔てもなく部室でふざけあったり、ご飯を食べにいくことが自然になることにも時間はかからなかった。

そんな時期があったから、今この少人数で練習を続けてるなかに人員として一人でも加われば、練習効率や士気だってあがることは分かる。事務職員の人とそんな話になって、けど僕は野球部にいた三年間、ただ人数がいないからという理由だけで試合に出たりしてたようなもので、上手でもなんでもなくむしろ足を引っ張ることの方が多かった。そんな後ろめたさに似た気持ちもあるから、いま練習中のこの輪の中に「卒業生です」と入っていくことすらおこがましく。。でも久しぶりにキャッチボールとかやりたいなぁと思った。気づけば気温もあったかくて、校舎の庭には梅の花も咲き始めてる。

2013.03.07|雑記



いろんなジャンルのアート作品をみていく中で、自分は具象的なモチーフへの関心が強く、だから写真は勿論、写実的な壁画にも惹かれてる傾向があることをあらためて感じる。けどその関心は、単に自分がいま写真を続けてるために抱く、具象イメージへの親近感、あるいは安心感のようなものが手伝ってる面もあるのかもしれない。それで、だとしたらこの感覚はまちがいなく後天的で、抽象への関心の低さは食べ物の食わず嫌いのようにも思えてくる。そもそも、(ここで言う)親近感等を含めて対象を観てしまってるのだとしたら、それだけ表面で判断してしまってた部分もあったんじゃないかとか…

印象派という絵のジャンル?があって、それらの作品を最初ぱらぱらと観ていて抽象画のように思えていたけど、そうではないみたいだった。印象派を代表する一人にクロード・モネという人がいて、氏は「光の追求が、描かれる対象物を色彩の中に溶け込ませていく」と語り、また、モヤモヤしていてなにが描かれてるのか分からないという批判に対して「なんでもかんでも目にくっきり見えるなんて大間違いだ」と返したのだそう。

子猫がテレビ画面の動く映像にひたすら反応する姿をみて笑ってたら、「いつもあんな感じ。いい加減わかれよ、って感じよね(笑)」と言われる。じゃあ僕はこれまでいろんなことを”わかって”きたのかもしれないけど、一体それはどういう理由で”わかって”るのか?また、その”わかった”ことに覆いかぶされて見えなくなってるなにかについてを考えながら、液晶画面に夢中の子猫の姿をぼーっと眺めていた土曜日。歯と頭が痛くて辛い。。

2013.03.03|雑記



イリュージョンのこういった魅力は古くから語られている。人間は生まれながらにリアリズムに惹かれるという素質をもっていると唱える人すらある。古代ギリシアに、ゼウクシスという、事物を本物そっくりに描くことのできる画家がいて、そのみごとな技巧に鳥すらもだまされ彼の描いた葡萄をついばんだという伝説が残っている。そしてとうとうゼウクシス自身も、自分の作品に欺かれてしまったとその伝説はつづく。自らが描いた鬼婆の、あまりのみごとさに大笑いをつづけた彼は、笑いが止まらなくなって死んでしまったのだ。ゼウクシスは、理想を追い求めそれに恋したピグマリオンよりも、ハートフィールドに、より近いアーティストだといえるだろう。 描かれたものをみて笑い死ぬなどというのはおもしろいかもしれないが、しょせん、物語でしかない。これがほんとうに語ろうとしていることは、私たちのリアリズムへの傾倒が、生まれながらにすべての者に備わっているものではなく、あとから習得されたものだということである。幼い子供たちや辺境の地に生活する人々にとって、印象派の壁画に見られる点々とした絵の具のかたまりや、あるいはもっと古い時代の巨匠たちが描いたドラマチックな光と影を用いた作品のなかに、人物や風景を見てとることはむずかしい。私たちがリアリズムに魅力を感じるのは、具象画を見ることで身につけてきたひとつの嗜好の結果に負うところが大きい。ルネサンス時代のイタリアの画家たちが遠近法を発見してからというもの、私たちは強くリアリズムによる幻想、つまり「壁画の嘘」にますますスリルを見出すようになったのである。写真、映画、テレビ、コンピュータ・グラフィックスなども、そういった欲求を満たす現代版の幻想だといえる。 (アメリア・アレナス「なぜ、これがアートなの?」から)

