…わたしは物事の知的な側面に目を向けるのは好きなんだが、「知性」ということばは好かない。知性ではどうも無味乾燥で、表現力が弱すぎる。それよりは「信念」のほうがいい。ひとが「わかっている」というとき、たいがいはわかっているのではなく、信じているのだね。とにかく、人間は美術という営為にたずさわるときのみ、人間として、動物の状態を超える能力をそなえた真の自立した個人になれるとわたしは思う。美術は空間と時間に支配されない領域へ向かう門のようなものだよ。生きるとは信じること、これがわたしの信念だ。

もう三十年以上もまえに、本腰を入れて美術作品の制作にとりくむのをやめたことになっているひとの口から出たとは、とても思えないような発言だ。それに、この折り紙つきの不可知論者が「信念」について語っているのにも、意表をつかれる。はじめのうちはこのことばを漠然とした意味あいーー本当かどうか自信はなくとも、何かを真実と信じる(思う)ーーで用いていたようだが、「生きるとは信じること」とまで言いきって、この語にはるかに明確な解釈をあたえ、そうすることによって、美術を人間の営為のなかでももっとも高度なもののひとつとするみずからの確信の強化をはかる。この変化は、言語一般、とりわけ単語についてのデュシャンの思考の揺れを反映したものである。デュシャンは好んで唯名論者ーー抽象的な概念は実在せず、わたしたちがあたえる名称が存在するにすぎないと信じるひとーーを名乗った。テレビ番組が放送されてからまもなく、ミシェル・カルージュの『独身者の器機たち』に関する詳しい批判を手紙で展開したあるフランス人に対して、デュシャンは「わたしは言語を信用していません」と応じている。「わたしは文章による批評の大敵を自認する者です。カフカ等との対比やあれこれの解釈は、言葉の蛇口を開くきっかけにすぎないとしか思えません……したがって潜在意識のなかにある思考を説きあかすかわりに、現実には、ことばによって、ことばに引きずられるかたちで、思考を創りだしてしまう。」デュシャンによると絵画などの視覚芸術作品は、ことばに置きかえられないものである。それに、「これら駄弁の数々ーー神の存在、無神論、決定論、自由意志、社会、死、等々は言語と呼ばれるチェスの駒であり、それが楽しめるのは、『このチェスのゲームの勝ち負け』にこだわらない場合にかぎられます。」ところが、チェスの達人であったデュシャン本人も、言語のゲームが、中毒と呼んでもいいほど好きだった。ことばはどうも信用ならないとデュシャンが感じたのは、ことばには生みの親のもとを離れ、ひとりで生きていこうとする傾向があるからだろう。そのために、思考や思想を伝えるにはあまり役に立たないけれども、それが理性を超えた想像力の世界を開く鍵として働くことを妨げはしない。そしてその想像力の真の声を伝えるのは、詩をおいてほかにない。…

*

…八百語からなる文章は主題も表題と同じ「創造的営為」で、まず「美術の創造には二つの極があり、一方に美術家、他方にやがて後世となる鑑賞者がいる」ことをあきらかにする。デュシャンにとって、ひとりまたはそれ以上の鑑賞者の目に触れ、思考の対象とならないかぎり美術作品が完成しないことは自明の理だった。したがって、知られざる傑作が存在する余地はない。そのおもな理由としては、デュシャンの見方によると、美術家は創造的な行為の一部をになうにすぎず、またそのさいにも、自分がしていることを意識のレベルで真に理解してはいないことが挙げられる。「どう見ても、美術家は時間と空間の迷路を超えたさきで、開けた場所へ出る道を探る霊媒のようにふるまうとしか思えない……」というのがデュシャンの言いまわし。「この霊媒としての役割を否定し、創造行為の最中のみずからの意識の有効性を重んじる美術家の多くが、わたしの考えに賛同しないことは承知している。ーーしかし美術史はつねに美術作品の価値を、美術家の合理的な説明とはまったく無縁な考証を経て確定してきたのである。」言いかえれば、美術家が自分は何をしていると考えようと、実際にできあがる作品は、本人が意識してどうこうしようにも手の届かない事柄によって決まってくる。そのために、作者の意図とできあがった作品のあいだ、デュシャンが機知を効かせて「意図されながら表現されなかったものと、意図せずに表現されてしまったもの」と呼ぶもののあいだにはかならずズレが生じる。鑑賞者のおもな役割はこの隙間に踏みこみ、目に映るものを解釈することによって、美術家がまず作動させた過程を一巡させることにある。…

DUCHAMP カルヴィン・トムキンズ著 P405、408から

2019.05.12|引用



…数学よりも詩にかかわる独自の理由づけがあった。デュシャンの推理はしごく単純だ。三次元のオブジェに降る光は二次元の影像を投げかけるのだから、わたしたちの三次元の世界は四次元の存在の影像でもありうるのではないか。こうした考えかたは、デュシャンの精神という特異な仕掛けを経て、やがて<大ガラス>に導かれる。…

…「芸術は、ひとが真の個性を発揮できるたったひとつの活動だと思う」とデュシャンは言う。「ただ芸術を行うときのみ、ひとは動物の状態を脱することができる。なぜなら芸術は、空間と時間に左右されない領域に向かうただひとつの経路なのだから。」…

…発明家の息子としてカリフォルニアに生まれ育ったケージは、実験的な音楽作品のみならず、文章をつうじ、また教壇に立って抽象表現主義とはまっこうから対立する芸術の概念を提起した。作者の私的な「筆致」と心の奥に潜む感情を重んずる芸術にかわり、ケージは偶然にもとづく芸術に目を向ける。そこでは作者の個性を排除するためにあらゆる努力が払われる。少数の天才が創造する傑作よりも、日々の暮らしに芸術性を見いだす悠久の作用を愛でよとケージは訴えた。芸術の目的は「無目的な遊び」だとケージは一九五七年に記す。そこでは芸術家の波長が自然 ーーその見かけではなく、作用のありかたーー のそれと一致する。…

…デュシャンの理論には重要な伏線があった。デュシャンは美的共鳴を聞くことのできるひとに、創造過程に必須の役割を割り当てた。美術家は、デュシャンの考えによれば、そうした過程に欠かせない三つの要素のひとつにすぎない。ほかの二つとは美術作品そのものと、その本質に感応できるまれな傍観者である。「美術作品が美術家から独立した存在であることは、いくら強調してもしすぎることはない」とデュシャンは言う。「美術作品には独立した生命があり、たまたまそれをこしらえた美術家は責任を問われない霊媒のようなものだ。」

「それでは、デュシャンさん」とグレゴリー・ベイトソンが割って入った。「あなたはつまり、美術家は絵にとって自分を描かせる手段だとおっしゃる。これはきわめて重大かつもっともな話だとわたしは思いますが、そうなると、ある意味では、美術作品はカンヴァスの上に描かれるまえにどこかに存在しているということになりますね。」

「美術家と美術作品のあいだの競争のようなものかもしれません」とデュシャンは相手の言いぶんを認めながら、はっきりとした答えは口にしていない。

それでは評論家はデュシャンの考える世の中のしくみのなかの、どこにおさまるのだろうか。「評論家は感情を別の伝達手段、つまりことばに置きかえる、翻訳するわけですね」とデュシャンは言う。「ただわたしとしては、そうした翻訳によって、一般に美術と呼ばれている表現法の詩的『本質』をいくらかでも表現しうるものか、疑問に思います。」ジョージ・ボウアズに、そうなると、評論家には何をしてほしい、あるいは何を語ってほしいと期待するのかとたずねられて、デュシャンはほがらかに「あまり多くは期待しませんね」と応えている。…

DUCHAMP カルヴィン・トムキンズ著 から

2019.05.12|引用



美術の創造にかかわるふたつの重要な要素、両極についてまず考えてみよう。一方に美術家、他方に鑑賞者がいて、この鑑賞者はやがて後世と呼ばれることになる。どう見ても、美術家は時間と空間の迷路を超えたさきで、開けた場所へ出る道を探る霊媒のようにふるまうとしか思えない。もし美術家に霊媒の性質があるとするなら、自分が何をしているのか、なぜそうしているのかを、美術家が美的なレベルで意識しているとは考えにくい。美術家が作品をつくる過程でくだす決定はすべて純粋な直感にしたがうもので、自己分析への翻訳は話す、書く、あるいは考えることすら不可能だ。T・S・エリオットは『伝統と個人の才能』に関する随筆につぎのように記した。「芸術家が完璧に近づけばそれだけ、芸術家のなかの苦悩する人間と創造する精神の分離もまた、完璧に近づくだろう。精神は素材となる情熱をいっそう完璧に消化し、変質させるだろう。」