2013.02.27|引用



成田舞さん個展「Home calling,’kiyakiya!’」東京からの巡回展で写真と言葉の展示。写真は2つの壁面に分けて、すべて直張りで並べられてる。写ってるものは全体的に、視点の着地点があるようでない抽象的なイメージが多く、具象的な写真もあるけどそれすら不思議とどこか曖昧な印象をうける。言葉は、二枚の普通紙にそれぞれ綴られてる。一枚は今回の展示についての(作家自身による)ステートメントで、もう一枚はおよそ1000文字程度の物語。その二枚が赤い糸で一組に束ねられてる。

HPにも掲載されていた、ぼんやりあかりが灯った家を誰かがベロリと舐めてる写真はやっぱり気になる。家には、そこに住んでる自分はもちろん、無数にある自分の身の周りのもの、なにより一緒に暮らす家族を彷彿させられるけど、言うまでもなくとてもかけがえないそれを、得体の知れないとても大きな誰か(なにか)が、暗闇からぬっと現れ、大きな口をあけて、今にも唾液が滴りそうな舌で舐めてる光景に畏れを感じずにはいられない。ただ一方で妙な安堵感があることにも気付く。

もしそれが歯をむき出しにして大口を開けていたら、あまりにもハッキリとした結末を予想せざるを得なかった。しかし舐めるという行為の真意の不確かさが、不気味でありながらも、こちら側に思考をめぐらせる余地を与えてるようにも感じる。僕は舐められてる家がどこか飴玉のようにも見えてきて、もしかするとこの得たいの知れない誰かは、この家が持つあたたかさ(体温のような)に、なにかしら理由があって、少しだけそれを確かめたかっただけなのかもしれない、とか想像した。だから妙な安堵(穏やかさのような)も感じたのかもしれない。

写真全体を通して感じる、まるで意識が大きく弛緩したような浮遊感は、夜眠りにおちる間際、あるいは朝、夢と現実をまだ行ったり来たりしてる時のようでもある。触れた途端に消えてしまう、泡のように薄く半透明で繊細な非現実感は、実は観る側の誰しもに備わったイメージなのかもしれない。そこには常にやすらぎと不安が同居してる。

写真と言葉(物語のほう)はそれぞれ互いを支えあう、二つで一つの作品ですという空気をあからさまには感じないけど、例えば地中にあるひとつの種から(写真と言葉)それぞれは生えていて、ただ別々の場所から芽を出してるだけ、というような親近感がある。展示のタイトルでもある「きやきや」は、その二つ生えた芽の種につけられた名前のようにも思える。

2013.02.24|展示をみて



先日、親知らずを抜くために歯医者で麻酔が効くのを待ってる間、ちょうど今島国へ旅に出ている友人からメールが届く。そこでは(少なくとも大阪では)まず見ることの出来ない大自然があって、身も震えるような感動の最中にあることを写真付きで報告してくれたのでした。旅には、普段にはない新しい体験への期待が、その単語のなかに大きな要素として含まれてると思う。そういう意味では近所に出掛けることも意識の持ち方によっては旅のようなもので、おおげさかもしれないけど抜歯という体験もそうだった。

麻酔が効いてくると当然ながら痛覚はおろか、あたたかかったり冷たかったりも分からなくなる。自分の神経の通った骨が実際に削られ、砕かれ、掴んで引っ張られたりしてるのに、麻酔によって、あたかもそれが自分のことではないように思えるのがちょっと不思議だった。ただ、激しい痛みは感じ無いながらも、削られたりする際に生じる振動や音にともなって、まぶたの裏の真っ暗な視界に突如映像があらわれる。それは夜空にピカッと瞬間的に走る稲妻のようだった。僕の視界のなかでひたすら繰り返される落雷、に似た形象を眺めながら、今身体に起きている出来事を確かに感じ続ける。