作品を創造する美術家は何百万といる。鑑賞者の話題となり、受け入れられるのはそのうちわずか何千に過ぎず、後世から聖人のようにあつかわれる数はそれよりはるかに少ない。つまるところ、美術家はだれでも屋根の上から自分は天才だと叫ぶことはできる。そうした宣言が社会的な価値をもつか、そして後世の美術史の入門書にとりあげてもらえるか否かは、鑑賞者の判断を待つほかない。美術家にはこの霊媒としての役割を否定し、創造行為のさなかのみずからの意識の有効性を力説するひとが多く、かれらがわたしの考えに賛同しないことは承知している。しかし美術史はつねに美術作品の価値を、美術家の理性的な説明とはおよそ無縁な考証を経て確定してきたのである。

もし美術家が、みずからに対し、そして世の中のすべてに対して善意しかもたないのに、なお自作の価値判断になんの役割も果たさないとしたら、鑑賞者に作品を批評しようという気を起こさせる現象をどう説明すればよいのだろう。言いかえれば、なぜそうしたことが起こるのだろうか。

この現象は、芸術から鑑賞者へ、顔料、ピアノ、大理石など不活性な物質を介して行われる美の浸透をつうじた転移をにたとえられる。ただこのさきに進むまえに、「芸術」ということばの理解のしかたを明確にしておきたい。もちろん、これを定義しようなどというつもりは少しもない。芸術にはできの良いもの悪いもの、どっちつかずのものがあり、どのような形容詞がつこうと、それは芸術と呼ぶほかなく、できの悪いものであっても、悪い感情もまた感情であるように、やはり芸術だというのがわたしの考えである。したがってわたしが「芸術係数」と言うとき、それは偉大な芸術作品のみを指しているのではなく、優れたもの劣ったもの、どっちつかずのものをすべてふくんだ、生の状態の芸術作品を産みだす主観的なメカニズムをときあかそうとしていると理解していただきたい。  

創造的営為では、芸術家はまったく主観的な行為の連鎖をつうじて、意図したものを実現してゆく。この実現に向けての闘いとは努力、苦痛、満足、拒絶、決断の連続にほかならなず、それらはまた芸術家本人には、美的判断のレベルではすくなくとも、完全に意識することのできないものである。こうした闘いの結果、意図と実現したものとのあいだにはズレが生じる。芸術家はこのズレに気づかない。したがって、創造的営為にともなう反応の連鎖には、欠けた環がひとつある。この隙間、芸術家がみずからの意図を完全には表現しきれないことから生じる隙間、芸術家が実現しようと意図したものと実現されたものとのあいだのこのズレが、作品のふくむ私的な「芸術係数」となる。ことばを換えるなら、私的な「芸術係数」とは、意図されながら表現されなかったものと、意図せずに表現されてしまったもののあいだの算術的な関係のようなものである。

誤解を避けるために、ここで「芸術係数」とは生の状態の作品の私的表現であり、純粋な砂糖が糖蜜から精製されるように、鑑賞者よって「純度を高められる」必要があることを思い出しておこう。この係数の桁がどうであれ、鑑賞者のくだす判断に影響がおよぶことはない。鑑賞者が転移を経験するとき、創造的営為はこれまでとは異なる局面に立ちいたる。不活性の物質が美術作品へと変化すれば、化体が実現し、このとき鑑賞者は作品の重みを美的尺度に照らして測定する役割をになう。

いずれにせよ、創造的営為は芸術家のみによって行われるものではない。鑑賞者は作品に内在する特質を解読、解釈することよって作品を外の世界に触れさせ、創造的営為に貢献を果たす。後世が作品の最終的な価値判断をくだすとき、またときには忘れられた芸術家を復権させるとき、このことがさらにいっそうあきらかになるだろう。


「創造的営為」DUCHAMP カルヴィン・トムキンズ著 から

2019.04.28|引用



今年のはじめにまた東京へ行っていた。今回は、12月の展示で売れた作品を直接渡したかったのと、本の制作の打ち合わせ、ギャラリーやキュレーターの方に作品を観てもらえる機会などがあったので、予定を詰め込んでの5日間だった。今までにはなかったこういう充実をまた繰り返せるかどうか。滞在中、友人の初個展を観たり、他にも色々な人と会って話したりしているうちに時間は慌ただしく過ぎる。しかしせっかくの東京、何かせめて一つは展覧会も観に行きたい。それも写真や美術に直接的なものではなく、AIとか科学的な要素に重心のあるのは無いものかと。

そうして「In a gamescape -ヴィデオ・ゲームの風景、リアリティ、物語、自我-」という展覧会を偶然教えてもらう。場所はICC(インターコミュニケーションセンター)というところで、芸術と科学技術の交流を目的とした、NTTが運営する場だそう。過去に何度か訪れた事のあるオペラシティの上の階だった。会場では、「オープン・スペース2018 イン・トランジション」という展覧会も並行して行われていた。二つを観終わり、強い感銘を受けたのだけど、ボリューミー過ぎてか、なかなか消化しきれず、変な余韻だけがずっと残っている。できるだけ整理したい。

まず、僕自身が、液晶画面の向こう側の世界やキャラクターに対して、特殊なリアリティを感じてるという点は、今展に対して一つのキーだと感じてる。ファミコンやゲームボーイと共に過ごしていた時期は、まだ生まれて10年にも満たない頃だった。日々忙しく自我の形成が進行していく年代にとってのそれは、親が言う「たかがゲーム」では無く、視覚と指先を通して同期できる世界の一部だった。そこでの出来事は、虫とり網を持って草むらを散策することと同列の「体験」だった感じがする。そこで出会うキャラクターは、ドットやポリゴンというデータであって確かに実体がない。ではありつつも、実体によってもたらされた経験、例えばアゲハ蝶の幼虫がうにょうにょと進行する土台だった自分の指に残っている感触と、同様の質感を持った経験として、記憶に刻まれている感じがするというか。

だから、数十ピクセル程度の、カクカクな、今見れば非常に解像度の荒い、人型というのはまぁ分かるそれに対して、人間性(キャラクター)や、それに人生があったりすることを感じとってしまう。デジタル・ネイティヴという言葉はすっかり耳にするようになった。そしてネイティヴといえばネイティヴ・スピーカーというのも、その土地の言語と共に生まれ育つことで、その土地の言語=システムへ、自身の同期率を限りなく高いものにしてる、という風にも言える。そうして、別の国の人から見れば、ただの記号や模様、はたまた痕跡でしか無い文字に、色彩や情景をイメージしたり、語感など、様々な印象を抱くようになっていく。そう考えていると、幼少期に目に親しまれた数える程のドットイメージに様々な感覚を抱くのも、それと同様で、あまり不思議では無いことのようにも思える。

ちょっと話がずれるかもしれないけど、例えばこども向けに書かれたイラストやグッズを目にした時、自分はなんとも言えない気分になる。その時おそらく、自分がその頃だった時のこと、母親をはじめとして自分をとりまいていた状況の記憶が、自動再生的に、バックグラウンドであたたかく浮かび上がっている。そうした記憶のイメージを眺められる窓のようなものとして、イラストやグッズは現前し、記憶の面影として機能している。

31歳10ヶ月のいま、ゲーム画面に対して抱く印象や感覚は、とても複雑なものになっている。ゲームに没入していた頃の”身体的な”経験が染み付いている一方、写真を通して感じてきた様々な経験とがそこに混ざり合っているからだと感じているのだけど、それは具体的にどういう事なんだろうともやもやしてる。

実際にゲームに没入していた当時に、今のような感覚を抱いてはいなかった。また、10代の後半から徐々にゲームすることとは距離ができ、20代に入ってからはめっきりやらなくなった。なんとなくその世界にマンネリを感じ続けていて、またその解消のために、探求していこうとすることを、所狭しとソフトが並ぶ行きつけのゲーム屋の店内で行う方向へ向かうこともなかった。写真はそのころからはじめていた。(続く。。)

2019.04.10|展示をみて



…幼児の想像力を考察した際も同じことであって、心像(イマージュ)と呼ばれているものは、幼児においては、先行する<知覚>の稀薄になったり微弱になった一種の<写し>のごときものでは決してないと思われました。想像と呼ばれるものは実は情動的行為であり、したがってここでもわれわれは<認識主観と認識対象との関係>の言わば手前にいたことになります。問題は、幼児が<想像的なもの>を組織し上げるその原初的操作にあるわけであって、それはちょうど、知覚においては<知覚されたもの>を組織し上げる原初的操作が重要であるのと同じことだったのです。