親知らずはかなりやっかいな生え方をしていたようで、結局抜歯には2時間以上がかかり、当然ながらその間先生は僕に付きっきりになってしまって、他の患者さんを待たせてしまっていたようで申し訳無かった。けどやっかいだっただけに、治療中、先生からは袖をまくるような本気感も伝わってきていて、だから無事抜歯(厳密に言うと粉砕)できた時はお互いなんだかとても清々しい気持ちになってた(自分だけかもしれないけど…)。

今回の抜歯はこれまでに無い部類の体験で、あの稲妻のような映像もずっと脳裏に焼きついてる。ただそれは恐怖やトラウマのように、頭に根をはり強制的に居座ってしまうものではなく、純粋なただの記憶として、とくに棘も無く丸い形をして転がってる。粉砕した歯は記念にもらったので、旅の思い出としてその写真を撮り、添付してそのまま友人へメールを返した(迷惑…)。

2013.02.23|雑記



最近だとイデオロギーっていう言葉の意味がいまいち掴めない。それは場面によって示す内容も変わるからだとも思われるのですが、だったら普段自分(達)が使う、例えば「アレ」という言葉も、もしかするとイデオロギー並に複雑な単語なのかもしれない。前の職場で交わされてた日常会話で「それをアレしといて」とかも普通に通じるからそう話すけど、傍からだとまず意味は分からないだろうし。。となると、その言葉に対する理解の基準に、言葉自体のむずかしさのレベルは実はそもそも無く、使い手にどれだけ身近であるかどうかに尽きるのかな。英語は全然分からないけど、海外の人からしたら日本語がそうなのと同じように。 しかし、漢字だと読めても書けないことが多いみたいに、それは言葉も写真も同じなんじゃないかと思った。この場合、だから表現する側は少数派になるのかもしれない。うーんいや、でもだから、写真の場合は、自分が撮ったそれ自体を読む力がないと、ありきたりすぎたり、めちゃくちゃな文章になったりしてしまう、ということになるのかな。とにかくまだまだ勉強が足りない…。

2013.02.18|雑記



こんな作品を、いったいなぜ描こうとしたのだろうか。答えは単純だ。通俗的でありながらミステリアスな、そしてどこにでもありながら、たぶんに個人的な汚れやしみ、あるいはいたずら書きや落書きのなかに、私たち自身の何かを見出そうとしたからである。それらが思い起こさせるのは、肉体から発せられるさまざまな衝動を、日々、抑制してきた私たちに背く、無秩序なままの身体だ。私たちは人生のうちであまりにも早い時期に自らに抑制を課してきたために、それを体得するのに学習が必要であったことを忘れがちだ。 トイレで用を足す訓練を終えたそのときから、肉体的あるいは物理的に超えてはいけない限界を私たちがしっかりと悟ることを社会は要求してきた。いつもこざっぱりと綺麗にしていること、物を汚したり破壊したりしないこと、激情や欲情を押さえること等々、それは数えあげれば切りがない。もしその限界を超えれば、大人気ないとか、最悪の場合には犯罪者という烙印が押されてしまう。ところが私たちが社会と結んできたこういった暗黙の了解は、つねに崩れやすい約束事なのである。それが壊れる恐れは、逸脱した性行為のスリルを味わったとき、あるいはレストランのテーブルの裏にガムをくっつけたときなど、いつでもある。フォンターナ、タピエス、そしてトゥオンブリーの作品が衝撃的だったり、詩のようであったり、またその両方であったりする理由は、さまざまな衝動―――心のどこかで約束事を破りたいと欲する強い衝動だけでなく、それと同じくらい強い自制への切望―――をじっくりと私たちに見つめさせるからなのだ。 (アメリア・アレナス「なぜ、これがアートなの?」から)