幼児の線描きについて調べたとき、有名なリュケの著書に抱いた不満の一つは、まさにその点でした。と言いますのも、その著書では、幼児の線描は欠陥をもった<成人の線描>と考えられていますし、また幼児の発達ということも、いろいろな年齢の線描を通して見ると、ちょうど成人が行なっている世界表象、少なくとも西洋の白人のいわゆる「文明化した」成人が行なっているような、言い換えれば古典的幾何学の遠近法の法則にのっとった世界表象の試みの、<一連の失敗>のようなものだとされているからです。だが、われわれが示そうとしたのは、その反対に、幼児の表現の仕方は、いわゆる「視覚的写実主義」の途上の単なる<あやまち>としては理解できないものだということ、それはむしろ、幼児には古典的スタイルの線描の遠近法的投影に見られるのとは全く違った<物や感覚的なものに対する関係>があることを証明するものだということでした。…
「眼と精神」p103から

2019.03.07|引用



先日、大阪の福島区にあるphoto gallery SAIへ。ここでアシスタントを長く務めている大石さんの誘いや、東京で知り合った美術家の吉國さんがトークイベントで聞き手をするからというのもあってだった。展示されている小原一真さんがどんな意思でどんな作品を作っている人なのかは、この日初めてまともに知ることになった。

過去に大石さんと話ししたりしてきた中で、作者に対して、グローバルに活動されているフォトジャーナリストという肩書きのイメージだけがぼんやりあった。そこには、主に政治的な問題をフォーカスし、社会へ共有を試みるという使命感があり、例えば紛争地域をドキュメントするカメラマンといった存在などがイメージに浮かぶ。マグナムなんかはそこと直結していると思うし、最近だと林典子さんや郡山総一郎さん、IMAでお会いした苅部さんの姿も思い浮かんでくる。

一方で僕は、そういった問題に全く無関心のまま大人になり、現在に至っている。いつだって政治的なニュースは見ないし、第二次世界大戦についても、教育の過程で幾度となく訪れる学びの機会を、無視するでもなく、ただ無自覚に素通りしていた。3.11や9.11は確かに記憶にもまだ新しい。けれどそれも液晶画面越しに目の当たりにしたことであって、その向こう側を想像する力が自分には無かったのだと思う。その一つの出来事によって、多くの人々が考え方を激しく揺さぶられ、その後の人生を大きく変えている。それも事実として分かってはいながら。小原さんがトークの中で「事件の翌日、当時高校生で、クラスメイトが『映画みたいだった』と言っていたことを今もよく憶えている」と話をしていた時、多分、僕も同じようなことを言ってたんじゃないかと思ったのだった。

目の当たりにすることが、液晶画面越しである。ということが、一体どういうことなんだろうと、あらためて考えさせられる。言うまでもなくそれは写真に通じる問題で、そこに「reality」という、今回のトークイベントの主題でもあった言葉もあらためて浮かび上がってくる。

人はなにかを経験することができる。それは人がある種の受容体であり、物理的な刺激を五感から取得し、それを電気信号に変換し経験として備えることができるから。脳は、蓄積した経験をブレンドでき、だから結果的に予測も出来るようになる。つまり一つの出来事と遭遇しても、それまでにどんな経験をしてきたかによって受け取り方は変化する。そして、だから「液晶画面越しにその映像をみた」という時間自体のリアリティは共通のものとしても、「液晶画面越しになにをみたのか」ということのリアリティは、どうしても解釈が多様になり、また散漫ともなる。

ジャーナリストの作品全般に対しては、強いストレートさが目立つという印象がある。その立場の作品全般から受ける印象に、ここでいう散漫さが少ないのは、そこに写される題材の多くが、私たちが経験的によく知っている体験としての痛みや喜び、愛情といったことの、その顕在化されたイメージであることが多いからじゃないかと思う。文化や情勢の違い以前に、傷ついた肉体や、表情の喜怒哀楽がなにを意味するのかは、文化や情勢を理解していなくても、分かるし、分かってしまう。 写真(現実を、平面の視覚情報へ圧縮したものとしてのリアリティ)は、だからそうした事実の報告に多用されるし、実際に強く訴えかけてくるものがある。それを、ここでは「目に見えやすいもの」と言い換えてみる。

その一方で、痛みや喜び、愛情といったものの一つ一つには様々なケースがある。そうした、僕ら自身がよく知っている、数え切れないぐらい細分化された感情のディティールは、写真という平面へ圧縮される過程で、どうしても失われやすい。例えばそこで「痛み」という言葉は、細分化されたそれを包括した単語に過ぎない。そしてその言葉に包括された中身ほど「目に見えにくい」。だからそこへフォーカスしようとするほど、どうしても「目に見えやすさ」がぼやけていってしまう。つまり抽象的になっていく。それは、私たちが最もシンプルな形で共有しているイメージから遠ざかるということ、すなわち、パーソナルな方向へ向かっていく事になるのだから、当然と言えば当然なのかもしれない。

けれど、だから見えにくいしよく分からないのだとしても、それは事実として確実に存在している。だから、その目に見えにくいものを表そうとする時、その事実を確信として捉えていることがまずなによりも大事になってくる。

小原さんはここでいう「目に見えやすいもの」を捉えているジャーナリストではないことは明らかだった。もう少し厳密に言えば、「目に見えた」ものから確かに感じ取ったことに突き動かされるようにして、あるいはそれを辿るようにして、徐々に「目に見えにくいもの」へと辿り着いていく、そうした変遷があるんじゃないだろうか。だから、その経験のなかで、自身に最も強く刻まれたなにか、という強い確信をもとに、どうそれを表すことが適切であるのか、これを真摯に試みているように見える。

トークの後半では「自分が何者なのかについてを考え続けていく」ということも話ししていた。ジャーナリストとして、とても抽象的なことへ直向きに進み続けている存在を目の当たりにするのが、自分には新鮮で、またどこか強く励まされるような気もした。

さっき、「シンプルな形での共有事から遠ざかること=パーソナルな方向へ向かっていく」と書いた。つまり作品の抽象化が、パーソナルということへ合流していく。そうすると進むその先には、1人の個という、ぽつんとした物理的な存在が見えてきそうな気がする。その個を見つめ、向き合おうとすることが「自分について考える事」なんじゃないだろうか。そして、そうした個々の思索が行き交い、敷衍する結果としての無意識が「人間についてを考える事」なのかもしれない。それは、個と個は完全な同体にはなれないけど、結合したり、近くを漂ってたりして、互いの存在を認識し合っているそれら個々を包括する場のようなもの。その場では僕らという種の最も根底にある、普遍的ななにかが交わされている。もしかしたらそこに「自分が何者なのか」の重要な回答があるのかも。横浜トリエンナーレでのキャタルソンの空間にみた個(孤)による合奏や、畠山さんの著書の「そこには寂しさなどではなく、大きな意味での連帯と、それがもたらす喜び」という一文なんかも思い出す。

2019.03.05|展示をみて



去年の12月頭に東京で展示する機会があったこともあり、その時も一週間ほど向こうに滞在していた。たまたまその期間中、友人の根本君がCAFというアワードに入選し、グループ展に参加しているというので観に行っていた。彼とは美術施工のアルバイトで知り合い、作品をはじめてみたのは1年ぐらい前。「彫刻をやっている」と聞いていつつ、そのジャンルをまともに観たことがなかった自分にとって、実際に見たそれは「立体」という形式としては確かながら、漠然と持っていた彫刻というイメージからは大きく外れたものだったことを記憶している。僕は彫刻の歴史や美術の文脈についても詳しくないから、論理的な解釈はできない。しかしながら彼の作品には漠然と好感を持っていた。人柄を知った後に作品を観たから、というのもあるのかもしれない。ただ、それは言い方を変えれば、彼という存在と作品との印象のギャップが無いとも言えそう。

そういえば彼の過去の展示で「ペニス屋さん」というものがあった。彼がペニスという題材をしばしば扱う時、それは性器としての神聖さをなんとやら、というよりは、どこかセルフポートレートのような主張を感じるものがある。ペニス屋さんは、その言葉の背景にある放送禁止用語的な意味性を、屋台という老若男女に慣れ親しまれた普遍という記号に対応させているように見える。その屋台にある「おバカな落書き」的装いには現代感もあるし、それら全体のバランスが彼のロジックと風刺を示すカラーにも感じる。そうした展示が上野公園という場所で行われた事実は、ある意味でボディ・パフォーマンス・アートの属性を彷彿させられるようでもある。