2013.02.16|引用



行く場所は特に普段と大きなちがいはなかった。ただ心地良い疲労感のままにその日は眠って、それからあのネガに焼き付いてるであろう像についてとてもよく考えてる。僕自身に決定的に欠落した部分への、もし単なるないものねだりだったらと考えてゾッとしたり、一方で期待が湧き出ると、同時に、分かることはこちら側でしかないという経験則がそこへ蓋をする。頭の中にあるこの潜像を自分の目で確かめるまでの今、いつも以上に不安さえも付きまとう。

2013.02.16|雑記



心斎橋Acruの小林奈々美写真展「私は、それを知っていたのかもしれない」。全体的に浅い被写界深度とマット調のプリントによる”不鮮明さ”が、写っているもの自体に内在する意味をある程度削ぎ落としてる。おそらく室内で撮られたのであろうものが多く、アンダーなトーンも手伝ってどこか閉鎖的な雰囲気。本人は「写真は感情表現の手段」だと語る。

ギャラリーの一番奥には自身のセルフポートレートがあって、胸元には食品表示のシールが張られてる。スーパーの生鮮食品のようにパッケージングされた自分の提示。この一枚がとても説明的だっただけに賛否両論があったようでした。僕自身は、このセルフポートレートが今回の個展の「枷」になってるように感じる。たしかに全体を包括する、それでいてテーマ性を強く想起させる一枚だけど、故に今日まで、彼女はそこに写る自分自身に(あらゆる意味で)束縛されていたんじゃないだろうかと思ってしまった。

一見、もっとも生々しい一枚のようで、僕はそれ以外の写真の方に撮り手のリアルを感じる。あらかじめ打ち立てたコンセプトに、結局のところ綺麗におさまってはいなかった感情の脈動(ゆれ)は、その一枚から開放されることでより自由さを得るのだとしたら。ただ、この一枚はいれざるを得なかったんだとも思う。この写真展は、そうして自身の足首に固定された重量のあるそれを、確実に解体するために必要な作業だったのかもしれない。

2013.02.15|展示をみて



個展が終わってからしばらく、僕は少しふぬけになってるような気がする…相変わらず写真は撮ってるけど惰性でしかないような。運動に例えればウォーキングのようなもので筋肉がつかない。でもだからと言って、話をしていて「やらなきゃ」と奮い立たされたなんて言えば少し大げさになるのかもしれないけど…。 こんな短い時間の間でも自分はすぐさまよってしまう。よそ見がくせなのか、気が付くとよく分からない場所にいることが多い。昨晩自宅に帰ると小さな子猫がいたけど、まだよちよちしていて、歩いてて時折突拍子も無く転ぶ。行く先もなにかしら関心があってなのだろうけど無作為のように見える。 自分は今、正しい方向に進めているんだろうか…毎夜不安になる。けど明確な指針をうっかり忘れてた。恋人でもなければ家族でもない、ましてや出会ってまだ数えるほどの年月しか経ってないのにこれからもきっとかけがえの無い人が、それを指し示してくれる。

2013.02.10|雑記



2013.02.03|*



同じくMIO PHOTO OSAKAにて山下望さんの「Window」。ピンク色に仕立てられた壁面の空間は、写真の展示方法のほか、フレームの上に置かれたアクセサリーや壁に貼られたシールなども手伝って、女の子の部屋のようなプライベート感を演出してる。キャプションには「自身の少女時代とその魂をある12歳の少女の姿を通して写真にとり押さえる」とあった。

山下さんは主にホルガを使っているそうで、そのカメラは解像度はあまり無い方なのに、写真はいつもリアルで鮮度も感じる。情報量ではなく関係性なんだろうか。けど大きく引き伸ばしたほうの写真からは、これだけ堂々と自身をさらけ出していながら「声」が全く聞こえてこない。その静けさのベールがどこかエキゾチックでもあり魅惑的。