「自分は手先があまり器用ではない」と言いつつ彫刻という手段を続けていること。またそれによって完成されたいくつかの作品を見ていると、決してそれはハンデや技術不足などではなく、むしろ筆跡のようなものとして作品の構成要素になっている。そうした「くせ」はしかし本来、平均化されていくもので、例えば写真にも技術という一つの正解があり、そこに向かって皆が修練を重ねる。その技術的な正解というのは、社会に設定された指針であり、受験勉強とも似て点数化しやすく、高ければ高いほど優秀とされる。

そして現代の一つのエポックとしての人工知能が促す、ここで言う「くせ」という問題についてを思い出す。前述した技術的な正解というものの価値は、一方でテクノロジーの急速な進化によって、相対的に淘汰されていくと言われている。携帯電話の登場が、親の電話番号を暗記する必要を無くしていったように、いまある知識や技能の価値は、単純なものから淘汰されていく。だからその対局にある抽象的なことの価値が相対的に増すし、そこで新たにヒトらしさとは何かも問われる。だからこそ不器用であることを自覚しながら、それを扱うところには先見性もあると思う。

CAF賞で展示されていた作品「つくられた壺」は、土のような素材でできた壺が複数、台座の上に配置されている。一つ一つには古代の壁画のような絵が描かれていて、その絵と壺の外観は共に手ぐせ感も現れている。絵は、人の動作の様子が多く、中には掴み所のない不思議なポージングのものもある。そして五つの輪が描かれた絵の存在によって、それらが現代のスポーツの祭典を背景の一つとしていることに気付く。長い歴史を持つ装飾品としての壺は、賞賛や威厳といったイメージを持つトロフィーとも重なる。少し調べてみると、古代ギリシャでは当時のオリンピックの様子を描く壺絵というものがあったらしい。そして当時の”祭典”は、スポーツという点では共通しながらも、常識や倫理などの面で、現代の感覚とはかけ離れた部分ばかりだったようでもある。ちょっと調べた程度なので、確信はない。ただ「オリンピック」という祭典に自らの「手」を介在させるという行為に、「屋台」に「ペニス」を掛け合わせたそれとの重なりを感じたのだった。壺の表面に残された肌理は、祭儀や儀礼といった文化を通してヒトについてをなぞろうとした軌跡にも見える。またそれは、ヒトが大衆化することによっていつも生まれてくる、あらゆるディストピア的思想に対して中指を立てることの、その真摯さを見るようでもある。

2019.02.02|展示をみて



2019年になった。今年32歳を迎えることになる。今日は1月の30日で、今朝夜行バスで東京から戻ってきたところ。24日の夜に出発したから、一週間近く向こうに滞在していた。今回もまた沢山の人と会うことができた。去年末の展覧会で作品を購入してくれた人たちへ直接渡せたし、キュレーターの人やギャラリーの人、出版の人であったりから、以前も泊めてくれた友人達、また彼らと行動を共にした先で出会う人々。同じ作家として飲み明かせたり。次に繋がる話もいくつかでき、とても充実した5日間になった。昨年11月末、雑誌に特集してもらう機会があったことや、大きめな賞を受賞できたことなどが、じわじわ効果をもたらしてくれているということなのかもしれない。ただ一方しかしながら、評価されているのは作品でまだまだ僕自身では無い、そうしたことも、人に観てもらったりする度に感じさせられる。僕自身は作品に追いつく為にも、今年も色々なことを学び続けたい。合間で観に行った幾つかの展覧会では、強い感銘を受けたものもあり、それもまた別で書いてみなきゃいけない。

写真に関しては、なので現状動きが感じられて良い一方、それ以外の面では本当に良いことが無く、その一つが母親のこと。年々体調が悪くなっていく母は、今日30日の朝、近くの大きな病院へ入院していった。明日手術がある。命に関わる病気等ではなく、一週間ほどで退院するそうなのだけど。僕は昔から母親に対してうまく振る舞うことができない。今朝もそうだったけど、自分のそれが与えているストレスは決して小さくないのも容易に想像できる。僕の遺伝子の半分を構成している存在としての母は、もう半分の父の記憶が全く無い僕にとっての全てだし、だから母親が病気で病んでいく様子は本当に耐えられないものなのだと、悪化の度に知る。今までしなかったような咳が聞こえる度に心臓が痛んだりするし、ここ数年ずっと頭が痛い。

2019.01.30|雑記



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