しかし、聞こえてこなかったと思っていた「声」は、フレームの写真の方に耳を澄ますとはじめて聴き取ることができ、そこでまた違った一面を知る。まるで舞台に立つ女優さんの、楽屋を覗き込んでいるかのような気分になるといったら少し大げさでしょうか。。

山下さんはきっとモデルの女の子と同い年ぐらいなんだろうと思う。実際はそうじゃないかもしれないけど、という点に少しの片想いもあって。いつもすぐ隣にいるのに遠距離恋愛のような。そんな不思議な距離感をもった相手への純真さが素敵。会場が少し広すぎる感もあったけど、その空間をこれだけ自分仕様にできてるのもすごい。

2013.02.02|展示をみて



天王寺にてMIO PHOTO OSAKA。井上尚美さんの「ひとぼし」。淡路島では初盆のことをそう呼ぶそうで、毎年この時期に地元の人達は集まって、死んだ人を弔うのだそう。淡路島独自のそういった風習が行われている光景を、二、三歩引いたところから眺めるような距離感でほぼ統一された写真が並ぶ。

その合間合間に淡路島の自然風景を写した写真。自生する植物であったり、昆虫だったり。僕にとってはこの自然にある普遍的な価値のようなものが、今回の写真群に入り込む窓口になった。それは、伝統文化といった類にあまり関心は無いけど、豊かな自然があふれる場所には行ってみたいと思う、という単純な理由だと思う。

島の外から来た自分は、その儀式の様子に興味はあっても、少し離れた場所からじっと眺めることしかできない。ただ、その時の心境は、同じ場所にある海や草木や生物をみている時のそれと、根っこは同じだと感じる。結局その風習の具体的な内容はわからないけど、そこに吹いてる風は同じで、だからこの風習も自然風景の一部分に見えてくる。文化を受け継ぎなさいという説教じみた風ではなく、ただ「ひとぼし」もまた、自然にある価値と同位的であることを気付かされたような気がした。

2013.02.02|展示をみて



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本当に些細なことでなんでそういう方向に意識が倒れてしまうんだろうって、それは違う、でももういいんだ、のあとにまたふりだしへ戻る。ということをこれまで何度繰り返してきたのか…。人なんてと考えるのは思い返してみれば全部が一時で、結局いつも誰かに支えられてる。そもそも話をするのが楽しいし、喜んでもらえたらその嬉しさを何度もかみ締めたいと思う。向き合うことへのわからなさに感じるおそれは、むしろ大体が言い訳じみてるのが常。だからそれ以上に素直になれないだろうか…自分の感情に正直になるのが必ずしも正解じゃなくて、その一枚手前に、確かにいつもあるはずの言葉を自然と汲み取れるように。

2013.01.22|雑記



僕が将来的にやりたいと思うことは、これまで自分がやってきたこと、今やってること、直近でやってみたいと考えてること的に見て、それができるんじゃないか、できる可能性がきっと生まれるだろうから、そうしたらきっとやってみたいと思うだろうな、という感覚から引っ張り出した一つの予想みたいなもの。だからぼんやりとはしてるけど、どの方向にそれがあるのかはちゃんと見えてるからきっと問題無い。ビシッと言い切ってみたい気持ちはあるけど、でも5年後のことを決めるのは今の自分じゃなく5年後の僕に任せた方が良い気が最近しています。目標設定できる現在から未来までの距離の長さにはきっと個人差がある。

2013.01.20|雑記



1/16水曜の早朝、渋谷に着いて夜行バスから出ると雪が積もってた。東京では2日で20件のギャラリー・美術館を周って写真も適度に撮った。小学校からの友人のYの家に一泊だけさせてもらった。1年ぶりに会ったYは大学院をすでに出てたようでスーツ姿だった。部屋には哲学やらなんやら難しそうな本が相変わらず散乱してたけど、これでも先日たくさん処分したのだそう。彼との思い出と言えば一緒に公園で走りまわったり家でゲームしたり。中学は部活も一緒で(僕が強引に誘った)馬鹿なことばっかりしてただけに。某有名大学を出ていて海外留学経験もあり英語も達者。それに空手の有段者で高校はアメフト部にも所属していた体育会系でもある。待ち合わせの時間は絶対に守らないけど良いやつです。長年付き合っていた彼女とは去年別れたそうで、今は30歳までにある野望(?)を叶えるべくサラリーマンとしてひたすら稼いでいくのだそう。彼のその言葉は本当にしっかりしてた。 「有名な写真家もみんな何かしら下積み時代はあるもんじゃないん?ほら、この前見せてくれた川内倫子とか…」 と話の流れの中でYはいう。確かにそうだと思った。うん、そりゃそうだなぁ。例外はあっても大抵はそう。青山のナダールでは林さんと早苗さんが迎えてくれた。東京のギャラリーの人で唯一面識があるお二人なだけに少しほっとする。早苗さんはなんだか以前お会いした時よりもやわらかさをまとっていて、それでいて楽しそうだった。林さんはご自身の画廊も見せてくれた。僕が靴下を無くしたので素足に靴を履いていることを話すと、自分の靴下の予備が無いか画廊内を探してくれたのがおかしくて嬉しかった。色々と自分にとって有意義な話も出来た。林さんもきっと相当な苦労をこれまで経験されてるんだろうけど、でもいつもとても和やかな方だから本当に本当に心底写真が好きなんだろうなぁ。 ギャラリー巡りが終わって、帰りの夜行バスを待つ間カフェで本を読んで時間を潰していたら若い女の子達が隣に来たので、僕が座席をひとつ詰めるとそれだけで何度も感謝の言葉を口にしてくれてちょっと照れた。しかし思い返してみればこの2日間で感じたことの一つに東京の人達の心遣いがあるかもしれない。人混みを歩いていてぶつかりそうになったら「すいません」とか、当たり前のことなのかもしれないけどなんとなく、そういう小さな心遣いにふれることが多いように感じた。寒かったからかなぁ…関係ないかなぁ。知らず知らずの自身の心境とかもあるのかもしれない。でもこれまで過ごした東京ではそれを感じたことがほとんどなかったからちょっと印象も変わった(そして大阪のガラの悪さも再認識…)

2013.01.18|雑記



じっと見つめていると、それが一体何なのか分からなくなるし、ここが一体どこなのかも漠然となってくる… 哺乳類の中で最も視力が優れると言われる人間は、朝起きてから夜眠るまで、絶えず目に映る膨大な情報を処理し続けなければならない為、脳の感覚領域の、およそ3分の1が視覚に使われている。だから脳は、一度みたものにはまず固有の意味を付属させることで、以降、そのものが視界に映った際の処理速度を向上させる為の「学習」を繰り返し、視覚の安定を維持しているのだそうです。 聴覚に優れた猫は自ら耳を塞げず、嗅覚に優れる犬も同様であることから、個々の生物にもそういった能力が備えられていることが伺える。でも、情報が溢れ続ける現代で暮らす人間にはひたすらその「学習」を繰り返す必要があるから、その為に人間が「みる」手段のほとんどはもはや視覚ではなく、「あたま」になっていると言っても過言では無い。谷口氏とそんな話をしていて今更ながらハッとする。。 この前の個展で展示した写真は、撮っている時の意識が、子供の頃夢中になって昆虫採集をしていた頃と非常に似ていることから、当時一番印象に残っていたプロトファスマ(Proto=最初の・原始の/phasma=異様なもの)という昆虫をタイトルの由来にした。そんな僕らの「め」に、彼らはまるで擬態して佇んでいるかのようにも思える、という言い回しに変えてみて、さらにもう一歩踏み込む意気込みであらためて身の周りを見つめてみる…

2013.01.13|雑記



2013.01.03|*



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